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不可知とは?
- 不可知とは、知り得ないことを指します。
- 経験世界を超える領域が不可知であり、可知か不可知か分からないとされます。
- 不可知とは、可知の領域の限界を知った状態を指し、未知だけではないとされます。
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続きからでございます。 > ☆ その出来ないという点を取り立てて《不可知》という規定をしてもよいと思いますが 《知り得ないかたちで 解はあるということを人間は知っている。言わば永遠の未知である》と規定してもよいように思われます。 未知を「未だ知られていないこと」と定義し、また、永遠とは、今という時間の一瞬を∞にしたものと解すれば、《永遠の未知である》とも規定可能と考えられます。 > ☆ 解を知ることじたいは永遠に不可知であったとしても その不可知の解があることを知っていれば じゅうぶんだ》という余地はもうありませんか? 風邪の原因は分からないのでしょ? 不可知とは言いませんよね? おそらく、その問題に取り組んでいる一部の物理(数学 or 化学)者以外は、「解(対象)があるというだけで、じゅうぶん」と思われます。少なくとも“安心感”はえられると思われます。 なお、とても細かいことではございますが、“風邪の原因”は一応ウィルス(一部細菌によるものもございますが)とされております(特効薬は見つかってはおりませんが…..)。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E9%82%AA からでございます) > 《不可知》を持ち出して来たのは 有神論に対する無神論の側の反論のひとつのかたちだったのでしょうか? 以下のサイトにもございますが、無神論側からのものとも考えられますし、有神論側からのどちらからでも用いられそうでございます。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E7%9F%A5%E8%AB%96 からでございます) ご参考になれば、幸いでございます。
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ほーんと まあ 信じられない下らなさですねwww こんなことで必死になってもしょうがないのに もう少し大人になりなさい。 ルール違反を繰り返すのはよくないと思います。 いいおっさんが、おとなげないなあwww I) 質問文と回答者の解答内容の間に関係がないということの指摘について あのう すみませんが・・・「過去型」(ANo.48)とは何のことですか? 過去形のことかな?www 常識的( 国)文法も出来ない人が英語を読めないというのはうなずけます。www FormとTypeの区別が出来ない人が、哲学を語ろうとしている時点で何かおかしいと気づいてくださいよ! 高校生の国語の授業じゃないんですからwww もう一度 無脳とheadlessの間の関係を意味的にはっきりさせてみてください。 何でこんな例を引用したかというと 不可知とagnosticの間の意味づけを明確にしたかったからです。(教科書ガイド的な説明文もあなたにとっては難しすぎるのかもしれませんがwww) ] No.44より引用。 >英語のセンスがまったくないというのはいうまでもなく、客観的に見て、上記回答者は、本来の質問と >関係のない議論を展開しています。回答者にひきつけて評価すると、 >文脈にかんがみ、特定の英単語に適切な訳語を当てるという基本的な翻訳能力 も ないというのが、 >動かしがたい短絡的な事実です。 説明文はじめ 高校生レベルの国語能力にも恵まれていない科学者様への説明(趣意) 「質問文にひきつけて解釈した場合、 知ったかぶりの科学者様がwww 関係のない論理展開をしているうえ基本的翻訳能力もない」と言及しているということですが? 英語なんてとんでもない。 日本語の文章の読めない人間が科学を語る資格はないのではないでしょうか? 変な発音の中国人と論文を書いた中国人が同一人物であるというのは、知ったかぶり大名神様の邪推です。勘違いはやめなさい。www 説明文おわり II) 哲学的議題としての模範例及びジャーナリスティックについて Journalとジャーナリスティックの区別がついていないのは貴方だけです。 「論理から事実からすり替えたり無視したり」は、やめてくださいwww。 聞かれたことに回答を与えるのではなく、わたくしにたいする誹謗中傷だけを繰り返し、質問に名をかりた駄文の文面は、低俗であり、(繰り返すようですがwww)論理の自己破綻をしていますよ。 「結果」と「結果を出す」の例証を出しています。 結果には、本来「よい結果」の意味はありません。辞書を引きなさい。