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正9角形の作図について
- 正9角形の作図についての解説と質問です。
- 正9角形の作図は難しい問題ですが、作図可能性と正9角形の性質について考えています。
- 正9角形の作図に関する質問と、正9角形の性質の一つを紹介します。
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No.3の者だが、私の意見も述べることをお許し頂きたい。 これ以上の話はもう、一種の宗教戦争(『思想信条を押し付けあうだけの、精神的疲弊のみが残る不毛な論争』という意味での)になりかねないので、余り乗り気ではないのだが・・・。 カントール曰く、「数学の本質は、その自由性にある」と。これは集合論について言われたことだが、幾何学でも同じことである。 いわゆるユークリッド幾何学の許す、古式ゆかしい作図の方法では不可能であったことが、他のどのような方法を許せば可能になるのか、その新たな方法を探るというのも、また一つの数学の方法である。 (さらに言えば代数学でも同じである。例えば、代数的には一般的解法のない5次方程式だが、ある特殊な関数を導入することで一般解を書き表せると耳学問に知ったことがある。) 作図が不可能であることを証明すること、ユークリッド的な作図の限界を探ることと同様に、敢えて許される手段を少しずつ拡張することで新たに何ができるようになるのか探ることにも数学的有益性はある(もちろん、『何でもあり』のやり方は厳に慎まれるべきであるが)。 自分の作図したいものが本来の作図法では不可能であるならば、新たな方法を探すなり、何なら自分で開発して試してみるのも、教育的に悪いこととは思わない。 スポーツに例えて言えば、ある学生がフットボール(サッカーの原型らしい)の試合中に、ルールでは許されていないのにボールを抱えて相手ゴールへ突撃してしまい、しかしそれが面白そうということになってルールに書き加えられ、それがラグビーという新しいスポーツになった、ということがある。 御存知のように、今でもサッカーはサッカー、ラグビーはラグビーと、異なるスポーツとして楽しまれている。それと同様に、従来の作図法と質問者のような新しい方法での「作図」は、別々のものとしては両立できる。 残念ながら、正9角形はコンパスと定規を本来の方法で用いる方法では作図不可能なのは、宇宙が始まる前から決まっていたとしても良いほどの事実である。 しかし、だからこそ、本来的でない正9角形の作図に作図の条件を緩めて挑むことに数学的興味が出てくる。 質問者も、「作図不可能」という厳然たる事実は踏まえつつ、色々な方法で挑んでみれば良いと思う。 最後に、本来の質問から離れたことばかり記したお詫びに、私のかつて考えた「作図」を披露しておく。この方法は、一般の正n角形へも応用可能である。 もちろん、本来許される方法ではないが、考えること自体は頭の体操としてはかなりのものである。 (1)まず、大きな円の中に、作図可能なことが分かっている正12角形を描く。 (2)この正12角形の12個の頂点と中心とを結ぶ線分を引く。 すると、全て合同で、一番小さな角が30度であるような二等辺三角形12個からなる図形が描かれることになる。 (3)この図形のうち、連続する9個分の二等辺三角形を、まとめて切り出す。 (4)この切り出したものを上手く貼れば、丁度正9角錐の側面が完成する。 (5)この立体の底を平らな面に押し付ければ、底面が正9角形をなしている。
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- alice_44
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←No.5 補足 ずいぶん攻撃的ですね。 (1)について: 読み取ってもらえなかったようですが、 「私の言葉」は、『証明を重んずるからこそ、 数学は凛として美しい。』です。ですから、 作図不能が証明されているのは解っているが、 それでも作図することに夢を感ずる …という貴方にとっての「夢」は、 私にとっての「夢」とは全く違うな …と感じ、そのことを書いてみました。 夢は、人それぞれです。 (2)について: 「作図」という言葉の定義を変えて、 何らかの意味で「作図」しようという アプローチは、否定しません。 むしろ、たいへん面白いと思います。 ただ、私の個人的な趣味から言うと、 定規を回したり、滑らしたり、 アルキメデスの螺旋を使ったり、 そういったギミックに凝る手法よりも、 『線分同様、円弧も等分可能とする』と規約 してしまうほうが、簡潔かつ強力かと思います。 「紐を使って」と書いたのは、そういう意味です。 「角度」という概念を導入して、 平面図形としての「角」そのものの代わりに 数値で扱う…というのは、そういうことだと 思います。 これも、「私の言葉」です。
お礼
