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古文書の書き下しと訳について
- 古文書の書き下しと訳について理解できず発表も近づいているため現在とても困っている状態です。
- 古文書の勉強をしている中で、この文書の書き下しと訳をお願いできませんか?
- 質問者は古文書の書き下しと訳について理解できず困っており、皆様の力をお借りしたい旨を述べています。
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質問者が選んだベストアンサー
北条氏康半物写(はんものうつし) 「判物でしょう、 このような 文書を判物といいます」 知行方(ちぎょうかた) 「所領の件」 2行略 以上百拾貫九百五十文但(ただし)、不足に付いて者(は) 年々可被辨(べんぜられるべく)御約諾す。 「(計算が合ってないので)不足分が出たら毎年 弁償すると、約束する」 二十貫文蘆名郷、戌十一月為御褒美(ごほうびのため) 被下(くだされる)、 以上梶原本知行之辻、 「以上は梶原氏が従来から持つ 知行、(辻は筋のこと)」 4行略 百貫文現揚(げんあげ)する。 「働き代として 現金百貫文を支払う、海上警備料でしょう)」 2行略 此の外須江小澤御年貢、右之二百貫文の知行は検見(けみ) 之上、不足銭の足銭(たしぜに)に被定(さだめられる)もの也。 「右之とは左へ書かれる文書なので、小澤御年貢は 右に書かれている。 毎年の出来高を見て そこから不足分を採ってよい」 右、此の令の如く落居(らっきょ)の上は、海上の儀は、 一簾を走廻るのを、肝要と為(なす)可きもの也、 「このように(知行の)話がついた上は、海上を 一帯に亘り警戒に努めるのが肝心である」 仍(よって)状(のべること)は件(くだん)の如(ごとし) 「落居は一件落着のこと。 一簾は一帯」 「 」内が解説です。 1が知行の件、2が海上警備の件で氏康は2の方が大事でしょう。 三浦半島の向かいには、里見水軍が隙を窺っています。 梶原氏はこんな給与では働けぬと、ごねたのでしょうが、納得 したかどうか。 知行の計算が合いませんが、資料がばらばらだったのでしょう。 不足分とはこのことで、豊作、不作の不足分ではないと 思います。
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- izuhara
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ご自身でお調べになった成果をまずお示しいただかないと助力のしようがございません。 書き下しのどの部分でつまっているのか、どの訳がわからないのか。 とりあえず書き下しのみですが、 知行方 七拾八貫六百二六文 三浦小坪郷 二拾二貫三百二十八文 同所岩戸村 以上百拾貫九百五十文 但し、不足に付きては、年々御約諾を弁じらるべし 二拾貫文 蘆名郷、戌十一月御褒美として下され、以上 梶原本知行の辻、 六拾七貫六百文 佐竹方 三三貫四百文 三浦公郷寺分 拾六貫文 同所公郷寺之内領上分 以上百拾七貫四百文 但し、不足に付きては、年々御約諾を弁じらるべし、 百貫文 現揚 以上 合三百四拾八貫三百五十文 この外、須江小澤御年貢、右の二百貫文知行検見の上、不足銭の足銭に之を定めらるる者なり 右、かくの如く落居せしむ上は、海上の儀、一廉走り廻り、肝要たるべき者なり、よって状件の如し 永禄六年 癸亥七月十一日 氏康判 梶原吉左衛門殿 東国のことについては詳しくないので、なんとも言えませんが、 個人的には、三浦小坪郷・同所岩戸村・蘆名郷については、梶原氏の本知行としていることが興味深いですね。 氏康の大意は最後に出てますね。 知行について以上のように決着したからには、海上での活動(警固活動)をしっかりやりなさい。 と。 梶原氏に警固活動を命じたものの、知行の揉めごとが原因で実行できていなかった。 あるいは、知行紛争を解決するために警固活動をさぼって、氏康の言質を得ようとした。 などの背景が考えられますが、関連史料を見ないと確かなことは言えませんね。 