結果を出すといいはじめたのは、東スポであり、結果が、よい結果の意味をおびだしたのは、他のスポーツ誌もそろってこの言葉を使い始めたという経験的理由からです。ジャーナリィスティックといっているのは、数の論理で言葉の意味を決めようとしている態度のことをさしていています。 哲学的に見ると、しかし、agnosticの語源は、ギリシャ語語源のラテン語であり、文脈として、本来の語源を検討しないで、たまたま手元にあるポンコツデータを使って何の脈絡もなく「はいはいはい!しってます!ぼくわかります!」と挙手をするという幼稚な知ったかぶり中学生の論理は「学問的ではない」と述べたまでです。 ご自分でも関係はなさそうだと思っても老害で卑屈になってしまって、負けを認めることが出来ない。批判はもう少し柔軟に受け止めるべきです。血圧を上げても自分の害になるだけですよ。気をつけなさい。www >何処にあるか ではなく 自身のない反論ですねwww 何処にあるのか具体的に示していない (というのは¥おいといて とかいうのかしらwww) 要するに あなたがたは、「反論できないので閉めたい」という意思を表明しているようです。 悔しかったら具体的に反論してみなさい。www 私の間違った前提というのを具体的に抜き出してみなさい。(ないものはだせないんでしょうがwww) とりちがえ・無視もそんなにたくさんあるのなら、 具体的に列挙してみなさいwww (できないひとたちwwwばかわいそうwww)
続きとなっております。 > 「愚症も意見を主張したい」と躍起になっても、学問的事実をひっくり返すことは出来ないのです。 上述から、むしろ、学術的には、私たちの方が学問的事実をついていますが(下記サイトの論文について述べ合っています。つまり、ANo.16でも言及しておりますが、言葉は時代によって変わる。そして、現代では、科学用語としても用いられている ということです。そして、その一例として、この中国人の論文を挙げさせてもらった訳でございます)。 タイトル:「Huxley and scientific agnosticism: the strange history of a failed rhetorical strategy.」 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12395796 タイトル:「Thomas Henry Huxley and neuroscience」 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11640239 ですから、何度もいいますが、哲学的議題としての模範例をお示してくださいな。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ご質問者様へ Ano.47の回答を見まして、愕然と致しました。 Ano.25のお礼欄にて、原則ルール違反であるにもかかわらず、 「質問者のわたしからも よろしくお願い申し上げます。? こじれることなく 哲学として 合意に達することができると思います。また そう祈ります。」 と仰っていただきまして、愚生と致しましては、とてもうれしく思いました。今でも、とても感謝しております。そして、ご質問者様の上記意志に沿った形で、tarako様にも接してきたつもりでございます。従いまして、tarako様につきましては、乱暴な言葉使いも避けてきましたし、また敬称も忘れず付けてきたつもりでございます。 ですが、いつの間にか”勝負”となっているありさまとなってしまいました。 愚生の不徳の致す所でございます。誠に申し訳ございませんでした。 そこで、愚生の意見をお待ちいただけるということでしたので、この場をお借りしまして、ご返答申し上げたく存じます。 残念ながら、続けて行く意味はないかと察せられます。誹謗中傷だけの文面となってしまっているからでございます。 誠に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。
お礼
こんばんは。 わたしも 見込み違いでした。多少は話も噛みあうのかなと思っていましたが 論理から事実からすり替えたり無視したりで このたらこ氏については お互い見る目がなかったようです。 ぎゃくにもう一回投稿の機会を開けておいて(ただし そうですね 二日以上は待ちませんが) そのまま閉め切ろうと思います。 とんだ珍客でした。 またあたらしく出発しましょう。
