- ベストアンサー
夢と現実の葛藤を描いた物語:邯鄲之夢
- ある男性が出世を夢見て別居し、田んぼで暮らしている。
- 彼の心は夢に向かって高まっていくが、現実は彼を苦しめる。
- 彼は自身の弱さに気づき、第3極を求める声もあるが、自民党に期待する。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
唐の時代、科挙試験で上京し、何回目かの落第を喫した盧生は、落ち込んでの帰り道、日が暮れたので邯鄲の、とある旅館に泊ります。旅館では粟のご飯を炊いていて、傍らに仙人の呂洞賓がいました。盧生は出世できない悩みを訴えます。呂洞賓は磁器の枕を渡し昼寝をさせます。盧生は夢の中でまず科挙試験に合格し、のち、金持ちの綺麗なお嫁さんをもらいます。また、皇帝のお目がねに叶い、総理大臣になります。子孫四世代とともに、人間の栄華福喜を五十年間極めます。この時、馬屋で驢馬が吼えるので、びっくりして夢から醒めると、これは一切がただ夢で、自分はやはり貧しい書生で、さきほど炊いていた粟のご飯はまだ煮えきっていません。盧生は人生の虚しさを悟り、出家して仙術を得て仙人になりました。」 結末としては、 仙人になるが、最善でしょうね。 まー、自分なら、その後も、科挙試験落ち続けながら、 関羽や長曾我部盛親ではありませんが、子供相手の寺子屋開業して、生計立てるなんてのが いいかも\(^^;) 始皇帝や曹操ゆかりの古都河北省邯鄲市も、いまや人口八百万の工業都市とか。 zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
その他の回答 (11)
- mashumaro2
- ベストアンサー率58% (99/170)
補足がついたので、真面目に再投稿致します。 煩わしければ、どうぞ無視なさって下さい。 「熟成」とは、そして 「10有余年の熟成」の意味するところのものとは、一体何なのでしょうか。 「仕込むことで、さらに旨味や趣を増す」という良い方向へ志向するのが「熟成」というなら、 「改革」を断行した時の政権政党が、国民により下野させられた現状から、 プラスのベクトルを指し示していると、いったい誰が断言できるというのでしょう。 「熟成」よりも「発酵」「変質」のほうが相応しいように感じるのは、私だけでしょうか。 現政権運営に対する心許なさを大いに感じる私のように、 かつての非自民連立政権樹立とその揺り戻しを思い出したり、 あるいは、遥か以前に思いをめぐらす国民もそう少なくないはずです。 「核密約問題」といった日本の戦後外交の在り様が話題にのぼったばかりですし。 日本が「改革」に全力を注いでいた間、世界情勢も様変わりしました。 いかなる政党であれ、国民の信を得て政権掌握したかぎりにおいては、最善を尽くし全うしてほしいと期待するまでです。 そして自民党に近い方であるなら是非とも、かつての非自民政権の誕生と揺り戻しの経験から 何を学びどう国民と接してきたのか自問自答していただきたい。 そうでないと、せっかくの「みんなでやろうぜ」は「もう聞き飽きた」「またどうせ」になりかねません。 それは非常にもったいないことのように思われますので。 ある地方にて、私とは似ても似つかぬ実直な叔父が、長らくその方面にかかわっております。 議会運営に欠かせない人材とのことですが、肝心の有権者の眼には、長い職務経歴も含めてどう映るのか定かではありません。 若い頃は一風変わった大変顕示欲の強い性格でしたが、地元の有権者の方々に育ててもらったのでしょう、 今ではまるで別人のようです。 >女房に以前言われた >そんな風に考えていたら命がいくつあっても足りないよ。 >強がってはいるが何もできない弱虫であるのは自分がよく知っている >それに >この場の皆さんも分かる人には判るだろうけども >今までの人の接し方を思えばとても街頭に立って訴えていっても人の票を集めることなどできないだろう。 叔父は家族の反対(殊に祖母)を散々押し切った末に、漸く出馬したと記憶しております。 家族を犠牲にしてまで政治への志を貫くといった厳しい姿勢で、誰にも止めることなどできませんでした。 多大な使命と責務からすれば、それも仕方がないのでしょう。 >だから >餅は餅屋 そしてその騒動を知っている私の目には、質問中の盧生は、ちょっと話が違うように思えるのですよ。 「邯鄲の夢」すら見ていないのではないかなあって。 そしてそれも、ちょっと「もったいない話」なのかもしれませんよね。
お礼
回答ありがとうございました
補足
