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ほにゃらか形而左右学 応援
ほにゃらか形而左右学 応援 日本人は、なぜ、日本チームを応援するのでしょうか。
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#5です。 >こうした事は、古来、本性と言われて、それで説明が終わっているのですが、それで終わらせて良いものかどうか、と言う辺りですね。 :挙げさせていただいた「代償行為」は、つまるところ、(精神的)生存に対する怖れにつながっているように思われます。 民族や国家というのは、一番わかりやすい、しかも崩壊しづらい、いわゆるアイデンティティたり得ているでしょうから、「日本」チーム=「日本」に属している私、ということで、安易に、しかし、確実にアイデンティティを実感できる(と思う人がいる)。 ある意味では事実ですし、こういった構造ではないでしょうか。 余談ですが、代償行為は自我防衛機能のひとつですので、フーリガンとか、負けて過度に悔しがるというのは、一種の神経症と分類できるように思われます。
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- AXIS_
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ある程度自分自身のことについて妥協し、諦めた分、他者を応援する。 これは自分の子供を応援する人にも当てはまると思われる。 ファイナルアンサー?
お礼
>これは自分の子供を応援する人にも当てはまると思われる。 この点で、不思議に思うのは、応援の常識的通常の解釈とはずれますが、拡大解釈すると、自分の子供を応援(養育)義務があるんですよね。 それに対して、 他人の子供には、我々は、なんらの義務を持っていない、 と、言い切れるでしょうか。 ファイナルアンサー有難う御座います。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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fishbowl66さん。こんにちわ。 たしかに不思議ですね。 選手のルール違反でサポーター同士がケンカしたり。 わたしも「帰属意識」のようなもののことを 考えていたのですが、ですが、ですが、 生き物は、自分が見たものを、 正しく(?)公正に(?)捉えているのかなあ、とか もしかして公正(?)に捉えてると「思ってる」「だけ」 なのかなあ、とか、 実は捉え方がときどき歪むんぢゃないかなあとか、 捉え方って、実はいいかげんなんぢゃないかなあとか、 そんなことを考えていました。 ☆似たようなやつらが近くにいると、 それを「グループ」として見るらしい。 ☆たとえば、もともとある牧場でのどかに暮らしていた羊。 ある日、真中に柵を作ってみる。 しばらくこうして暮らすと、互いに 「西のやつら」「東のやつら」と呼ぶようになる。 柵を外したあとも、 「西から来たやつら」「東から来たやつら」と呼ばれる。 ☆たとえば、東のリーダーが 「西のやつらは敵」だと東の羊に教育する。 (メンバーの心がバラバラにならないように 共通の敵を作る(?)。) そのうち東の羊たちは、「個」を見ないで、 「西のやつら(ひとまとめ)」=「敵」と見るようになる。 そして「東のやつら(ひとまとめ)」=「味方」になる。 思い浮かんだのはこれぐらいなんですが、 脳科学(?)の人なんかが何かしゃべってくれると 面白そうだなあと思いました。 言い逃げです。お邪魔しました。
お礼
面白い御伽噺を有難う御座います。 フーコのエピステーメーとかプロパガンダによる洗脳を思い起こさせますね。 こうした社会的力学と【身内】【代償】と言った自我の一種の拡大、さらには、生物学的な、感情とか情動、あと個人的には、正義感とか正当性も、応援に影響与えるような気がします。こんなに沢山、あれこれ引っ張り出すと、返って判らなくなってしまいそうですが。 脳科学は、きっと、情動・エモーションも、快感とか分泌物とかの、自己利益に関連して説明されてしまいそうですね。 アダム・スミスの言う、最大の極悪人でさえ持っているという、無償のシンパシー(同感)は、すでに絶滅してしまったのでしょうか。