こんばんは、ご返答ただきましてどうもありがとうござました。Hidocchiでございます。 tarako様へ > 序論 「不可知という言葉とagnosticの最近の英語用法の間には、関係がない」という指摘をしました。 過去型を使ってらっしゃいますが、どこで指摘をしてるのでしょうか? ANo.44以前では見つかりませんでしたが..... まるで、以前に、述べていたかのように見せかける”オピニオンロンダリング”は止めた方がよろしいかと。余りにも都合がよすぎますよ。 > 貴方の掲げた用例は、agnostic の本来の意味を無視した用法であり、ジャーナリスティックな用語誤認がもともとの原因。 本来の意味とは、ハクスリーのことですよね。無視はしておりません。逆に、結構深く言及しておりますが..... ジャーナリスティックな用語誤認? では、以下のnativeの論文はどのように解釈すべきでしょうか? 一言述べておきます。Journalとは付いておりますが、別段、出版社がジャーナリスティックな活動・取材をしているのではございません。著者(研究者)が、自分の論文を載せてもらいたいがために、出版社にpublishしてもらうよう、気配りしているというのが実情です。理由は、研究者としての業績評価は、論文数と自筆論文がどれだけ引用されたかによって決まるからです。 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20483820 (Harvard University) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20409503 (National Human Genome Research Institute) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20070199 (University of Southern California) ? > うそだと思うのであるならば、何処にあるか示してみなさい。 何処にあるか ではなく、「発音がおかしい?」と仰っておられますが、この中国人科学者の英語を直接耳にしたことがあるのでしょうか? そして、”身の毛もよだつ英語”とは何をさすのでしょうか?具体的に述べてみてください。 因に、当中国人科学者の用例は、上記PubMedのnativeの論文とほぼ同じでございます。つまり、この中国人科学者の使用例が特におかしい訳ではございません。 改めて、撤回を求めます。もし、しないというのなら、この科学者(Full textを持っていますので、メールアドレスは知っております)と、出版社に問い合わせをさせていただきます。 > 勘違いをしたフリをして大声で叫び、 大声で叫び? どこから”聞こえる”のでしょうか? 宇宙人とでも交信しているのですか? > あなたは、自分の間違いを何処で認めているのですか?勘違いの回答をしているのは貴方です。負けを認めなさい。改めて謝罪を要求いたします。 確かに反省はしております(Ano.27の「紛らわしい論文を選んでしまい、深くお詫び申し上げます。」とお詫び申し上げております)。これは、ご質問者様ならびに、この回答を見に来てくださった方々、さらには、「このQ&Aは役に立ちましたか?」にてご参考にしてくださった方々でございます。 ですが、そもそも、勝ち負けの問題ではないでしょう? > 自分の間違いを間違いと認めないのを威張り腐っているといっているのであって、 「自分は理系だから、私の意見は新たな解釈である」というのもとんでもない欺瞞です。 この結論はどこから、導かれたのでしょうか? ANo.38からの「”新たな解釈”の議題として、問題提起するのに、何の支障もないと思うのですが.......」、もしくは、Ano.43からの「自分のオツムが情けない程、弱いということは、じゅうぶん自覚しております。」でしょうか? 続きを述べさせて頂きます。
いうにおよんで ★ 一人ぼっちである ☆ ここだけが 当たっている。 ただし そのことと ★ 親ビン〔であること〕 ☆ とは相い容れないことだ とコピペ そういう論理展開をした覚えはありません。 本論が始まる前に白旗をあげてもらっては困ります。www 質問文中にアル「おしえて」「というのはうそか(とがき=60代のボケ老人口調でどもりながらwww)」 降参するならごめんなさいぐらいは言いなさい。 コピペを繰り返し思考をしない。議論もイヤというのなら、哲学者失格です。 出て行きなさい。 正々堂々とした生活態度(=哲学www)をお願いいたします。
序論 「不可知という言葉とagnosticの最近の英語用法の間には、関係がない」という指摘をしました。 前項「無脳」の例以下の文章を参照ください。日本語の読解能力を疑わざるをえません。 Hidocchi大明神へ 間違いは間違い。自分の間違い勘違いを認めなさい。 貴方の掲げた用例は、 agnostic の本来の意味を無視した用法であり、ジャーナリスティックな用語誤認がもともとの原因。似た例としては、日本語の「結果」という単語と「結果をだす」というスポーツ新聞による誤った用法があげられるでしょう。たとえばagnostic をunknowableとするのは間違いです。用例及び回答を見てもわかる通り、unknown/unknowableの混同が起こっている。当該生物学者の英語力のなさを示しているだけ。