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戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。

戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。 敗戦後30年程度で、新幹線を走らせ、 アメリカという他民族国家を除けば、単一民族国家として世界第一の経済大国になった日本。 その原因はなんでしょうか。 あなたのご意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.11

余談ですが, 確かに大和級は 3艦しか作ってないものの, さらに大口径の主砲を持つ伊勢級 2艦 (伊勢, 尾張) の設計ははじまってましたね. 新幹線については戦前の弾丸列車計画が大きいでしょうねぇ.

その他の回答 (14)

  • teccrt
  • ベストアンサー率35% (91/257)
回答No.15

突き詰めれば、「明治維新における身分制度の廃止」がその要因だと思います。身分制度廃止をお題目だけではなく、中身を伴いつつ実行した結果、勉強を頑張れば出世できるという、当時としては極めて公平な社会を作り、適材適所を達成できました。 つまり、能力のある人が活躍できて、能力のない人は既得権で守られることが少ない、という社会になり、必然的に国家としての日本が効率よく回ったということだと思います。 もちろん、当時の感覚でいう「公平感」なので、現代とは比べられません。また、税金納付額や性別によって選挙権も制限されていた時期があったので常に欧米と並ぶ最先端にいた、とは言いませんが、遅れて開国した割りには驚異的なスピードで選挙権の制限をなくしていきましたし、欧米では歴然として旧貴族階層とその他階層に分かれて職業や資産が出身層によって偏っていたのに比べると、日本では華族のような存在がありながらも、ほとんどの職業は民間人でも就くことができたという点で欧米に並ぶ、もしくはそれ以上に公平な社会だったと言えると思います。 だからこそ、WW2で敗戦してモノと金は失っても、技術は人が継承していたし、高い識字率を通じて国の意向が全国民に届いた。また、他国と違い、特権階級が持つ特権が許容範囲に収まっていたので、全国民が政府の方針を原則的に受け入れることができたことが経済復興の最大の要因だと思います。 技術云々とか、戦争特需とかも大きな要因だとは思いますが、戦争特需が原因だとしたら、ベトナム戦争で日本と同じくらい地理的に優位だった東南アジア諸国やオーストラリアだって経済大国になれたはずですし、技術の蓄積が要因であったなら、日本以上に技術と近代化の蓄積があったドイツは、日本以上に成功していたはずです。 ただ、そうした学歴をベースにした公平な社会が、今ではむしろ教育格差による階層の固定化を招いて制度疲労を起こしているとは思いますが。

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.14

はじめまして まず前置きとして日本は単一民族国家ではなく、アイヌという先住少数民族がいることをお忘れなく 経済的観点からいうと以下の条件が高度成長につながった思われます ●高い民間固定資本形成 日本は低福祉のため国民は他国に比し極めて高い貯蓄額があったので 銀行は多額融資を難無く企業に付与することが可能であり 企業はそれを設備研究に潤沢に注ぎ込めた ●政官財界が密接に協力し対外的には輸出主導、対内的には徹底した保護貿易的政策をとった 各企業には輸出促進させつつ、国内市場を高関税と複雑な規制で海外企業・製品の流入を極力阻止した ●基礎研究より応用研究偏重の研究開発 金にはならない基礎研究を行うより基礎研究結果は海外から取り入れ 金になる応用研究に力を入れる合理的な研究投資を行った 当然の事ながら海外からアンフェアという批判は出たが ●大々的な海外技術導入と模倣 世界のトヨタも50年代の対米輸出では技術的に海外製品に全く太刀打ちできず、一時撤退した (伊のアルファロメオが50年の初回F1を含めインディを除くモータースポーツ全てで優勝 翌年優勝を阻止したのはフェラーリというような伊の高い自動車技術とは好対照だった) 鉄鋼もオーストリアからLD転炉法を導入し高品質化できた 戦前戦中では全くお話にならなかった日本の工作機械も米製の模倣で成長した ●国防安全保障が全くのアメリカ任せで防衛費負担が軽くすんだこと 日米安全保障条約は相互防衛条約でないため、日本は米の防衛に全く関与しないでいい上に 冷戦時の西独のように大兵力の外国軍駐留や多額の国防費という重い負担をしないでよかった