回答ありがとうございます!! 私自身、ずいぶん攻撃的だったなと思って反省しています。もう回答してくれないかとおもったのでうれしいです。 >『証明を重んずるからこそ、数学は凛として美しい。』 私もそう思います。数学の完全性は美しいですよね!!私もそこに引かれる部分もあります。 >「作図」という言葉の定義を変えて… これは違います。今は作図できないだけなのです。ただ書けるだけなのです。目的は作図にあります。本当にもう少しだと思うのであきられられないのです。 >そういったギミックに凝る手法よりも… 確かに紐を使ってしまえば簡単です。それなら誰でもできますしね。しかし私は実用的に正9角形を作りたいわけではないのです。どんな人でもコンピュータでも正確な図形はかけませんよね?図形というのは抽象化されたものです。だからコンパスと定規で作図するというのは正確な図形がほしいからやるのではなく、こうすればかけるという論理性がほしいのです。 失礼ですが、性質の方、読んでいただけましたか?文面を見る限り読んでいただけてないかと思いまして… それにしてもこうやって他の人の意見を聞いているとだんだんできる気がしなくなってきました。
- alice_44
- ベストアンサー率44% (2109/4759)
No.3 補足 > まあ、これでは作図とは呼べませんが 解っていて、敢えてやっているんですね。 タチが悪いというか、却って清々しいというか… 「コンパスと定規で作図」というとき、 コンパスと定規の使い方は決められています。 コンパスは、与えられた一点を中心として 与えられたもう一点を通る円周を描くこと 以外に使ってはいけないし、 定規は、与えられた二点を通る直線を描くこと 以外に使ってはいけない。 原点を通りながら定規を回転させることや、 コンパスの脚を 40°に開けるように分度器を 付けておくことは、許されていないのです。 ルールがあるから、ゲームは面白いんですよ。 何をしても良いというのなら、螺旋も結構ですが、 ヒモを使って、線分の 9 等分を円周の 9 等分に 移しでもしたほうが、ずっと簡単です。 ← これが(2)への回答 もちろん、それは「作図」ではありませんが。 No.4 補足 > わたしは 40°が作図可能だともおもいません。 > しかし結果的に 40°が作図されててもいいと思うのです。 > 僕も自分で言ってて矛盾だなと思います。 > ただ、夢(作図)をあきらめたくないのです。 そういうのも、あるいは「夢」なのかもしれませんが、 正 9 角形が作図不能である なんてことが 厳密に証明できてしまう ということには、 もっと大きな夢があると、私は思います。 ← これが(1)への回答 ヒルベルトの語った「我々は知らねばならない。 我々は知るであろう。」という夢が、単なる夢物語 であったことは、ゲーデルが証明してしまいましたが… それでもなお、信じることは情念ではなく証明によって主張する という数学のスタイルは、凛として美しく思えるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 ちなみに作図の定義は書かなくてもわかってます。 >解っていて、敢えてやっているんですね。 僕はこの方法で「作図できる」なんて書いていませんよ。 ただ「かける」と書いたのです。ちゃんと意識しています。 >ルールがあるから、ゲームは面白いんですよ。 何の話ですか?ゲームって >何をしても良いというのなら 誰がいいましたか? >ヒルベルトの語った「我々は知らねばならない。 >我々は知るであろう。」という夢が、単なる夢物語 >であったことは、ゲーデルが証明してしまいましたが… 数学者の言葉はいらない、あなたの言葉がほしいと書いたのは、このようなわけのわからないことを書く人がいるだろうなぁとも思ったからです。 >それでもなお、信じることは情念ではなく証明によって主張する 私はできる限り証明をしましたが?質問文の下のほうに書いてある通り。 しかも文の意味自体分かりません。信じることは主張する? このように作図が不可能だという構築主義にだけ基づいた回答は建設的ではありません。 別に怒っているわけではないんです。 ただ文面を見る限り、真剣に考えてくれたのか、ただ否定したいだけなのか、チャカしているだけなのかわからないのです。 私は小学生の頃から正9角形の作図を試み、誰にも負けないくらい考えてきたつもりです。 それだけに中途半端な回答は見たくないのです。
- kabaokaba