誤用を凡例として援用するのを間違いと指摘しているだけです。 中国人に関して 自称ネイティヴのパキスタン人・インド人と同様、発音が気持ち悪いといっているのであって、中国人の英語はミンなダメとは一言も言っていないでしょ。意見操作をしているのはそっちです。国語能力がないのかもしれませんが、勘違いをしたフリをして大声で叫び、レッテル張りで他人を落としいれようとしているのは、親ビンと貴方です。「なんでも反対同盟」は時代遅れです。やめなさい。親ビンのいう「前提の間違い=中国人の英語は全てだらしがない」というのは、質問者および勘違い回答者自身の拡大解釈であって私の言葉の中にはない。 うそだと思うのであるならば、 何処にあるか示してみなさい。 人をうそつき呼ばわりするのはやめなさい。もう少しちゃんと日本語を理解してから、「撤回要求」を語るべきです。マナーが成ってない。ここに改めて謝罪を要求します。 意図的に拡大解釈をして、他人から意見を募り、自分に都合のよいように加工して、利用していくオピニオンロンダリングの手法としかいいえません。見え透いたことはやめなさい。 自分の間違いを間違いと認めないのを威張り腐っているといっているのであって、Hidocchiさまの現実様態を事実に沿って表現しているだけです。あなたは、自分の間違いを何処で認めているのですか?勘違いの回答をしているのは貴方です。負けを認めなさい。改めて謝罪を要求いたします。 「自分は理系だから、私の意見は新たな解釈である」というのもとんでもない欺瞞です。新聞誤植を読んで、集めるのが趣味という人もいますが、 (質問)!「貴方の哲学はいったい何ですか?」! No.1、No.2の回答者は、懐疑論・独我論的見解であるから哲学的意見といえるが、理系論文の英語用法は、哲学とは関係がないでしょ。 無脳の例に戻ると、用例として人工無脳ということばと無脳症という言葉があるが、どちらもも、無脳という言葉自体とは関係がないのです。無脳の意味を捻じ曲げた誤訳という事で「人工無脳の用例」は、不可知の英語用例誤認に近い形といえるし、認知症の認知も同様の例であり、「認知一般と哲学的認知」・「無脳一般と哲学的無脳」とは、まったく関係がないと断言できる。同様に、agnostic一般及び理工系論文で使用されているagnosticと哲学的agnosticは、まったく関係ない議論です。私は理系!というオレオレ理論屋だけが、「関係がある」と(親ビン様宜しくお願いしマス!ネいいでしょ!関係がないわけではないwwwでしょ!という卑屈なコメントを通じて)主張している。 「愚症も意見を主張したい」と躍起になっても、学問的事実をひっくり返すことは出来ないのです。よって哲学のない人間の無意味な解答は論外と言い及ぶことが出来るようです。いいとしをして、哲学のての字も知らないつたない自分の立場をわきまえるべきです。あやまれば、いまなら、ゆるしてあげますよ。www
お礼
★ 一人ぼっちである ☆ ここだけが 当たっている。 ただし そのことと ★ 親ビン〔であること〕 ☆ とは相い容れないことだ。 これ以上おまえの馬鹿さ加減につきあうつもりはない。
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hiddochiでございます。 以下、申し訳ございませんが、スペースをお借り致したく存じます。 tarako様へ > 回答者に同情的に解釈したとしても、headlessが、無脳と訳されるとしたとき、その前提から、「ではどういう風な経過を通じて、headlessという英語から、無ノウなる日本語訳語が、派生して生まれてきたのか」と言うことだけに関して議論を進めるべきでしょう。 この場で申しますと、 例えば、No.18とNo.28の回答とお礼欄をご参照していただければ と思っております。 > 「不可知という言葉とagnosticの最近の英語用法の間には、関係がない」という指摘をしました。 どこで、そのようなご指摘をなさっておられるのでしょうか? > 更には、ここ10年で、英語の「agnostic」に特殊な訳語を当てることができるようになったとしても、歴史的・哲学的用語である「aginostic」の解釈に大勢として影響を与える事象ではないということのべているまでです。 では、”agnostic”の中国人の用例につきましては、別段、問題ないということでしょうか? もし、そうでしたら、以下の文章の撤回をお願い致します。 ANo.19 「身の毛もよだつ中国人の英語」 ANo.38 「変な中国人の間違った英語を、コレこそありがたい英語であると 威張りくさって引用しています。 間違いは間違い。」 > 辞書の上では別項目の見出し語です。哲学的議論に関係がないということです。 ”新たな解釈”の議題として、問題提起するのに、何の支障もないと思うのですが....... 実際、No.1、No.2のご回答者様(懐疑論・独我論的見解のようですが)はじめ、自然科学的(数学的)不可知性等含めまして、哲学的議論として成立していると考えられますが。いかがでしょうか? 「哲学的議論に関係がないということです。」 これは、tarako様のご意見ですよね? 愚生はじめ他の回答者を”論外”として切り捨てる権限等はないかと思われますが。 もしよろしければ、哲学的議題としての模範例をお示しいただけますでしょうか? ご質問者様へ 再び、とりとめもない駄文となってしまいましたこと 深くお詫び申し上げます