まず誤解させてしまったようなので整理していきますが 私は今も昔も別に考え方が自民党よりというわけではありません。 美しい国、日本でもいいし、みんなでやろうぜでもいいのですが 掛け声はよくても、やることが国民の求めてるものと乖離しているんじゃしょうがないというだけです。 小さな政府とかという考え方からも何も見えてこないですし。 そういうことをまだ言ってる時点でホントのことを言えばダメだなとは思っているのですが。。。 そして総裁自体かなり前から消費税を上げることが常に念頭にあるようでしたから、その点においても本心を言えば今の自民党ではダメだろうなとは思っております。 まず何をやるのかの視点がないのです。 国民の生活を安定化してくれるなら別にみんなの党でも民主党でもいいわけです。 ただみんなの党の官僚組織改革というのだけでは何も見えてこないし 民主党は民主党で陳情の一本化で金と権力が集中しそうですが、金の疑惑が付いて回る二人がトップで大丈夫かいなと思うだけで。 だからどの政党であってもやることは一点おいてだけだろうと言うことになるのではないかということです。 どこにしようかなと政党間で泳ぐというような次元のことではありません。 政党政策に関しての誤解と思われるところで言っておいた方がよさそうなのは以上です。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.10の投稿は 要らぬお世話だと分かりました。 失礼いたしました。
お礼
お陰様で#10の回答で質問に対する補足説明をちょうどいい具合にすることができました。
補足
次の質問に参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
ぶっきらぼうに。 邯鄲の夢などから説き起こすから 話が厄介になるんちゃうかい? 切り離して しっかりと問うのがよろしい。 そういう交通整理が 共同自治の極意なんぢゃよ。へへっ。
お礼
回答ありがとうございます。 就職難で親も一緒になって就職活動するのが最近の現象なのだそうですが 自分の道はできるだけ自分で選ばせてやるのが大切ですと就職担当の方が言っておられました。 回答者さんがこの質問でどう忖度しようと普通は自分の歩む道は自分で選ぶものです。 明治維新より政治は人の流れを地方から都市へと流れるようにさせてきました。 それは川の流れのように今でも続いており大部分の現代人の見る将来の夢は就職のために都市へと向かうことから始まります。 質問にあげた邯鄲の夢は私のものではあるけれども回答者さんが思ったことを思ったように回答していただければ私は構いません。
補足
関心の対象もアプローチの仕方もそれぞれ違いますでしょうし 貴方は貴方が思うようにやったらよろしいのではないでしょうか。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
広げてみると、 栄華と変転と死を経験するのは、国家にとっても同じこと。 そのあらゆる局面をシミュレーション的に味わったなら、 盧生よろしく隠棲の道が、国家にあるのかというと、 そうでもない。 国家は解体して人は続くということは、避けられません。 ただし、時代性からいって、 潜勢的国家をテクノロジーが支える。 その状態では、出自の管理により、むしろ民族主義に還る可能性があります。
お礼
お忙しいのでしょうが何度も何度も時間を割いて回答をいただきありがとうございました。
- mashumaro2
- ベストアンサー率58% (99/170)
ご質問の盧生の場合、何か、観念が先行している感が否めないような、 そしてどこか、逸る気持ちが伝わってくるのは、私の気のせいでしょうか。 「パンドラの箱」「10年の熟成を経た今」とおっしゃいますが、 在任期間は263日間に過ぎない、かつて発足したあの非自民・非共産連立政権というのは、いったい何だったのでしょうね。 私には当時の元首相が、唐時代の李徴ほどの気概を微塵も見せぬまま、 都を捨てて山河に下っていったように朧げながら記憶しております。 「山月記」はお好きでしょうか。 胸を打つ作品だと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%88%E8%A8%98 そしてこの十数年の間に、いったいどれほどの熟成を経てきたのでしょう。 それについては、各人各様の考えが当然あってしかるべきなのですが。 