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世の中一番怖いのは無視されること!
- 年々歳々無視されることが増えている。
- 必要とされなくても良いことを理解できるようになった。
- 無視されずに必要とされることを望む老人たちの存在。
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No.1です。 >ところで「天国サービス」てのはどんなものですか? 歴史に刻まれるのは人類全体に関わる行為だけで 個人的な利己的欲求に基づく行為は忘れ去られます。 その虚しさや不安さを解消するためには、現世の権勢や富を天国に繰り越せるという幻想が必要です。 その幻想を提供するサービスが「天国サービス」です。 かんたんに言えば宗教ですね。
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- amaguappa
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23,28,32,37,40,「コンピュータに対する、人間の遊びや狂い」についての応答。 アプリケーションシステム=夢ですか。面白そうなんですがぴんとこなくてすみません。〈大工がやっていることだと「言えるのかどうか」がわからない〉というのは、アプリケーションシステムがシステム全体をのっとっているかもしれないという意味ではなく、「大工」が下部構造と言えるのかどうかわからない、という意味にとっていただければいいかなと思います。 あるいはどうでしょうね、大工がOSだとすれば、データベース管理システムは大工=OSとして動作するように機能するでしょう? 人間で言えば、大工が自我だとすれば、夢や妄想は大工が自我として動作するように機能する、という話をしてきたつもりなんですが。 PCというものが無駄な迂回をしているのかしていないのか、わたしは知らないのですが、老人介護型談笑ロボットのAI「MOKUZOU」君なら、システム更新ごとに無駄な参照ファイル関連ファイルを夥しく加え、そしてそれが言語運用力に反映し、芸術的な話芸を披露するのかもしれませんね。しかし、変な拘り、おかしな傾向、出たり引っ込んだりする自意識、要するに「自分馬鹿」の境地には到達できないんじゃないかなと思うのですよ。それは、人間の記憶の過程に概念をつくる過程があり、記憶しようとするものと似ているものや違うものを参照したり迂回したりながら、独特の概念のカテゴリー群を保存していくうちに、何か余計なものを抱え込んでしまう人間の境地だろうなと思うんですね。 分野ですと、わたしが勉強したころは精神分析学、認知科学ですね。ラカン派や木村敏の影響は強いと思います。アラン・ホブソンという人の「夢に迷う脳」は一般書でとてもおもしろく読みました。 コンピュータに対する、人間の遊びや狂いについて、終わり。
お礼
色々ありがとうございました。 基本語彙が解っていないのでご迷惑おかけしました。 でも、くだらない質問に対して下らない回答を返すとこまではコンピュータープログラムで実現出来そうですが、くだらなくない質問に対してくだらなくない回答を返す仕事はやはり人間に取っておかなきゃならんだろうという見通しに関しては一致したと思います。 精神分析学、認知科学ですか。生兵法では怪我しそうですね。 アラン・ホブソンという人の「夢に迷う脳」は書店で検索してみます。 ありがとうございました。
- amaguappa
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木造さん、 「大工は、睡眠中に夢の機能を利用して、自己自信への関心を、ありとあらゆるルールでつくられた体系の中に仕舞い込んでいる。。。。。」 大工はを主語にしちゃ、ほんの少しダメです。頑固ですね。 ほんの少しダメというのは、夢がやっていることは大工がやっていることだと「言えるのかどうか」が、わからないからなんですよ。 大工さんというのは、大工さんであるという意識です。 意識が、夢の機能を利用して、上記括弧のようなことをやっちゃってるというわけにはまいりません。 >「ありとあらゆるルールでつくられた体系」ってのは捏造話だったんですかい?しかも荒唐無稽な! 捏造が皆と似たり寄ったりならオッケーというわけでね、間主観のできあがり~というわけで。 夢は捏造話ですよ。まさか実話だとは思っていなかったでしょうね。秘話とか。 捏造の骨組みにいろんなルールを仕込むというのが、夢のやっていることなんです。 屋上を先に架けておいて辻褄を合せたりするんです。 > これじゃあ大工が(あるいは人が皆)Schizophrenieだってことですか? 浅田彰みたいな用語知っていらっしゃるんですね。 別にスキゾってことはないでしょう。皆と似たり寄ったりの工法・工程で捏造が出来ているうちは。 人の想像もつかないようなルールを多用しはじめたらヤバいでしょうね。 「人は、睡眠中に夢の機能を利用して、自己自信への関心を、捏造話の中に仕舞い込んでいる。」 人は、という主語にもしないでください。夢は、でよろしくお願いします。 > これって怖いじゃないですか。 怖い以前にこれでは文の意味がわかりませんが、わかろうと努力すると怖い感じがしますね。 ほとんど、覚醒している意識が、夢に見たことを手掛かり足掛かり言い掛かりにして、自己チュー満載で話を捏造しているという意味に取れますからね。 > 朝、覚めたときこの捏造話が現実認識と混濁しちゃうじゃないですか? まったくですなあ。おかしな話になりますなあ。 > 捏造話あるいは「諸ルールで作られた体系」というのが、人に優しく、おおらかなストーリーだったら > 良いのですけど、ありもしない原罪とか、ありえない権力(パワー)だったら怖いことに 精神にとって、世界は、諸ルールでつくられた体系ですよ。 人に優しく、おおらかなストーリーを骨組みできるように、人間の精神というのは自然から授かっているものだと思います。 原罪とか、権力(パワー)とかをルールに仕込んで捏造話を作る、こんなのは金(マネー)に魅せられた人の夢に、よく聞く話じゃありませんか。
お礼
回答と丁寧なご説明ありがとうございます。 そうですかぁ! >夢がやっていることは大工がやっていることだと「言えるのかどうか」が、わからないからなんですよ。 という訳だったのですね。 拙者は人間の頭の中で起きる現象をコンピューター内の現象から類推していたので、アプリケーションプログラムのひとつにすぎない”夢”とか”妄想”はオペレーティングシステム(=人格)の責任のもとで、一定範囲の処理権限を授与されて稼働しているものと思っていました。 ところが先生がおっしゃるのは、アプリケーションプログラムが、一旦実行権を付与されると、システム全体を乗っ取っているかもしれないと仰る。その結果、アプリケーションプログラム実行後に、オペレーティングシステムに何らかの変化がある可能性もあるのですね。 コンピューターではそのようなことは許されないし、誤りか又は確信犯でアプリケーションプログラムがオペレーティングシステムの領域に介在しようとしたら、メモリ・バイオレーションとかSV特権違反などで即刻処理中断になるように設計してあるのですがね。当然、アプリケーションプログラムの実行が終了・中断した後にはメモリは初期状態に戻され、アプリケーションプログラムの影響が残らないようにもしている。おバカなPC用のOSではこの辺がちゃんとしていないからフリーズなんてことが起こる。冷蔵庫じゃないんだけどね。 拙者が今まで漫然と考えていた脳の機能は、いわば小脳の機能であって、人間だけが発達させてきた大脳の機能は経験から学ぶためにアプリケーションに自らを乗っ取らせて、残像を残させて、以後、それを前から知っていたような顔をするのかもしれませんね。素直じゃないね。知ったかぶりだな。 >夢は捏造話ですよ。まさか実話だとは思っていなかったでしょうね。 夢が実話だとは思っていなかったですけど、捏造話かというと、なんかそこに意図がないと捏造出来ないわけだし、釈然としません。 夢は、運動した後の整理体操みたいなもので、それをしないと肩がこる、筋肉痛になる。つまり、覚醒した大脳が経験した信号処理に対して、大脳を初期状態に戻すためのリセット活動ですね。リセットのための運動にすぎないかもしれないのに、なにかその運動自体が意味がある(目的がある)かのごとく決めつけるのは躊躇します。 このようなお話はどの分野の本を読むと基礎がわかるのですか? 学問的、先端的なものではなくて、この分野で使われている基本語彙を理解できればよいのですけど。
- amaguappa