お礼
ひどっちさん。 投稿日時でのわたしの判断ですが やはりたらこの文章能力では 現在では 無理だと思います。 てきとうなところで 打ち切りたいと思っています。 でも ひどっちさんの発言を俟ちます。
知ったかぶりの大明神へ 認めていらっしゃるように、ご自分の英語に関する会話能力・聴解能力の欠如は言うまでもなく、hidocchiさまに文章読解能力一般に属する「意味」自体を把握する能力さえないということのようです。 ネイティヴではない人間の英語能力には、論理的読解を含め、母国語の文章解読能力一般・文脈の解釈・単語と全体との論理的統合性を理解することが含まれます。貴方にはそれもない。あなたは国語の点数も低いということです。 わかりやすい例として「無脳」という単語で考えて見ます。 「無脳」の意味が、わからないという人間がいたとします。更にその質問者が、無脳と言う言葉の起源を探りながら、意味を取ってみたいという補足をしたとして、それに回答を与えるとき、英語語源で解釈するとしましょう。 上記の前提から、「headless」という単語の意味を議論しながら回答を絞り込むという場合、英語圏における「頭が存在しない」という状態の形容が、焦点となります。 しかし、ここで無知な回答者が、 ここ何十年かで、headlessには、オバーヘッドのないコンピュータ=「サーバ」の意味が出てきたという歴史的事実に即した理由から、「headless」は、サーバーと訳すべきである主張したとしましょう。 とあるもう一人の回答者が、headlessという言葉は、「頭がない」ということであるから、無頭と訳すべきであると主張するかもしれません。 上記二つの回答が、適切ではないという大きな理由として、もともとの質問は、日本語単語「無脳」に関するものであるということです。 回答者に同情的に解釈したとしても、headlessが、無脳と訳されるとしたとき、その前提から、「ではどういう風な経過を通じて、headlessという英語から、無ノウなる日本語訳語が、派生して生まれてきたのか」と言うことだけに関して議論を進めるべきでしょう。それ以外の議論は、「無知の野次馬」議論です。 英語のセンスがまったくないというのはいうまでもなく、客観的に見て、上記回答者は、本来の質問と関係のない議論を展開しています。回答者にひきつけて評価すると、文脈にかんがみ、特定の英単語に適切な訳語を当てるという基本的な翻訳能力もないというのが、動かしがたい短絡的な事実です。 無脳を日本語で捉えるとすると、脳がないということです。簡単すぎること。英語とは基本的に関係がない。くだらない説明が必要とされない端的な例です。 不可知の質問に立ち返ってみると、わたしは、「不可知という言葉とagnosticの最近の英語用法の間には、関係がない」という指摘をしました。加えて、「論外」である事実として不可知の語源は、英語でさえない。更には、ここ10年で、英語の「agnostic」に特殊な訳語を当てることができるようになったとしても、歴史的・哲学的用語である「aginostic」の解釈に大勢として影響を与える事象ではないということのべているまでです。辞書の上では別項目の見出し語です。哲学的議論に関係がないということです。 あるものをない・ないものをあると主張するおやビンも親ビンですが、むきになっても意味がありません。自分たちの無能を反省してください。 本論1に続くwww
どうもご返答いただきまして、ありがとうございました。Hidocchiでございます。 bragelonne様、申し訳ございませんが、愚生のことを指しておられるようですので、以下の欄をお借りしたく存じます。 > 幼稚という言葉も、自分から出ているというのに、その自覚もないようなので無理でしょうが はい、無理でございます。ですが、自分のオツムが情けない程、弱いということは、じゅうぶん自覚しております。? > 関係ない言葉を途中まで関係ありそうであるようなそぶりでえんえん説明し、?最後に「やっぱり関係ない」と主張するのが「論理破綻」です。?? 上記の意味が愚生のオツムには理解できません。 ”関係ありそうであるようなそぶりでえんえん説明” ? 因に、「自分が、関係があると考え、説明をし、そして誤った箇所があれば、”率直に自分の非を認める”」 これが「論理破綻」なのでしょうか???> 英語という観点から?>中国人と、nativeの方との顕著な違いが見当たらないのです。?コレは貴方の英語能力がないということの具体的凡例です。 