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自分の確認
人はいろんな仕方で自己の根拠をしっかりさせたり、確認したりしたがりますね。 その仕方には、功名や名誉、業績、或いは力などによる場合ももあるようです。しかし時として相手や他人を自分の下(いろんな位相での比較や見方がありましょうが)や劣っているものと、思い為した自己の存立を確信したいという心理もあるかのようです。 古い、受け入れている友人にそんな心理があったことを気づいたときは、私は静かに心の決別をせざるを得ませんでした。つまり全面信頼ということを終了しました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4140126.htmlで欽差大臣(全権大使)・李 鴻章氏についての逸話について質問をだしました。 すばらしいご回答を頂きましたが、ご紹介の一部HPには欽差大臣(全権大使)・李 鴻章氏の負け惜しみの心理からの解説がありました。 私は欽差大臣(全権大使)・李 鴻章氏がそんな立場や心境でもありえないので、それは残念ながら私たち先人同胞の創作的解説と判断しております。しかしてお教えいただきたい質問は、・・・ 1. 私のかかる判断はやはり誤謬でしょうか。 2. もし、私の判断が中らずと雖も、遠からざるならば、私たち先人同胞のみなさんは、やはり対外的に見下したい、という気持ちがあった。 3. そしてその見下したいという心理は多分に、当該国に限らない、対外的敵愾心で一致団結しなければならない、という発展途上の国としてはやむを得ないことであったのではないでしょうか。 長くて申し訳ありません。
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- hakobulu
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1、 創作的解説である可能性も、そうでない可能性も両方あるように感じます。 「李さんは河だとおっしゃいましたが、実はこう見えてこれは海なのです。」 と説明すれば、 「あ、そうでしたか」 で済む話だったとも思われるからです。 つまり、河と信じ込んでいる場合に、瀬戸内海という名称がおおげさに感じられるのは至極もっともな感覚ということもできるでしょう。 しかし、そのことを殊更一大事であるかのように慨嘆してみせた、という解釈が全く妥当性をかくものとすることも難しいでしょう。 負け惜しみであった可能性も捨てきれない、ということだと思います。 2、 1において、どちらの場合にせよ、負け惜しみの無意識がなければ、そのような(相手方が気を悪くするような)発言にはなっていなかったでしょう。 その意味では、李さんの心理を正しく表現していると解釈できるように思われます。 たまたま敗戦側だったために負け惜しみということになるわけですが、戦勝国側の人間が同じことを言った場合は、侮蔑の心理とでもいうことになると思います。 (無論、その発言自体が捏造であった場合は別ですが) これは結局迎えた側の心理を投影している(自分たちも同じようなことを同じような心理で言うであろうという無意識的同感)と言わざるをえないわけですが、「そうせざるを得ない」という心理に関して言えば、負け惜しみと認定することに左程無理があるとも思われません。 しかし、さらに言うと、相手のそんなつぶやきを殊更に捉えて感想を述べる、という点においては、おっしゃるように「見下したい、という気持ち」があったこともまた否めないと思います。 3、 対外的に団結するためにやむを得なかった心理ということは確かにあるでしょうが、まさに人間自体が「発展途上」の進化段階に停滞しているという事実に由来するのであって、他者と比較しなければ自己の存立基盤を築けない相対的価値観のなせる業と捉えるほうが適切かもしれない、などという感想を持ちました。
自分らしさを確認したい。自己実現ですが、それにより、自分の確認をしたいということかもしれません。ユング人生後半の課題といわれてます。といったことかもしれません。茂木先生の本を参考にできるかもれれません。
お礼
物事の成り立ちの相似性という原理から、事の性質とあり方は異なりはしますが、国も個人もそれぞれがいろんな背景と色合いの中でかかわり合うものですね。 歴史と人間の進歩の基本的で難しい課題だと、時につけ折につけ、その難しさを感じておりますものですから、質問にてお教えを頂きたかったのであります。 ありがとう御座いました。今後ともどうかお教えくださいますように。
- vanreturn
- ベストアンサー率9% (6/63)
あんまり考えすぎるとつまらなくなりますよ。友達との決別って、受身でいるタイプじゃないですか。友人であるなら、言うことは言わないとね。同胞だの何だの、と言うところは意味がわかりません。
お礼
あまりご理解をいただけなかったようですね。 受身では生きてこなかったし、そういう次元のはなしではありません。 同胞というのは私たちの先人、日本人同士のことですが。 考えすぎてはいませんでね。 他人の頭をちぃと下にしなと気のすまない原則を、外部的に見下げながら見ております、静かにね。別に同って思っていないですが、人間の発達のネックでしょうね。 いろなところでありますよ。発展途上では仕方ないですが。 友人とはね、今も当然昔のままで、打ち明けあっていますが。 当然私の気持ちに抱擁しております。含んでおります。ご安心ください。
補足
不肖なる私も他のところで、心無い回答をした経験がありまして、やはりばかばかしいとこちらで思う、質問もいろんな位相、次元があるのでしょうね。 自分でそう思ったら、そのご質問に対して、心無い回答よりも何か工夫した言葉をお送りしたいと存じております。
お礼
冷静公平にして、達観したご結論を頂き、感謝申し上げます。 いろんな情報の中で、狂ったように一途になる面もある庶民の一面には、こういうことが無色やバイアスなく響くものでもないので、歴史の歩みの中ではhakobulu様の寛いだ、冷静公平な在り方がほしいところと存じます ありがとう御座いました。