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自分に対する罰はどれくらい必要か
20代の男性です。 どんなことに対してもというわけではないのですが、わりと私は部分的に神経質になりがちなところがあります。 例えば以前私は、故意かどうかにかかわらず、他人に危害を加える可能性がある、ある行為に関して、個人を攻撃したわけではないですが、「こういうことをする人がいるのが信じられない、もっと罰則を強くしてもいいんじゃないか」と、批判していました。 しかし、ずいぶん後になってから、程度は低く、誰かに危害を加えてしまったわけでないですが、あるきっかけで批判した人たちと似たようなことを自分もしていたことに気付きました。そのときは、そんなに問題があるという自覚もなかったので悪いことだとは考えませんでしたが、いまになって批判していた自分に対する嫌悪や、無自覚に対する羞恥のような感情がこみあげてきました。これも、人によっては大げさというかもしれない話なのですが。 具体的にどういうことなのか、言及は避けますが、誰かに迷惑かけたわけではないのだから、反省して同じことをしないようにすればいいじゃないかと自分では考えていたのですが、もしそれで一大事になっていたらどうするんだという、思いもあり、自分を罰したほうがいいのではないかという気持ちもあります。 しかし、自分を罰するといっても何かそれが自己満足の意味のないことのような気もするし、「批判していたくせに自分は反省するだけか」、という要罰の内なる声もあります。 多分普通なら、私が批判したようなことはやっちゃいけないが、私がしたことくらいならみんなやってることだとか、私がしたこともやらないほうがいいことだがそんなに重く受け止めることではないとか、あるいは、私がしたことくらいなら反省して同じことをしなければいいという考えをもつ人が多いような気もします。 正直、自分を責めることにも疲れています。自分では判断がつけづらいのですが、特定の過ちを犯したら自分を罰する必要があるという固定観念がなぜかしみついています。他人が気付いていなくてもあるいは被害を被っていなくても、自分が悪いことをしたら、自分を罰する必要があるでしょうか。 少し、考えすぎだと思うのですが、このもやもやを解消できるお答えをお待ちしています。 では、よろしくお願いします。
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- pate_brisee
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こんにちは。 いまお持ちの感覚は、罪悪感 といいます。それは、不安感、などとおなじくくりに入れることができる、人にとって必要な感情です。いっぽう、まったく反対の感情もあります。たとえば、積極性とか、自己肯定感です。 罪悪感や不安感のような、否定的な感情にも意味があります。罪悪感は、罪を抑止する力をあたえます。不安感は、衝動的な軽率な行動をおさえる効果があります。しかし、こういった否定的な感情に長く左右されると、人間は生きにくいものです。 生きにくいことは悪いことではありません。また、罪悪感や不安感をつよくもつというのは、繊細な人柄だということなので、そういった人は、他者に寛容だったり弱者に配慮があることが多く、社会の潤滑油となりえます。ただ、肯定的で生きやすい人のもつエネルギーが、人を多く幸福にすることは確かだと思います。 罪悪感に苦しんでもいいです。しかし、だれかを傷つけたわけでもないなら、自分を罰する、と考えるほど否定的な方向に悩むのは、すこし行きすぎのような気もします。一つの解決策として、普遍性のある本を読んでみる、ことと、余裕があり信頼のおける友達に、罪悪感の内容を話してみる、この2点をおすすめします。 普遍性のある本が罪悪感解消に効果的なわけは、「いまじぶんが悩んでいる内容は、500年前から、2000年前から多くの人が考えてきたことなんだ」と、じぶんの悩みを客観視できるからです。また、友達に話す効果も、客観視というおなじ効果がありますが、こちらがより効果的なのは、じぶんを否定しないで受け止めてくれる相手の存在を感じられるからです。 罪悪感を感じること、自分の弱さを知ってその償いをしようとすることは立派です。でも、あまり自分を責めすぎないようにしてください。
- qpu1iwr9
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私の何気なく祖母が言っていましたが、 「知ってて悪いことするのと、知らずに悪いことをするなら、あとの方がタチが悪い」 とのことです。 ざっくばらんな人なので、なぜ、そうなのか、なんて言ってくれませんでしたが、なんとなく私もそう思います。 さて、質問の答えですが、私は >反省して同じことをしないようにすればいいじゃないか という考えに賛成します。 これが正しいことかどうかは、私にはわかりませんが。 でも、「悪いことをした・・・・・」と自分を責めて、自分を罰して、まるでハリー・ポッターに出てくるドビーのようなことを繰り返していたら、周りの人も迷惑だと思います。 誰だって、 「僕は悪いことをしたんだ・・・悔い改めないと」 と、反省しっぱなしで、自分を責めてばかりにいる慇懃すぎる人間と一緒にいると気分も暗くなります。 そんなネチネチネチっこいやり方はやめて、潔く、 「もう、やらない」 と、決めるのが爽やかな解決方法ではないでしょうか。 参考になれば。 失礼致しました。
お礼
回答ありがとうございます。 >という考えに賛成します。 これが正しいことかどうかは、私にはわかりませんが。 ありがとうございます。友人に相談したところ、それでいいという落とし所になりました。 あんまり、過去を引きづらないようにしたいと思います。 ありがとうございました。
- 2080219
- ベストアンサー率32% (627/1954)
こんにちは。 ご質問の趣旨は「もやもやを解消したい」ということですので、 そういうことでしたら、白黒ハッキリとした答えをお求めのはずです。 ご自身を罰するべきです。 あなたご自身も危惧為さっているように「自己満足」に陥らないためにも、 ボランティア活動を行ってください。 目的は他者の救済ではなく自身を罰することにありますので、 ”仲良しボランティア”の類ではなく、 無償で労働を行うボランティアを選んでください。 Yahoo!などのポータルサイトでボランティア募集の検索ができますので、 なるべく、キツくて嫌なものを選んでご自身に罰を与えてください。 ではでは。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、自分を罰したほうがいいということですね。 それもありかなとは思います。 参考にします。 ありがとうございます。
- sk1452m
- ベストアンサー率15% (5/32)
悪いことを含めた自分がしたことは結局、巡り巡って自分に帰ってくると思います。そういった点から考えると自分が行った発言•行動に対して必要以上に自分を戒める必要はないと思います。が、振り返りや反省は大切だと思います。 また、自分の行動や発言には常に責任が伴うので行動や発言を起こす前によく考えた方がいいです。自分の行動や発言が原因で逆恨みされて殺されることだってあるんですから。 もうひとつ言えるのは周りに叱ってくれる人がいるかどうかです。悪いことに気付けないで悪いことをしてしまう人はたくさんいます。自分ではなかなか気づけないのです。だから人に意見を求めて自分を改める努力をすることも大切です。時間がかかるし面倒なことですが。もちろん、相手を選ぶ必要もありますが、あなた自身が良き心の持ち主であれば、誰に相談しても大丈夫だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 因果応報というやつですね。幸いに周りに話してくれる相手がいますのでその人たちに相談してみました。 結果、なんとかなりました。 ありがとうございます。
お礼
>罪悪感に苦しんでもいいです。しかし、だれかを傷つけたわけでもないなら、自分を罰する、と考えるほど否定的な方向に悩むのは、すこし行きすぎのような気もします。一つの解決策として、普遍性のある本を読んでみる、ことと、余裕があり信頼のおける友達に、罪悪感の内容を話してみる、この2点をおすすめします。 ありがとうございます。 友人と話して解決しました。あまり、必要以上に深刻に考えないように森田療法という考え方の本を読んでみたいと思っています。 ありがとうございました。