英語力に関しまして、もの言いをされたのは初めてでしたので、おそらく、tarako様におかれましては、さぞかしご立派な英語力をお持ちなのでしょう。おそらく、かような学術論文等の英文は、陳腐に思えて仕方ないのかもしれません。ただ、現実問題としまして、医学生理学という分野上、速報性が求められ、また読者に分かりやすいように明確な表現を用いるのが一般的となっています。従いまして、必ず出版社のチェックが入ります(論文自体も評価の対象とされ、”インパクトファクター”という数値でもって、その論文・出版社の格付けがなされますので、最近は特に神経質となっています)。これは、誰が決めた という問題ではなく、上述の理由により、自然とそうなったというものと思っております。 ですが、ここで、愚生が申し上げているのは、”一般論”ではございません。中国人とnativeの英語の表現力の違いについては何も言ってはおりません。 上記、PubMedにて、実際に、検索されましたでしょうか? 実際、自分で検索して、そしてその中から(約140件程ヒットします)、nativeのものを選び出したところ、その文章中での”agnostic”の意味しているものと、愚生が挙げた中国人のそれとには、顕著な意味上の違いはない と申し上げているのです。 実際、お調べになってから、再度お願い致します。??> 親ビンは自分の立場がまずくなると、即刻手下をいけにえにして自分の保身を謀ってきますよ。ほかの手下がどういう運命をたどったか? これは、個人の”自由”かと思われます。もし、拙いHidocchiちゃんのことを思って、仰ってくださっておられるのなら、”大きなお世話”かと存じます。 ?> もう一点回答内容がございますが後日また よろしくお願い申し上げます。 ご質問者様へ 末尾ではございますが、勝手な文章の非礼、深くお詫び申し上げます。
お礼
ブラジュロンヌです。 たらこ氏は現われませんね。 いましばらくでしょうか。 たらこ文においては 論理はないと思います。 ある場合には 前提としている事柄が事実とは違っています。 やっかいだと思いますが ゆえもなく切り捨てるわけにも行かず。・・・ もうしばらく見守っています。
>>「反省のはの字もない変わった人たち」 親分も含めて やっぱり自覚はあるんだ。これを機会に一度反省してみなさい。 そういう方向で親分も説得してみてはどうですか? (幼稚という言葉も、自分から出ているというのに、その自覚もないようなので無理でしょうが) では 論理破綻の具体例 (ご自分でも認めていらっしゃいますが、とりあえず とりとめもない支離滅裂な散文が、論理破綻であるということは、 それはそれですが、論外として解説いたします。) >無神論とは何の関係もない と 自己言及的に ご自分で説明なさっていることからも判りますが、 貴方の引用したagnosticは質問の文脈となんら関係のない英語の用例です。 関係ない言葉を途中まで関係ありそうであるようなそぶりでえんえん説明し、 最後に「やっぱり関係ない」と主張するのが「論理破綻」です。 あといってん 英語という観点から >中国人と、nativeの方との顕著な違いが見当たらないのです。 コレは貴方の英語能力がないということの具体的凡例です。 基本的にネイティブと、そうでない方の英語は識別できます。 言葉には注意したほうがよいですよ・・・ 親ビンは神経質ですからwww >全体として見ても わたしの出る幕はないように思います 具体的反論能力のないおやびんは、手下切捨ての為の準備をしているようです。 親ビンは自分の立場がまずくなると、即刻手下をいけにえにして自分の保身を謀ってきますよ。 ほかの手下がどういう運命をたどったか、また 一生を通じて一人ぼっちである人が、 なぜ一人ぼっちであるのかという事を その理由を よく考えてみてください。 もう一点回答内容がございますが後日また
お礼
★ 一人ぼっちである ☆ ここだけが 当たっている。 ただし そのことと ★ 親ビン〔であること〕 ☆ とは相い容れないことだ。
こんばんは、今回は、tarako様にも、ご意見をお聞きいただきたく、投稿させていただきました。Hidocchiでございます。 > 反省のはの字もない変わった人たち。 “人たち”という文言から、愚生ことHidocchiも含まれるかと思われ、回答をさせていただきました。 > 変な間違いを変な間違いだといっているだけです。もし「変な」の定義的基礎付けが、中国に起因しないと仮定すると、「変な」の起源は、引用者の凝り固まった使用上の意図です。 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez/ 上記サイトにて、“agnostic”で検索しますと、ヒット数は約140件でございます。もちろん、nativeの方の論文も散見されます。そして、特に2006年以降徐々に、使用例が増える傾向も見受けられます。 