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> 妄想や夢は「人間の行い」、また「する事」、「対象」 おっしゃることはよくわかります。 「妄想や夢がその人自身への関心を、諸ルールでつくられた体系に仕舞い込む」 という話の場合、 ここには、〈「行い」や「対象」である夢〉の他に、〈「機能」である夢〉という見方があります。 言い直すなら、 「脳が、荒唐無稽な話を捏造しながら、刺激信号を整理整頓するとき、その捏造話は、これが誰の脳なのかということを、捏造話の展開のうちに刻印する」 でもいいんですが、どうでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 機能としての夢ですか。 大工は、睡眠中に夢の機能を利用して、自己自信への関心を、ありとあらゆるルールでつくられた体系の中に仕舞い込んでいる。。。。。 「ありとあらゆるルールでつくられた体系」ってのは捏造話だったんですかい?しかも荒唐無稽な! これじゃあ大工が(あるいは人が皆)Schizophrenieだってことですか? 最近は統合失調症と訳しているようですが、ここでは昔ながらの精神分裂病という意味ですけど。 大工とか雨合羽など、固有名詞が主語の場合はありえると思いますが、「人一般」でも成り立つ文章なのですか? 「人は、睡眠中に夢の機能を利用して、自己自信への関心を、捏造話の中に仕舞い込んでいる。」 これって怖いじゃないですか。朝、覚めたときこの捏造話が現実認識と混濁しちゃうじゃないですか? 捏造話あるいは「諸ルールで作られた体系」というのが、人に優しく、おおらかなストーリーだったら良いのですけど、ありもしない原罪とか、ありえない権力(パワー)だったら怖いことになりますねぇ。
- amaguappa
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> ( )妄想は( )関心を( )仕舞い込んでいます( )。。。。。大工にはちょっと難解ですね。 申し訳ないですね。置き換えてみれば誰しも経験でおわかりになりましょう。 ( )妄想は→ 夢は としてみましょう。さて、ここに疑問文が二つあります。 (1) われわれの夢は 「自己自身への関心」を どこに仕舞い込んでいるのでしょうか? (2) われわれの夢は 何を 「体系」に仕舞い込んでいるのでしょうか? (1)の答えは、脈絡づくり、筋書きづくりにです。夢の中ではものごとや出来事に関係やルールのありそうな世界が、砂上の楼閣のように出来ていますが、その工程や結果に潜んでいるのです。 眠っているわたしたちの脳の中では、脳神経を刺激する無数の些細な記憶やイメージが(記憶やイメージとさえ呼べないくらいのささいなものですが)、虫喰いパズルのピースのように繋がるのを待っています。 たちまち、わたしたちはそれらに存在確認をしてやろうと、すべての都合を同時につけ、パズルの穴を埋めてしまうでしょう。ごった煮にして都合のつく話を捏造するのです。この捏造力にはすさまじいものがあります。しかしどれほどの夢の大作家でも都合のつかない成り行きに当たって話が破綻することがあります。 これはこういうことだ、あれはそういうことだ、これは何であれは何だ、なぜなら実はこんな理由があるのだ、などと連関させた瞬間に、それがそれであると認識できるようになります。おそらくそうしてストレス回避しているのでしょう。ときには夢を見たせいで新しいストレスを呼び込んだりしますが。 些細な記憶やイメージを、体系の中の一要素へ化す作業、全体の中の細部として置き直す作業を、毎夜わたしたちは繰り返しているのですね。 (2)の答えは少しばかりやっかいです。答えはたくさんあるのかもしれません。わたしたちが何かを感じ、何かを理解し、何かを、ひとつの全体像と受け入れるとき、そうして感じ、理解し、全体像と受け入れるためのルールを探ることも難しく、また、それらの過程を成り立たせている力が何でどのようにあるのかを探ることも難しいです。 しかし、答えの一つは、自己自身への関心であるといえます。自分の思考は他人の思考ではなく、自分に起きた出来事の中心に自分がいて、自分の経験は他人の経験ではないのですね。そしてさらにわたしたちは、自分はどんな自分か、外からどう見えるか、という属性によって自分の造型をまとめています。 自分を焦点としながら「外」の体系を作り上げている一方で、「外」の体系を作り上げながらその要素である自分を捉えています。自分を見つめるということは、自分から見える「外」のありさまと互いに反映し合っているといったところでしょうか。 長く書いたから読みやすい内容になるというものでもないですが、たぶん、良い家だって同じようなことが言えるのかもしれません。家が自分で自分の形をしっくりと決めて全体と細部を緊密な関係にし、周りと溶け込むってことがあるかもしれません。そのあたりも面白そうだなと思います。 > 哲学しちゃう人と精神病になってる人の微妙な違い 向き不向きの問題でしょう。 人間の違いを測るうえでは、充実している人と虚脱している人のほうが測りやすいでしょうね。
お礼