>日本人は、なぜ、日本チームを応援するのでしょうか。 同じ国民が構成した唯一のチームだからです。 :なぜ同じ国民が構成した唯一のチームを応援するのか? 1)私の周囲がみな応援しているからです。 :なぜ周囲がみな応援していたら一緒に応援するのでしょうか? 皆と気分を合わせることは快感だからです。 :確かにそれは正しいようですね、わかりました。 ここで思考停止。 2)私も同じ日本人だからです。 :なぜ同じ日本人なら応援するのでしょうか? そうですね、なぜか私がプレィしているような気がするからです。 :それは錯覚とは思いませんか? そうかもしれません、しかし錯覚であっても、一時的にでも気分が良くなればいいのではありませんか? :確かにそれは正しいようですね、わかりました。 ここで思考停止。 3)、4)ともっと続けようと思いましたが、なぜか馬鹿らしくなってきましたので、この辺で思考停止。
お礼
ご回答、及びご協力に厚く感謝いたします。 私も、先ほど、アメリカ対ガーナの試合を見ながら、自分がどちらを応援しているのか自問しながら見ていたのですが、ガーナの決勝点に、グローバル経済の張本人に被害者アフリカの最後の反撃、と喜んでみたのですが、確かに【馬鹿馬鹿しい】状態でしたね。 思考停止状態になったら、そこはそれ、押してもだめなら・・・ ひっくり返して考えてみる、と言う方法もありますよ。 例えば、日本人は日本チームを応援しなければならない。 あるいは、日本チームを応援するのは、日本人の義務である。とか この場合、うえの二つは、ともに受け入れにくい説明ですね。 或いは、日本人は必ず日本チームを応援する。 これが難しいですね、ほとんどの人が応援しても、必ずとはいえないですが、しかしそれは、必ずと言う表現の誤差の範囲内かもしれないし。つまりこれは、決して生物学的次元だけで決定されているわけでは無いと言うところまで、確認できそうですが、どうでしょうか。 そう言えば、このサイトも、先ほどまで思考停止状態で、お礼するのに苦労しました。
- Y Y(@yy8yy8az)
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「それは身内だから」が、理由にならないと言われて、なぜ理由にならないんだろうかと思いながらも、この指摘が何を言おうとしているのか、漠然とですがわかるような気がします。ただ、はっきりと言葉に置き換えて理解できないのが、もどかしい。 でも二つ目、の「身内でないものも応援したくなることを説明できない」という指摘には異議を述べたくなります。 なぜならば質問が、「日本人は、なぜ日本チームを応援するのでしょうか」となっていて、身内でないものも応援したくなるのはなぜか、という意味は含まれていないと思うので。 でも、ナショナリズムの起源、その糸口見つけようとの趣旨は理解できます。 こうして、説明されなければわかりませんが。 もう少し丁寧な質問がほしかったです。 とはいえ、この点については私の頭では“回答”は無理で、それが残念。
お礼
>なぜならば質問が、「日本人は、なぜ日本チームを応援するのでしょうか」となっていて、身内でないものも応援したくなるのはなぜか、という意味は含まれていないと思うので。 この様な反論が返って来るのは、想定内なのですが、確かに質問文が単純すぎたと言う点も一理あるようですね。ただ、前回申し上げたかった事は、【身内だから応援する】を証明するのは大変ですが、否定するためには、例外を一つでも出せばよい、と言った、回答者様にとっては不利な条件下での問題、と言うことを申し上げたかったわけです。 質問文では、日本人でも韓国人でもオランダ人でも良いのですが、自国のチームを応援すると言う、大変一般的な事柄が、どの様な、理由・原因があるのか、と言う事です。 ついでに、長い質問文を書くと、【けち】を付けたがる人々を喜ばすだけですし。 一つ目にもどって、「身内だから」と言う言葉は、すぐ次に、なぜ「身内だから」応援するのか、と言う問いが続いてきてしまいますよね。 別の表現をすれば、下のお礼とダブりますが、人間はそういうふうにできているんだ、と言って終わらせるのかどうかの問題だと思っています。 再度のご回答有難う御座いました。 先ほど、アメリカとガーナの試合を見ながら、自分はいまどちらを応援しながら見ているのだろうかと、自問していたのですが、これがさっぱりわからないんですね。 ただ、過日、デンマークとカメルーンの試合を見ていた終盤、デンマークが3点目のチャンスを逃した時に、ほっとしたんですよね。質問者でも日本チームを応援しているみたいです。
- hakobulu