そうですね、「心中の虎」を自ら飼いならすことが出来るかどうか、 閉塞感の漂うこのご時世だからこそ「そのくらいの気概」をもって、 皆で今一度この国の行く末について真剣に見据えてみる必要が迫っているのかもしれませんね。 そこで、一つ提案を。 昨今どこかで近しい言葉を見かけたような気もしてならないこの旧きよき言葉、 「信言不美、美言不信」(『老子・道徳経』第八十一章)につき、 これが本家本元の大国では、すっかり忘れ去られたかのようにも映るという現実的な側面、 そしてその一方で、細々と受け継ぎ、今なお少なからず尊ぶ美徳を湛えるであろう我が国との、 広汎な比較考察はとても重要だと思います。 かつてほどに「海を渡る≒攻める」ことなど造作も無く、 両国の文化が通底すると想う以上の思惑の乖離など、想像に難くありませんから。 邯鄲の生きた時代とは比べようもないほどに、私たちは古今東西、そして何より 「自身/自国」について学び知る必要があり、そして、立ち止まることなど出来ないと思われるのです。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
2001年~
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
> ディベートで言いくるめる的な論理展開を想定しての擦り合わせが検討されるという考えを言ってるのであれば あはは。あなたの視点ときたら、こういうものか。 ちがいますよ。 邯鄲の夢は、あなた自身の問題ではないのですか。 それが議論になどなるものですか。誰の興味もひかない。 あなたの経験、あなたの記憶を、 あなたが、日本国民であるというアイデンティティに 「有効に結びつける」ことがどのように出来るか、 また、 日本という国の経験、日本という国の記憶を、 盧生のしたように自己の経験の内側に描かずに、 あなたの「外側に」描き、尊重し、維持する努力がどのようにできるのか、 内と外の擦り合わせについて あくまであなたが自分で考えるという、ふつうのことを言ったのです。 人がついてくるヴィジョンは、そうして発動するものでしょう。 回答者に興味などなくてよろしい。 まだ議員になっていなくて、意見があるなら、 お近くの自民党支部の控室へ。 もしもすでに議員になっていてこれでは、 議員の仕事に向いていないかもしれません。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
お忙しいところ時間を割いての
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
盧生は夢の中で、 出世、家庭、一族繁栄、左遷、栄転、冤罪、逮捕、目前の死刑、皇帝の寵愛と栄華などなどに加え、 老衰と死まで経験します。 おのれが世を動かし、世におのれが動かされ、死におのれを持っていかれます。 このお話の、およそすべてを経験したからもう心残りはない、と自我に収束する極端なところは、 いかにも大国の怒涛の歴史と、そこに代替の無い個人としての意味をもってつながらない、 小さな人間たちの儚い流転に響応しています。 はたして、誰が住みついても、誰が治めても、中国は中国でしょうか? ヨーロッパ先進国はこの数十年、移民問題に悩まされていますが、 移民が住みついて、移民が政治をすると、その国は誰の国になるのかという。 国益にぶれがないうちは、あまり問題がないようにも思いますが。現時点の米国のように。 日本は、脆そうですね。資本も外国、軍も外国、移民が政治をするとなれば、 国益という概念そのものが崩れることでしょう。 中国が抱えてきたような資源もないので。 そんなわけで、 《経験》《記憶》に繋留する自己存在と、 日本という《経験》また《記憶》とはなにか、の擦り合わせが 検討されるところだと思います。 とここまで書いてタイムリミット。
お礼
ここまででタイムリミットですか。 お忙しい中、貴重な回答をいただいたのですね。 対外的なものは当然自国の思惑だけでは決められない。 それと別な次元 パンドラの箱が開いてから熟成すること10有余年 基盤としての国民の生活において顕在化している問題を複合的かつ総合的に解決させ安定化させられる可能性のある国の姿 この一点です。 貴方の危惧していることを含め、図面化された様式の具体性において 各自がそれが導く国の将来の姿を見通し結像させ納得するかということなだけあって ディベートで言いくるめる的な論理展開を想定しての擦り合わせが検討されるという考えを言ってるのであれば 過去と現在の喧々諤々の議論の様子を見ていれば それ自体ほとんど何の意味もなさないというのが解るというものです。 さかしらに知に遊びたいというだけなら別ですが。。