大工の語彙においては、妄想や夢は「人間の行い」、また「する事」、「対象」となっています。 多分、妄想や夢が「仕舞い込む」という動詞の主語になのが理解しにくいのでしょうね。 一般的に使われる主語を使用して換言すると、 大工は、睡眠中に、自己自信への関心を、どこへ仕舞い込んでいるのでしょうか? 大工は、睡眠中に、何を、ありとあらゆるルールでつくられた体系の中に仕舞い込んでいるのでしょうか? 答えが思い当たらない理由は、依然として質問が理解できていない為と思われます。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
> コンピューターに対しては、人間の遊びとか狂いが存在理由になりますかね。 人間の妄想は、 自己自身への関心を ありとあらゆるルールでつくられた体系の中に仕舞い込んでいますからね。
お礼
( )妄想は( )関心を( )仕舞い込んでいます( )。。。。。大工にはちょっと難解ですね。
- cyototu
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井戸端会議ついでに。 >独創的な学者の孤独ってのも相当なもんなんでしょうね。 私の知っているヨーロッパ人の方で歴史に残っちゃった仕事をやられた方が居られますが、その方の家に、ときどき草庵などの入り口の上に刻書が飾ってあるのを見掛けますが、それと同じようなものが、その方の家の中に飾ってありました。縦30cm横60cm位のもので大分古びて貫禄がりありました。それには 孤峯 とい文字が右から左向きに彫られてありました。多分日本の物だと思いました。大分昔にサンフランシスコの骨董屋で見掛け、意味を聞いて気に入ったので手に入れたと言っていました。 日本の誇る数学者岡潔も奇人で有名だったですが、その岡潔に噛み付いて、彼の言っていることとは反対に、数学屋が指物師で、物理屋が百姓じゃと、数学屋さんが聞いたら怒り出すようなことを、以前此処の数学欄の「数学とは何ですか?」と言う質問に回答したことがあります。あんたらは何かと言うと直ぐに「美」だと言うが、その美ってなんじゃね、とも噛み付いております。ま、狂犬みたいなものですね。あたしには大工さんの方のがよっぽど美を語る資格ありと決めつけております。遣り取りが何度もあり少々長いですが、工学と理学の違いを話題にした序でに、工学屋さんに暇なときにでも、無責任な一物理屋が見た独断と偏見を時系列順に読んでもらえると光栄です。 http://okwave.jp/qa/q4967451.html
お礼
ありがとうございます。 今一度、研究してみたいと思います。
- mashumaro2
- ベストアンサー率58% (99/170)
こんにちは。 ご丁寧なお礼をありがとうございました。 >しばらく遊んでいるうちに秘書が真剣になって打ち明け話みたいな”会話”になって、とうとう「(人目のある)ここでは、もうこれ以上話せないわ。」とタイプインするまでになったと。これ、秘書がコンピュータを完全に擬人化してしまったという例ですね。 >そんなコンピューターの黎明期からかれこれ50年。最新のデータベース技術やセマンティックアルゴリズムを使うと、このサイトでつまらん質問につまらん回答するぐらいは今でもすぐできると思います。 まったく仰る通りだと私も思います。 でもこれは、Mokuzo様に対する「ボッコちゃん」的な回答ではありません。 哲学カテ以外、特にライフ・カテゴリーでのMokuzo様のご回答を、哲学カテ同様にいつも楽しみに拝見致しております。 本当に質問者自身のためを思い親身になって考えていらっしゃるのが私にも伝わってきます。 (奇想天外な世界にもかかわらず心あたたまる温かみなどが、どこか星新一の世界にも通底して心地良いと申し上げたかったのですよ) あのカテにおける「人生相談」って、まさに例示なさった「秘書」そのもの、という質問が多いですよね。 質問者自身、後出し的な打ち明け話を述べて「疑似会話」みたいな雰囲気が感じられたりして。 または、単なる愚痴、同意を求めているだけだったりして。 プログラミングにおいてはおそらく男女の脳差も多分に加味され得るかとは存じますが、少なくともこの哲学カテゴリーだけは、コンピューターが介するに相応しいくない最後の砦なのかもしれませんね。 >ですから、我々人間はもっと慈悲のある人間らしい回答をするよう努力しなくちゃならんですね。 はい、私もMokuzo様を見習いたいと思い、努力します。 で、今度機会がありましたら、是非私のしょぼい質問にもご回答を下さいね!(予定は未定、笑)
お礼
ありがとうございます。 >少なくともこの哲学カテゴリーだけは、コンピューターが介するに相応しいくない最後の砦なのかもしれませんね。 是非そうしてゆきましょう!