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基本的には代償行為と思うのですが、自分の可能性を信じたいということなのでしょう。 自身でそれを確認(実現)できる機会というのは少ないので、どうしても代償的に他者にそれを求めてしまう。 単なる可能性ではない(束の間とはいえ)達成を希求している、という構図ではないでしょうか。 その他者との共通項が多いほど、あるいは最もらしいほど、代償行為としての欺瞞性は薄れることになるのでしょう。 つまり、あたかも自分が達成したかのような錯覚に強く浸ることができる。 同一民族というのはうってつけの条件と思われます。 しかし、他民族であっても、たとえば自分の村(=自分と同じ村)に合宿に来た外国のチームを応援したくなる心境というのもあるわけですが、場合に応じて都合よく取捨選択してできるようになっているのでしょう。
お礼
代償行為と言うのは、身代わりの一種と考えて宜しいでしょうか。 その場合、#1様の【身内】の概念より、少し広く適用できそうですね。 大分県の某村や福井県の小浜市とか。 しかし、この【代償行為】と【身内】と言う範疇には、どの程度同じで、どの辺りが違うのか、難しい問題のようです。 ところで、応援と言っても、色々ですね。 南アフリカまで出かける熱心な方から、渋谷や道頓堀の皆さん、自宅で1人イヤーホーンを耳にあて静かに応援する人、疲れて眠ってしまいながらも、朝、結果を調べる人、等々。 今回の質問で、とくに注目したいのは、最も深層的な部分、普段、サッカーに関心をもっていなかったり、アイススケートもしたことのない人たちが、こぞって、応援するのはなぜなのだろうか。こうした事は、古来、本性と言われて、それで説明が終わっているのですが、それで終わらせて良いものかどうか、と言う辺りですね。
「理論は虚しい」という理論もまた虚しい(笑)。 ということで、>日本人は、なぜ、日本チームを応援するのでしょうか。 というなぜに対する一つの仮説としてナショナリズムはエゴイズムであるというのはどうですか? 最終的には運動会で自分の子供を応援するのと同じ理屈である。 つまり応援は自己利益の度合いによって決定される。
お礼
>最終的には運動会で自分の子供を応援するのと同じ理屈である。 今回のご回答も、核心をつく一つですね。 極端な屁理屈で、もう少し一般化したほうが良い点ですが、 取り敢えず、ご回答に即して具体的には、 運動会で自分の子供を不正をしてでも応援するべきか。 あるいは、有りえない事ではありますが、不正をした子供を応援するのか。 と、疑問を投げ掛けさせていただきます。 >つまり応援は自己利益の度合いによって決定される。 質問者は、実のところ、こうした味気ない結論を否定したいのですが。 ご回答有難う御座いました。
定義による。 日本人とは、日本チームを応援する日本及び海外在住の同国籍保有者である。 差別者の癖に、差別はなくさなければ成らないと主張し 具体的方策はなにひとつ 口に出さない。キリスト教的偽善行為を堂々とやってのけるおぢぢは、日本人ではないということである。 偽善行為を実行することで自分は罪から免れると信じている低能高齢者 自分に従順な 低IQユーザー= サル・雉・犬は認めるが、普通人の提起する正しい考えを学ぼうとしない「ごくつぶし屁国民」は、哲学カテから去るべき。 それがイヤなら 少なくとも年金を国に払い戻すべきである。 馬と鹿の違いが、自明ではっきりとしているのと同じように、そのように 「回答」は「投稿」ではないということを即刻知るべきである。
お礼
>日本人とは、日本チームを応援する日本及び海外在住の同国籍保有者である。 いつもテレビを見ているわけではないですか、南アフリカの子供達が日本のサッカーチームの基地に来てサインをねだっている光景を目にしました。ここまで「やらせ」はないでしょう、サインをもらうことは、応援とは違うかもしれませんが、彼らの行為の理由は人種を越えたものが有りそうに思えるのですが。 それ以下の、ご回答内容に関しては、判りません。 言語コードが違っているようです。質問者に対する不満でしたら、もっと判りやすく指摘してくださった方が有り難いです。 ご回答有難う御座います。
- cyototu
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私は学者の末席を穢している者ですが、そんな私でも絶対にやりたくない学問の寄与があります。それは、在る方が実はこう言うことではないかと言う仮説を立てた物を、大変な努力と大変な紙面を使うことによって、その人の仮説が正しかったということを証明するような寄与です。勿論、はじめの物は仮説であり提案だけですので、誰かがそれを確認することは必要であり、重要なことであることは承知しております。でも、私はそのような形で自分の存在を確認する気にはなれません。 そんな例として、数理物理学のカオスで有名なKAM理論を紹介しましょう。確か1954年だったと記憶していますが、コルモゴロフ(K)というロシアの生んだ数学の天才が、天体力学の3体問題との関連で、その系には全エネルギーとは独立な、時間的に変化をしない物理量(専門用語では保存量という)が存在することを、いくつかの根拠に基づいて示唆しました。