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【汝裁く莫れ】他人への固定的判断とその克服方法
- 日本の昔にもその傾向がありましたが、国政や統治のための、国民感情を把持していくには、仮想敵国に対する煽り立ては麻薬的に有効です。
- 先の大戦後、ある意味で当然ですが一国を統率して国際の中で伍していくために、国民の統率が大事な課題となっている東アジアの諸国があります。
- 仮にその支えとなっている反日思想を除去してしまった場合、そういう国々の国民の心の支えは空しくなり、ふらついてしまうでしょうか?
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断言というか、、、要するにニーチェはこんなことを言いたかったんじゃないかと。 例えば目の前にバナナらしきものがある、しかしこれは幻想であって実は無いかもしれない。 でも、存在するように見える。 腹が減っているように思えるが、目の前にあるものが本当にバナナで、本当に自分は腹が減っているのなら、このバナナを食べるとハッピーになるかもしれない。 が、しかし、、、、 と迷ってないで、バナナだと思えて、腹が減っていると思えたら、 「目の前にあるのはバナナ、そして私は腹が減っているから食う」 でいいってことじゃないかと。 どっち着かずで疑ってばかりいても前に進まないじゃないですか。 「やはり偽者か」となるか「うめー」となるかは、バナナだから食おうってアクションを起さないと、永久に本物なのか偽者なのか わかりっこないじゃないですか。 遠くから眺めているだけでは、何も進展無いじゃないですか。 イエスの話は、、、 ニーチェ流に、とにかく解釈を試みないことには、何も始まりませんので、<新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れる> ってことの表現がこの箇所だと思います。 つまり古い体制の集団に新しい思想をもってきても、古い体制はそれを受容できない。 だから、新しい思想は新しい人種にもっていく。 というのが、その例えだと思います。 例えば古い体制の集団に新しいアイデアをもっていっても、今までとは違うので、拒絶されるでしょ? 古いので柔軟性が無く、変わることを恐れる老人なわけです。 しかし 心が若い つまり柔軟性がある人なら、のびるので取り入れられる。 従ってアイデアを拒絶されたとしても、それは正しくなかった証では無いこともあるわけです。 古い体制にそぐわないだけの話。 新しい柔軟な精神を持った人達が、時代を動かしていくわけです。 これを思想の脱皮と古代から表現されているわけです。 蛇信仰は爬虫類の蛇を神様だと信仰しているのでなくて、古い思想からの脱皮、つまり生まれ変わるって概念。 <そのために> 一旦形を作らなければならないわけです。 そして自ら形どったものから脱皮する。 それを繰返してきたんです、人類は。 あ、木胡桃。 これ コケモモって読んでましたけど、きくるみなんですね。 いただきまーす。
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- 雪中庵(@psytex)
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そうした手法の崩壊の最大の例は、ソ連体制の崩壊でしょう。 社会性(分業化&組織化)の発達と拡大による情報と物流の グローバル化において、1つには政府を通さずに他国の状況を 知り得るようになり、もう1つには国家そのものの意味が希薄化 することによります。 分業化の発達により、世界全体が1つの生命体となっていく時、 1国のみの繁栄という事はあり得ず(戦勝で土地を支配しても 工業生産施設を破壊し、労働者の(肉体労働ではない)創造力を そいでは)誰も得しないのです。<政治家の自覚だけが遅れている
お礼
ありがとうございました。
補足
psytexさんご投稿ありがとう。 国や国際かんけいのことは、質問に引用してある通り、歴史のカテで教えをおねがいしております。 社会主義国の崩壊の事情は、ご指摘の当てはまることもありましょう。 どうも質問の趣旨がなかなか通じなかったかと存じます。
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お礼
あぁそうですか。実行性、積極性の面からも受け取ることが出来るのですね。 木胡桃さんは本当に、私の界とは異なる界からのお話で開けますね。 蛇信仰。私たちもラージャ瞑想ヨガをやっていますが、蛇はプラナというか生命と意識の力で、その統率がまぁプラナヤマってやつですね。 パタンジャリでいうと四番目段階。ヤマ、ニヤマ、アサナ、そしてこれ。頭蓋の大脳に入ってプラチャハラ集中、ディヤーナ瞑想、サマディの一体ですね。 水神は確かにそう爬虫類、インドは竜でなく蛇ですね。ブラフマも不顕現の時には蛇を従えて静に座す。 何度も顕現しまた、自己に溶解させる。そんな回帰性が蛇ですね。 木胡桃って苔桃のことでしたか。博識だなぁ。 百万年も少女でいる仙女みたいだなぁ。