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>一辺の長さが求められたら単位円ですので >それを円に沿って9倍したら正9角形がかけます。 「円に沿って9倍」というのは何でしょうか? 作図の作法に合致する操作ですか? なんどでもいいますが,角度をどう作るかが本質ですよ. ぶっちゃけた話,40度(90-40=50度でもいい)が 作れればいいのです. 「80度が作図可能ではない」と言ってるのに 正九角形が作図可能というのは矛盾ですよ. 「正九角形が作図可能」は「外角の40度が作図可能」と同値. 「40度が作図可能」は(倍角の公式で) 「80度が作図可能」と同値です. 私としては,No.3さんと同意見で あなたの結論自体は間違ってるよと指摘しますが, あなたの考察に対しては敬意を表します. こういう考察はすばらしいです. No.3さんの指摘にある「アルキメデスの螺旋」とか面白いですよ. ついでにいうと,この作図不可能性は ガロア理論という代数の理論で証明するのが定番ですが この理論,実は高校生でも ちょっと背伸びすれば概略は追えます. 多項式の割り算と余りの計算を巧みに使う極めて精巧な代数です. まあ,代数は苦手とかいわずに, きちんと勉強しておかないとあとあとつらくなります. 数学は科学の言葉,代数は数学の言葉ですから. >それが有理数(2ですが)と関係があるところにぼくも不思議なのです。 こういう関係はたまにでてきます. 一番有名なのは,なんといってもe^{iπ}=-1ですな. 吉田武氏の「オイラーの贈り物」とか読んでますか?
お礼
またの回答本当にありがとうございます!! 少し言葉が足りませんでした。 たとえば単位円(ここでは自分が決めた長さを1とします)上に正六角形をかくとします。 そのとき確かに60°が分かれば作図できますが 一辺の長さ(この場合は1)が分かっていても作図できますよね。 単位円上の任意の点にコンパスの針をさし円を書いてその円と単位円との交点にまたコンパスの針をさして… とやっていくのです。作図では普通に使う手だと思いますが。 確かに正n角形というくらいだから角度が等しいのは当たり前ですが、 一辺の長さが等しいのもまた性質です。 ですから角度にわたしはこだわりません。実際に作図するときに見えるのは角度ではなく線分ですから。 わたしは40°が作図可能だともおもいません。しかし結果的に40°が作図されててもいいと思うのです。 僕も自分で言ってて矛盾だなと思います。ただ、夢(作図)をあきらめたくないのです。 私は代数は苦手ですが、複素数とか四元数とかは大好きで、(まあ、図形っぽいし…) オイラーの公式は本当に不思議ですよね。 でもそれと同時に当たり前とも思えます。 学問はもともと1つでそれを分割して今のように多様な専門分野ができますよね。 それぞれの分野の一見関係なさそうなトコが1つの式でつながるのはむしろ学問を分けた人間だから不思議に思うのであって、 自然はそれを当たり前のことだと思ってるんじゃないかなって。 ガロア理論、今度調べてみます。 できればまた回答お願いします。
- Ginzang
- ベストアンサー率66% (136/206)
一応、大学で数学を学んだものの意見である。 (1)もし私に、No.1氏の言うような知識が無かったとしても、(正5角形の作図がちょっと大変なのを知っているので)正9角形なんて無理だと思うだろう。 ガウスが作図方法を示した正17角形も、「理論的には描ける」と知っている今でも「自分には無理だ」と思っているくらいである。 (2)図がないので完全に理解したとは言えないのだが、数学愛好家としてはなかなかの考察だと感じた。 ただ、作図上の疑問がある。 >原点を通り、y=√3/2、x=1/2とのそれぞれの交点の距離が2(円Oの直径)となるように直線を定める。 多分この直線は、コンパスと定規だけでは作図不可能ではないだろうか? この作図が可能なら、確か、任意の角の3等分が作図可能、ということになってしまうのであるが・・・。 ともかく結論としては、質問者の考察は、大変残念ながら、過去の無数の試み同様に、正9角形の作図可能性を肯定できるものではないようである。 しかし、この思索を通じ幾何学への造詣を深められたのであれば、それはかけがえのない体験になっただろうし、悲観することはない。 >とにかく僕は人間が考えるよりも前に図形自体が何か人間に語りかけているような感覚に陥るのです。 なんて、なかなかない素晴らしいことだと思う。 最後に、質問者はすでに御存知かもしれないが、「アルキメデスの螺旋」という角のn等分を可能にする曲線の存在を示しておく。 これを使えば、任意の正多角形を正確に描ける(しかし、本来の意味での作図にはならないが)。
お礼
丁寧に読んでいただきありがとうございます。 私は高校生ですので、大学生で数学を学ばれた方のご意見は大変参考になります。 (1)の回答について、正17角形の作図は私も不思議です。 正17角形が作図できるなら、正9角形の作図くらいできてもいいのに… (2)の回答について インターネット上ではこの方法を示したのは初めてですので本当に返事がうれしいです。 Ginzangさんが疑問に思われた点ですが、原点を通りながら定規を回転させるのです。 そしてあらかじめコンパスを2の長さにとっておいて、調度前に説明で示した長さが コンパスの長さと等しくなったときx=1/2に印をつけます。そんな感じです。 まあ、これでは作図とは呼べませんが描く事は可能ですよね。 ですからあと問題はそこだけだと思うんです。もう少しだと思うんです。 アルキメデスの螺旋早速調べさしていただきます。 できましたらまた回答お願いします!!