また、最近の(2008年から2010年まで)のを見たのですが、“無神論”とは何の関係もないように察せられます。表現内容につきましては、どれもさほど違いはないように思われるのですが……. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 誠に申し訳ございません。以下は、tarako様へのご質問となってございます。勝手な使い方をしてしまった非礼を深くお詫び申し上げます。 以下、tarako様へ > 恐ろしいことにその仏語・英語が「だめだめ」であるため、論理が破綻してしまうが、自分の間違いは正しいといいつづける。 上述の件(中国人の論文)も含めまして、具体例をお示しいただければ、幸いです。つまり、“agnostic”の表現内容におきまして、学術論文(主に、医学生理系)では、その中国人と、nativeの方との顕著な違いが見当たらないのです。また、愚生の“論理破綻”もご指摘いただければ幸いでございます。 とりとめのない内容となってしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。
お礼
全体として見ても わたしの出る幕はないように思いますので。・・・
お礼
ううーん。何だか ひどっちさんにとっては 初めから分かっていることであるようにも映り どうしてよいのか弱ってしまいますが――ご回答をまことにありがとうございます―― わたしとしては一つひとつ確実に知るようにしてまいります。 ★ “風邪の原因”は一応ウィルス(一部細菌によるものもございますが)とされております(特効薬は見つかってはおりませんが…..)。 ☆ 病因となるヰルスにしても 型がいくつもあり複雑になっていて 処方するすべがむつかしいのだとか。そういうことでしたか。すみません。でもそれを 不可知とは言わないのですよね? 二重のあやまちを侵すかも知れないのですが どこかよく似た事態であるようにも思ったりします。 特定のかたちでなくても解があることは分かっている。けれどもこれを知ることは いまはお手上げである。 ただし ★ 未知を「未だ知られていないこと」と定義し、また、永遠とは、今という時間の一瞬を∞にしたものと解すれば、《永遠の未知である》とも規定可能と考えられます。 ☆ と表現する事態は あまり意味がなかったようですね。いま証明によって不可知だと分かれば そのことが一応 知性を支配する。 ★ ・・・つまり、“電子雲”とは電子がそれぞれの位置に存在する確率の高い領域を示したものとのことだそうです(イメージがつかみにくいのですが)。 ☆ という“ペンタセン(ベンゼン環=亀の甲が5個つらなったものです)”の顕微鏡像の撮影に成功した事例というのは 不可知の壁に迫るものと見てよいでしょうか? ★ その後、高等数学を用いた手法(“代数的”手法以外の方法)ではございますが、シャルル・エルミートにより、五次方程式が解かれるようになりました(“六次”以上は未だのようでございます)。つまり、別経路の道筋であれば可能であったということでございます。 ☆ という事例もあるのですね。 そして ★ 原則、解は存在すると考えられます。ただ、量子論の場合、一般常識からは逸脱したものになろうかとは考えております。 ☆ ということなんですね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《不可知》を持ち出して来たのは 有神論に対する無神論の側の反論のひとつのかたちだったのでしょうか? 以下のサイトにもございますが、無神論側からのものとも考えられますし、有神論側からのどちらからでも用いられそうでございます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは ▲ (ヰキぺ:不可知論) 宗教的には純粋に「神はいるともいないとも言えないのだ」とする公平な中立的不可知論 ☆ の箇所ですね。そうして この記事をわたしも読みまして 回答No.9へのお礼欄で次のようにわたしは反応しました。 ○ どうも《不可知》という訳語がよくないのではないか? それは《非知》――つまりは わたしの用語で《非思考》のことですが――とすると分かりやすいのではないか? ☆ すなわち こうです。 1. 《絶対》の想定。 2. これを擬人化して 《絶対者》と表わす。さらには 《神》を当てる。 3. 《絶対》の想定は そのまま経験世界を超えた場としてであるので そのまま初めから 《非思考》つまり《思考としての有る無いは超えている》。 4. つまりこのことを 《神はいるともいないとも言えないのだ》と表わしている。 5. すなわち 《 agnosticism 》は 《不可知論》と訳すのではなく むしろ《非知の場 もしくは 非思考の理論》と表わしたほうがよいのではないだろうか? ☆ となります。わたしとしましては これですっきりしたのですけれど ひどっちさんやみなさんは どうでしょう?