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
川の流れが止まらないように、重力の力に引っ張られるように、人間は物心両面を“進歩”させてきました。 破壊という意味においてさえ、物心共々“進歩”がもたらしたもの、と言えるでしょう。 心に目を向けてみました。 万葉の時代の人々の心を知ろうと思えば、一市民としてはあの「万葉集」に依らざるを得ませんが、あの頃の心持になれる現代人はどれほどいるでしょう。 また逆に、万葉人が現代人の心を、そして現代社会を想像することができるでしょうか。 ここ四、五十年を振り返ってみても、私の周りは‘向こう三軒両隣’的、空間がありましたが、今は各家庭ごとのバリアーが厚く高くなっているように思います。 それは言わずもがな、精神のバリアー。 このような‘バリアー人間’は益々増えてゆき、でも“こころ”なので、心の不足感を補いたく感じ、それを満たすべく「コンピューター」に向かうようになる人が増えるのではないでしょうか。 そう思えばMokuzoさんの質問文にある“コンピューターの世界”が実現しても不思議ではありません。
お礼
ありがとうございます。 その昔の生活には今では考えられないほどのしがらみがあって、私生活とか自由とかの概念すら希薄だったと思います。 私生活の自由が守られることと孤独感を感じずに済むことの間を行ったり来たりするのかもしれません。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
このサイトの質問に「ボット」が混じっているのではないか というような質問を前に見かけたことがありますが。 なるほど「質問」に混じればゲゼルシャフト流に広告収入のため、「回答」に混じればゲマインシャフト流になぐさみのため、 という話になったりするのかなあ。それはさておき、 福祉サービスで「最後に残るほう」が、人間のつとめるべき仕事でしょう。 役所の仕事も、介護の仕事も、申し分のない仕事をする人間は一握り、 あとはよく出来たロボットのほうがいいくらい、ということになるのは必至です。 しかし対話をして「老人の相手をする」というのが満足できるサービスになるには 人工知能が設計というものの狂いと遊びを獲得するまで、時間がかかるのではないかなと思います。 現にこちらの回答群の後半をみると、針が反応するか或いはぴくりとも動かない計器のごとき動機を持つ仮称井戸端会議プログラムがあり、 さらに「私はきぐるみさんをこのように思います」の目的語部分をまるっと省いて文章構成した回答があり、 そしてそれを読んだ年寄りがじつに愉しげに年寄り魂を発揮している。 すると年寄り魂というものを経験的にも生来的にも有していない若者は、生硬な若者魂で応答している。 上記は、無視していないという通奏低音が流れているにもかかわらずまったく整合性のない脈絡でして。 コンピュータプログラムは、いずれ人間に近付くでしょうが、 このように支離滅裂に終わる内容をもってただその通奏低音だけで人間を満足させる、という対話の芸当にはなかなか至らないことでしょう。 人工知能がどれだけ人間に近付くかというのも問題ですが、人間は何になぐさめられるかという問題のほうも奥深いものです。 人工知能はクオリアを持つかとかいう話もあるんでしょうが、たぶん記号と媒体の話でもあって、 わたしたちは記号を享受していると思い込んでいるけれども、じつは媒体が制限したり増幅したりする記号のゆがみを享受しているのではないかなあ。 デジタルカメラで撮影された写真とフィルムで撮影された写真みたいなもの。あるいはその印刷紙と画像の関係に似ているかもしれませんね。 模倣のなすことすべては、その受容に限界がありますが、 それはそれとして受容の間口が広がり、受容する人間の感性、社会の感性も生まれていくにちがいありません。 自然の造ったものというのはじつに驚異的ですから、小さな小さな規則がひしめきあって全体のバランスをとっているものですが、 模倣というものは、それらの規則のひしめきをどうにもすることができない、あるいはできないものであってほしいとわたしは思います。 詐病が玄人の目にわかるのもそんなことからだったりしますしね。 人のなぐさみは、そうした小さな規則群の奏する調和不調和の総和への驚異と一体に得られるものであると思います。
お礼