永禄6年当時に海上勢力が必要とされる戦いがあったのでしょうか。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>上に挙げた文書なのですが、この文書の書き下しと訳をお願いできないでしょうか? 八十九 北条氏康半物写 はちじゅうく ほうじょううじやす はんものうつし *はんもの=未だ完全ではないが・・・とりあえず(このようにしようとする)こと。 *未だ本決まりではないが、このようにしようとする(ものの)写し。 知行方 ちぎょうかた *所領地として 七拾八貫六百二六文 三浦小坪郷 ななじゅうはっかんろっぴゃくにじゆうろくもん みうらこつぼごう *三浦小坪郷では七拾八貫六百二六文に値する年貢が取れたのでしょうね。 二拾二貫三百二十八文 同所岩戸村 にじゅうにかんさんびゃくにじゅうはちもん どうしょいわとむら *三浦の岩戸村での収入。 以上百拾貫九百五十文 但、不足ニ付者、年々可被辨御約諾 いじょう ひゃくじゅっかんきゅうひゃくごじゅうもん ただし、ふそくにつき もの、ねんねんひべんおやくだく。 *以上百拾貫九百五十文を与えるが、それでも十分でないので、人を出させて庶務をさせることと約束させた。 *辨=べん(弁の旧字)=役所内の文書を取り扱い、諸国からの上申書などを取り扱う者。宮中では「太政官」に属する役職。ただし、この文章では、文書的雑務を行う者と考えて良いでしょう。 *つまり、百拾貫九百五十文では不足なので人手もだすことを約束する。で良いでしょう。 二拾貫文 蘆名郷、戌十一月為御褒美被下、以上 梶原本知行之辻、 にじゅっかんもん あしなごう いぬ(年)じゅういちがつごほうびひげのため いじょう、かじわらほんちぎょうのつじ、 *二拾貫文 蘆名郷を戌(年)十一月ご褒美として下されたため、以上も梶原本知行地とします。 *辻=飛び地、周りを囲まれた中の一点。 六拾七貫六百文 佐竹方 ろくじゅうしちかんろっぴゃくもん さたけかた *佐竹方=そういう地名だと思われます。佐竹さん・・・と言う意味ではなさそう。 三三貫四百文 三浦公郷寺分 さんじゅうさんがんよんひゃくもん みうらこうごうじぶん *三浦に「公郷寺」というものがあったのでしょう。そこの寺領。 拾六貫文 同所公郷寺之内領上分 じゅうろくかんもん どうしょこうごうじのうちりょうじょうぶん *領上分・・・公郷寺の寺領のうち上等な土地が拾六貫文分あったのでしょう。 *昔は、田畑においても収穫量に応じて「上田」「中田」「下田」などと分けていました。 以上百拾七貫四百文 但、不足ニ付者、年々可被辨御約諾、 いじょうひゃくじゅうしちかんよんひゃくもん、ただし、ふそくにつきもの、ねんねんかひべんおやくだく、 *以上百拾貫九百五十文 但、不足ニ付者、年々可被辨御約諾と同じ。 百貫文 現揚 ひゃっかんもん げんあげ *百貫文は現金で。 *揚=あげ、現金のこと。揚げ銭=賃金など銭に関係する。 此外須江小澤御年貢、右之二百貫文知行検見之上、不足銭之足銭ニ被定之者也 このほか すえおざわ おねんぐ、みぎのにひゃっかんもんちぎょうけんみのうえ、ふそくぜにのたしぜににひていのものなり *この他、須江小澤の年貢の二百貫文を領主が毎年稲の出来具合を調べた上で、不足銭のたし銭として定める者なり、 *つまり、須江小澤の年貢の二百貫文も、不足分を補うために与える者なり。 右、如此令落居上者、海上之儀、一廉走廻、可為肝要者也、仍状如件 みぎ、ごとくこのれいらく きょじょうのもの、かいじょうのぎ、いちれんそうめぐり、かなすかんようのものなり、じょうじょうのごとしけん *令落=命令を下す。 *居上者=ここに書かれた者。 *海上之儀=海上(交通)の儀(については)。 *一廉走廻=何の支障もなく通行すること。 *可為肝要者也=重要な役目を果たす者なり。 *仍状如件=この件についてはこの書状の通りである。 永禄六年 癸亥七月十一日 氏康判 梶原吉左衛門殿 これはもうお分かりですね。 つまり、梶原吉左衛門と言う人への領地を与える証文のようですね。 これが高いか安いかは、少々不明ですが、まあ、割合優遇とれた人物のように思います。