※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:不可知とは どういうことですか?)
不可知とは?
不可知とは どういうことですか?
不可知とは どういうことか よく分からなくなりました。たすけてください。
世の中には いまは未知だがいづれ人間の科学の力で知るようになるという場合を含めて 可知の領域があると考えられます。
では 不可知とは どういうことを言うのでしょう?
経験世界は すべてけっきょく可知なのではないですか? ですよね?
そして経験世界を超えるところは 不可知なのではなく そうではなく 《可知か不可知かどちらであるかが分からない》のではないですか?
あるいは別の言い方で問います。
何かが不可知だと分かったとしたとき それは どういう事態なのか? 可知の領域に限界があると知られたことですか?
その限界とはいったいどういうことですか? 可知の世界について限界があるのを知ったとはどういうことですか?
さらに問いかえるなら 可知の世界の限界が分かってその限界を超えたところが 不可知だとするというのですけれど なぜそれが不可知だと分かるのですか? なぜ未知であるだけではないと分かるのですが?
お礼
ううーん。何だか ひどっちさんにとっては 初めから分かっていることであるようにも映り どうしてよいのか弱ってしまいますが――ご回答をまことにありがとうございます―― わたしとしては一つひとつ確実に知るようにしてまいります。 ★ “風邪の原因”は一応ウィルス(一部細菌によるものもございますが)とされております(特効薬は見つかってはおりませんが…..)。 ☆ 病因となるヰルスにしても 型がいくつもあり複雑になっていて 処方するすべがむつかしいのだとか。そういうことでしたか。すみません。でもそれを 不可知とは言わないのですよね? 二重のあやまちを侵すかも知れないのですが どこかよく似た事態であるようにも思ったりします。 特定のかたちでなくても解があることは分かっている。けれどもこれを知ることは いまはお手上げである。 ただし ★ 未知を「未だ知られていないこと」と定義し、また、永遠とは、今という時間の一瞬を∞にしたものと解すれば、《永遠の未知である》とも規定可能と考えられます。 ☆ と表現する事態は あまり意味がなかったようですね。いま証明によって不可知だと分かれば そのことが一応 知性を支配する。 ★ ・・・つまり、“電子雲”とは電子がそれぞれの位置に存在する確率の高い領域を示したものとのことだそうです(イメージがつかみにくいのですが)。 ☆ という“ペンタセン(ベンゼン環=亀の甲が5個つらなったものです)”の顕微鏡像の撮影に成功した事例というのは 不可知の壁に迫るものと見てよいでしょうか? ★ その後、高等数学を用いた手法(“代数的”手法以外の方法)ではございますが、シャルル・エルミートにより、五次方程式が解かれるようになりました(“六次”以上は未だのようでございます)。つまり、別経路の道筋であれば可能であったということでございます。 ☆ という事例もあるのですね。 そして ★ 原則、解は存在すると考えられます。ただ、量子論の場合、一般常識からは逸脱したものになろうかとは考えております。 ☆ ということなんですね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《不可知》を持ち出して来たのは 有神論に対する無神論の側の反論のひとつのかたちだったのでしょうか? 以下のサイトにもございますが、無神論側からのものとも考えられますし、有神論側からのどちらからでも用いられそうでございます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは ▲ (ヰキぺ:不可知論) 宗教的には純粋に「神はいるともいないとも言えないのだ」とする公平な中立的不可知論 ☆ の箇所ですね。そうして この記事をわたしも読みまして 回答No.9へのお礼欄で次のようにわたしは反応しました。 ○ どうも《不可知》という訳語がよくないのではないか? それは《非知》――つまりは わたしの用語で《非思考》のことですが――とすると分かりやすいのではないか? ☆ すなわち こうです。 1. 《絶対》の想定。 2. これを擬人化して 《絶対者》と表わす。さらには 《神》を当てる。 3. 《絶対》の想定は そのまま経験世界を超えた場としてであるので そのまま初めから 《非思考》つまり《思考としての有る無いは超えている》。 4. つまりこのことを 《神はいるともいないとも言えないのだ》と表わしている。 5. すなわち 《 agnosticism 》は 《不可知論》と訳すのではなく むしろ《非知の場 もしくは 非思考の理論》と表わしたほうがよいのではないだろうか? ☆ となります。わたしとしましては これですっきりしたのですけれど ひどっちさんやみなさんは どうでしょう?