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.13

今後は中国、インド、周辺下請け国に 抑え込まれると想定していますが、 多くの発展途上国は他国に保護を求め、植民地化して行きました。 朝鮮半島でも、ロシアを利用しようとした為に飲み込まれたと言っても良いと考えます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%A0%98%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A これに対し、明治政府は富国強兵政策でもって諸外国に対抗します。 治外法権や不平等な通貨交換率で経済は大混乱します。 維新政府の予算などはたかが知れていました。 この中で学校制度や郵便制度、鉄道、電信電話などの近代化を目指します。 郵便局は村の雄志の土地の提供で実現しました。 鉄道は枕木を使いました。電信柱の一部には大木を使いました。 学校の一部も、大地主による土地の寄付があったのだそうです。 日本政府はもちろん、国民も「国力」を付ける努力を惜しまなかったのです。 戦前の日本は綿布が輸出の大分を占めていました。 イギリスも綿布を中国市場に輸出していまいたので、 完璧に遅れていたとは考えにくいです。 違いと言えば、開発された航空機は何らかの形で採用されました。 採用しなければ財閥ですら経済的に危うくなるからでした。 これだけ競争力が弱く、 価格、質、生産性能力に問題があったようです。 こう言った努力がこれを可能とした訳です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E5%BE%97%E5%80%8D%E5%A2%97%E8%A8%88%E7%94%BB また、 MIL米軍規格 生産ラインと言う合理化、デパートと言うアメリカ商法を学びます。 昭和40年にもなると、東京の町工場はどんどん閉鎖されて行きます。 日本のエンジンは外国に大きく遅れていました。 バルブを増やす方法でどうにか追いつき、 現在は技術水準を維持している。 物は考えようでしょう。 そして現在の宅地化へ向かいます。 自動的に家内製手工業から大規模生産(重工業化)して行きます。 日本政府は悪なので、何も残らなかったと言うのは間違いです。 日本国民が総動員してこの山河を守ったからこそ、 日本だけは東西分裂を免れた。 また、指導者は責任を十分に取った。 こう考えます。 また、 分裂出来なかった戦勝国にも何らかの非があったのだと考えます。

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.12

国民の大半が勤勉で、会社と言う「公」に対し滅私奉公的貢献をした。 東西冷戦の中、米国からは「成功モデル」を作る為の援助があった。 謙虚さを持ち、特定の国以外からは好感を得た。

noname#110649
noname#110649
回答No.10

朝鮮戦争、東京オリンピック、そして右翼とアメリカンの暗闘マネーゲーム。それらが自動車産業の需要を支え続けアメリカの憎悪を買うまでの一大メーカーにし続けた。自分の雑感としてはこんなところかなあ。

回答No.9

幾つかの要因があります。 インフラがしっかりしていたこと(戦争での工場などの損害は40%です) 爆撃機『銀河』の開発(この飛行機の技術が新幹線に転用されました) 戦闘機『飛燕』の開発(この飛行機を設計した人がYS11を開発) 世界最大の航空会社『中島飛行機』の民需化(スバル360の開発) 世界に先駆けて開発した小型ディーゼルエンジン(戦車技術が土木器材技術へ) これら、日本軍が研究・開発した技術を民間転用したので戦後復興が出来たのです。 戦争しなかったから戦後復興できたというのは妄想です。隣国やベトナムの戦争に軍需加担したから儲かったのです。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.8

エドウィン・O・ライシャワーさんが1977年に書かれた『ジャパニーズ』 1977 -- The Japanese Belknap Press は我々日本人を勇気づけてくれる本でした。 まだ1970年代で日本がこれからという時に日本人の持つ潜在能力の高さを世界に紹介して下さったのです。 この回答に役立たないかともう一度読み返しているところです。  戦後の日本の大発展は(1) 東西冷戦という時代の波に乗れた、 (2) 憲法九条に守られた、 (3) 日本人の持つ勤勉な国民性、 (4) 戦後の財閥解体、農地解放により機会均等が保証され、努力が報われる社会となった。 私はこれにひとつ加えたい。 我々は素晴らしい先生方に恵まれたと思っています。 私は1940年代に小学校に入学しました。 『この子たちを立派に育て、日本を再び戦争などしない国に造ろう』という強い使命感を持った先生方に教えて頂きました。 今私があるのはこの先生方のお陰です。 本当に感謝しています。 

  • gonveisan
  • ベストアンサー率20% (477/2365)
回答No.7

戦艦大和型4号艦5号艦を作らず戦闘機開発もしない為 その分民間に回った為 朝鮮戦争における 朝鮮特需がきっかけですね。

  • akik
  • ベストアンサー率33% (93/277)
回答No.6

戦前から、戦艦大和に見られるように製造技術はかなり高かった。 戦後の経済復興を成し遂げた要因として、 1)東西冷戦。 2)都市交通網の確立。 3)安価な原油。 4)金融市場の安定。 5)大量消費を誘発する科学技術の進歩。 6)産業連関的波及効果の高い産業が発展。 7)資本を蓄積。 8)平等な社会。 このような様々な要因が重なり高度経済成長を誘発させました。

回答No.5

日本は江戸時代から世界で一番早い先物取引の市場を堂島に作ったり、 卸と問屋という流通網を整備し、経済ボリュームを膨らませていましたから、 奇跡的な復興といっているのは、西洋的な観点で歴史を見ている場合に過ぎないといえます。 そもそも敗戦後、というよりも、明治に、西洋化をあそこまで見事に行ってしまい、 当初友好的だったアメリカが、恐怖して戦争を仕掛けたわけですから、戦後に復興することは必然です。 日本は、ソフト(経済発展の考え方、やり方)自体は自前で持っていたので、 ハードの技術を世界から取り寄せればできる話です。

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