ところが、その根拠は数学的にはもっとらしかったのですが、その厳密な証明は為されていなかった。そこでその仮説を二人の学者、アーノルド(A)とモーザー(M)が夫々独立に5年後に証明をしました。コルモゴロフの論文は確か8頁ぐらいだったと思いますが、その厳密な証明をしたアーノルドの論文は確か150~200頁になりました。モーザーの論文もそれほどではありませんでしたが数十頁は在ったと記憶しています。孰れにしても、アーノルドはそれだけの時間と頁を費やして、結局コルモゴロフが正しかったと証明したのです。 それだけの時間と努力を費やして、コルモゴロフはここが間違っていた、従って私はこのように提案し、そしてそのお陰でこの問題が解決できたというのなら、私にもその努力を費やした気になれますが、結局、彼の言ったことが正しかったじゃ、私は嫌ですね。 ところで、この三人の中で誰が一番重要だったか。それは、もちろんコルモゴロフですね。アーノルドがいなくてもモーザーが証明出来たし、モーザーがいなくてもアーノルドが証明出来た。しかしコルモゴロフがいなかったら仮説すら存在していないので、後の二人には証明が出来なかったはずですね。 ところが、私の友人の数学屋さんに聞いてみるとこの三人とも重要だが、特にアーノルドが重要だと、訳のわからにことを宣います。アーノルドの厳密性にその友人は惚れているようです。惚れるとボケるは同じ語源を持ちますので、私も訳が分からないのだと思います。 ま、こんなところが理由で、日本人が何故日本チームの応援をするのか、その質問にケチをつけるための努力は惜しみませんが、その仮説の是非を論じ気には成れません。 悪しからず。
お礼
レベルの高い、例え話に、返って、恐縮してしまいます。 御蔭さまで、ケチがついたというより、箔が付いたような気がしますが。 それに、ご回答者様が質問者を応援しない、というより、その逆を指向する理由はなんでしょうか、取り敢えず、質問者も、#1様のご回答から言えば、【身内】なんですけど。 ご回答、有難う御座いました。
- Y Y(@yy8yy8az)
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それは‘身内’だから! 身内に負けてほしいなんてだれも思いません。 勝ってもらって、喜びを分かち合いたいんです。 なぜ勝ってもらうと嬉しいか・・・という質問じゃ、ないですよね。
お礼
ご回答、有難う御座います。 システムが少し変わって以来、初の質問になりますが、なるほど、同じ文章が繰り返されてしまうんですね。なんか見栄えが悪いですね。 >それは‘身内’だから! 日本人は、なぜ、日本チームを応援するのでしょうか。 と言う問いに対して、説得力のあるご回答ですね。 常識的には、ほとんど問題ないのですが、厳密に考えてみると、二つの方法で、疑問を投げかけることができます。 一つ目は、揚げ足取り的な、 >それは‘身内’だから!と言う文章は、本当に理由を説明しているのか、と言う事。 二つ目は、経験的な問題で、 >それは‘身内’だから!とはいえ、我々は時々、身内でないものも応援したくなることを説明できない、と言う事。 >勝ってもらって、喜びを分かち合いたいんです。 確かに、細かなことを考えるより、そのほうが楽しいでしょうね。 いきなり、想定外の核心部分ですね、 ナショナリズムの起源、大げさですが、その糸口を見つけるため、と、 質問のテストも兼ねている、等々。 ありがとうございました。
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お礼
>「代償行為」は、つまるところ、(精神的)生存に対する怖れにつながっているように思われます。 いつも、質問者の脳ミソの片隅を活性化させて頂き、大変感謝しております。 今回、上記の文章ですが、これは「虎の威を借りる・・」とか「ファン心理・・」のように解釈できる事柄でしょうか、そうすると、こうしたものの存在論は、結局、外部の社会的力を別の視点で見たもの、と理解してよいものでしょうか。 質問者もウッカリ忘れていたのですが、日本を応援する、日本人の心とか日本人の精神と言ったものが、社会的力で形成されているとすると、こうした、心・精神を抜きにして、応援する理由を説明できないものかと、最初、考えていたんですね。 それにもかかわらず、下の方で、三段階に分断していたりして、質問者も迷っているところです。 余談ですが、フランスの敗北に対する反応も、興味深い実例ですね。 それにしても、ブラジルは強いですね。 なんとか追いかけて行きますので、何か有りましたら又よろしくお願いします。