補足
そういうのと関わっていても《無駄》だというのが判ったので今は眼中にありません。 以上
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ANo.3&ANo.4 このご質問で気付いたこと。 1. 自分がある意味でよんどころなくというか、差し向けられて意図しなかった市井での隠棲ができていること。その結果がとても恵みであったということ。 2.盧生、杜子春の経験経緯で、或いは退屈なるガゆえの長い実際の人生での見限りで人は隠棲という道での真の自己人生が得られていくのだなぁということ。 3. それにしても、本来というか、理想的な隠棲(しっかり自己を見つめて生きていく生活の仕方)の選択はどういうものなのか、本当の隠者の思想と生活はどうなのかというテーマ。 4. 中国やインドには得てして隠者となっていく人たちがたくさんおられて、いろんな逸話があるが、これは東洋の特徴かな?ということ。 もし何かコメントや教えてくださることがあるととてもうれしいです。 いろんな異界へのいろんな入り方、出方を観察しておりますが、隠者としての世界に入る事も一つのでいりであるなぁと存じました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
八方塞とは何かをやろうとする時に障碍があるというイメージですが 【そういう観念での受け取りもあるでしょうが、私のいうのは人生でどこを向いても塞がっている状況をさしています。老齢(70過ぎならそう表現してもよろしいでしょう?)を迎え、長く勤務した(46年一単科大学の図書館)でも事務やの責任者で終わり、うだつが上がらず、自分を是認できないなぁという気持ちです。】 それと世間を捨てた生活態度とは別次元なのではないでしょうかね。 【はい、むしろもう世間で活躍する場はないなぁということでして。世間を離脱するというより、盛大に歓送会をいろんな部署や大学の近隣の方々にしてもらって、はいさようなら。という境遇になったというのがほんとうでしょうね。自分が離脱したのでなく、もういいですよといわれたということですね】 発言内容が独特なうえに文に一定の意識のつながりが見受けられないところがありますね。 【鋭い分析ですね。】 そのじじ捨て山はとても自由で、今まで出来なかった探求・究に全生活時間を投入できています。 それは幾つかのお誘いが自分に不似合いだと、謝し、辞退して、自分のじじ捨て山に入れたからですね。
お礼
そうですか よかったですね。
補足
>【鋭い分析ですね。】 はい、 一つの文中においてでさえ貴方自身の意識を一つことにユガするということができておりません。 これは幾何を解く時に意識の連続性がないと問題が解けないのと同じです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
盧生はまだ青年ですね。科挙の受験勉強生活と落第のこと、そして夢を見たことのインパクトは他人には親身の同感はなかなかできませんね。杜子春などは何回か同じ事をやりましたね。 彼、もともとは仙人の弟子だったとか。 盧生の年齢であれば、未だチャレンジするのかもしれません。 八方塞がりになれば、世間を捨てた生活態度になるのでしょうか。 むしろ世間に捨てられての自己人生を生きていく。
お礼
八方塞とは何かをやろうとする時に障碍があるというイメージですが それと世間を捨てた生活態度とは別次元なのではないでしょうかね。 発言内容が独特なうえに文に一定の意識のつながりが見受けられないところがありますね。 回答ありがとうございます。
補足
それがお好きなら ジジイ捨て山へどうぞ。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございます。 故事の由来まで引用していただきありがとうございます。 ただ話しの筋としては夢の中の話が栄華だけで終わるのであれば盧生が夢から覚めた時 人生は虚しいものとしてとらえ田舎に引き返すということの切っ掛けにはなりえないのではないでしょうかね。 むしろ吉夢だとさえ思って期待が膨らんで意気揚々としそうな話になってしまいます。 そうですか。。。 邯鄲市は現在約897万人だそうですね。 八百で切り捨てるより9百に切り上げるべきでした(・.・;)
補足
一番下の線分は何か意味があるのですか? よろしかったら教えてください。