ありがとうございます。 コンピューターに対しては、人間の遊びとか狂いが存在理由になりますかね。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#21からの続きです。 大工さん方が「良し悪し」に拘っているって言うことは、私の思った通り、大工さん達はやはり芸術家なのですね。それに対して、物理屋が正誤を中心的判断基準にしているって言うのは、一寸的を外しているようです。もしかしたら数学屋さんはそうかもしれないけど、物理屋は違う。また、物理屋は「良し悪し」も余り重要じゃないようです。同じ創造の営みで勝負しているが、そこが芸術家とは違うところだと思います。 物理屋でも特に理論屋と呼ばれている連中の判断基準は「驚き」です。皆が、小難しい事を言って判らん、判らんと言っている事に対して、全く意表を突いた見方で、滅茶苦茶に簡単に問題を解いてしまう。理論屋には難しい事が判んないから、話しを思い切って簡単にして、誰にでも判るようになってないと説得出来ない。あれだけ難しいと思っていた事が、こんなにも簡単に解けてしまったと、皆を驚かせてしまう、そんなのが、物理学の世界では認められて来ました。理論屋は論理の罠の恐ろしさを散々経験させられてしまうので、ああだこうだと言葉を弄してるような説明は誰も信用しない。だから、簡単すぎる説明に驚かされた時に、恍惚とするのです。そして、経験によると、そんな簡単な説明はいつも意表を突いた物の見方から出てくるようです。だから皆驚く。どんなに正しい事を言っていても、その中に驚きが無くては、物理屋には相手にされません。 また、驚きがあると、その正しさがまだ完全に分かっていなくても、大変高く評価されます。そのことに関して物理屋の間じゃ皆知っているこんな逸話があります。量子力学の基本法則を見付け出したハイゼンベルグって方が居られたんだが、ある時、彼のところにある学者さんが来て、自分のやった仕事の紹介をした。一通りその話を聞いた後で、ハイゼンベルグは 「貴方の話しは論理的に正しく、大変スッキリしていて論理の流れにどこも不自然な滞りが無い。だから、貴方の見付けた事は既に誰かが知っているか、あるいは、正しくても余り重要なことでは無いと思う。大発見には、必ずどこかに異様な神懸かったところがあり、また、良く分からない論理的な飛躍がある物だ」 と言ったそうです。この神懸かりや、論理的な飛躍に人々は驚かされるのです。そして、どうも正しそうだということが否定出来なさそうなので、その論理的な飛躍を埋めるべく、それを聞いた物理学者達が、その話にわっと飛び付き、その正しさを証明すべく人達が努力する。そのことで多くの物理学者は食いっぱぐれないでいられるのです。ですが、その正しさを完全に証明した人は、たとえ評価されても、その評価は二番煎じとしての評価です。その見方を最初に神懸って提起した人が偉大な物理学者として評価されるのです。だから、正しさよりも驚きの方が一枚上手なのです。 わっと飛びついて流行を追う人は、確実に成果をあげられるので、前もって論文が書けることが保証されている。だから就職も楽になる。しかし、上で言ったようにそう言う人の評価は二番煎じとしての評価であり、余り評価が高くない。ところが、神懸かりの人は、その定義通り、流行を追わず自分のペースだけで海とも山とも付かない事をやる必要がある。そして、運が良ければ、宝くじが当たったように、ある日突然に、その人の神懸かりを中心にして世界が回り出す。だから、例外もないわけではないですが、一流の仕事をした方は、人に相手にもされず大抵不遇な時があったのが普通です。 あっ、気が付きませんでしたが、ここでまた、人に相手されずに無視されることの怖さが出て来ましたね。
お礼
ありがとうございます。 物理学は驚きですか。 最先端はやはり違うんですね。 数学でも最先端はかなり奇抜みたいです。 100年ぶりにポアンカレ予想の証明をしたペレルマンは、なんでも証明の途中に「理論を手術」しちゃったとか。証明が正しいか否かに関して数学者が寄ってたかってかれこれ一年以上もかけ、やっと「証明されているらしい」との合意に至ったようですから、こちらも驚きですね。 人に無視されることの怖さに関して拙者は家人にも相手にされない等の卑近な例しか考えていませんでしたが、独創的な学者の孤独ってのも相当なもんなんでしょうね。 精神力が無いと立派な仕事を残すことは難しいですね。
お礼
ありがとうございます。 ああ、宗教ですね。 宗教、および宗教団体と宗教的活動を見ると、ゲゼルシャフト、ゲマインシャフトという二元論的社会科学では説明しにくいですね。 経済発展が終わり、人口減少社会に突入した日本では、宗教団体と宗教的活動が隆盛をきわめるでしょうかね。