- kabaokaba
- ベストアンサー率51% (724/1416)
>一応この方法では、正9角形をコンパスと定規(目盛りなし)で描くことが可能です。 本当ですか?計算を追いかけてはいないけども 一辺の長さが作図可能でも, 角が作れなければ作図できません. 実は作図可能性で大事なのは一辺の長さではありません. 角度の方です.次に注目するのは「比」です. 正九角形の場合は「50度」です. 一点が定まっても作図できません.3点が必要です. ちなみに80度,260度,220度も たぶん作図可能性には反する角だと思います.
お礼
ありがとうございます!! 一辺の長さが求められたら単位円ですので それを円に沿って9倍したら正9角形がかけます。 図がなくて文字だけだと分かりにくいですよね。 おっしゃるように80度,260度,220度は作図不可能ですが、 それが有理数(2ですが)と関係があるところにぼくも不思議なのです。 (読んでいただければ分かると思います) ぜひまた回答おねがいします!!
- kabaokaba
- ベストアンサー率51% (724/1416)
>私は作図はできると思います。 >なぜなら、コンパスと定規でプロットできる点、線分は無数にあり、さらにその点、線分同士を結んで >できる新たな線分もあり、有利数倍、無理数倍して、さらに角度も考えたりして…線分と線分の交点同士を結んでもいいかな。 残念ですができません. その証明のアイデアはまさに上に引用した考え方です. コンパスと定規で点を求めるというのは結局のところ ・円と円の交点(せいぜい四次方程式をとく) ・円と直線の交点(せいぜい二次方程式をとく) ・直線と直線の交点(せいぜい一次方程式をとく) ということです. ですので「任意の無理数」は作れないのです. せいぜいできて,2乗根・4乗根・8乗根・・・ 2^n乗根(の組み合わせ)です. 正9角形,つまり 50度の三角関数の値はこの手の数ではないのです. このように「作図可能」というのは 「点を見つける」こととなり さらに「二次方程式の解を求めることの繰り返し」 という形に変換されるのです. これを徹底的に議論すると 実は作図可能な正n角形は 「フェルマ素数の積」*「2の累乗」という 形のnに限定されてしまい, 9 = 2^3 + 1だけども, これは素数じゃないからダメです. #オイラー関数というのを使うときれいに条件がかけます
お礼
回答ありがとうございます!! しかしこの証明(概要)は何度か見ました。 その上でやはりあきらめきれないのです… ちなみに正9角形の性質の方は読んでいただけましたでしょうか。 一応この方法では、正9角形をコンパスと定規(目盛りなし)で描くことが可能です。 (近似値ではなく) その点も含めてもう一度回答いただけたらうれしいです。
お礼
回答ありがとうございます!! >数学の本質は、その自由性にある そうなんですよね。数学は確かに厳密だけども自由でもある。そんなトコも大好きです。 Ginzangさんのご意見、少し勇気をもらいました。 僕もなにか新しいことをしちゃいけないことはないですもんね。(才能とはまた別に) 今も新しい案が浮かびました。たとえばGinzangさんが示した手法を実際に紙の上でやるためにそれなりの変換(対応)を作り出すとか。複素数みたいに回転に特化したものなら不可能なこともないと思うんです。 それが作図になりえるかどうかは分かりませんが、一般性を高めたり、何かしら得るものはきっとありますよね。 またいろいろと考えてみたいと思います。 みなさんの意見大変参考になりした!!また何か質問したときは英知を拝借したいです。