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なぜ他人に「こう思うべき」と思ったことが一度もない人がいるのか?
なぜ他人に「こう思うべき」と思ったことが一度もない人がいるのか? 一般的には、議論(や日常会話)で相手に「こう思うべき」と(自分が)思ってしまうが、そうでない人もいる。その違いとはなんであろうか?
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- 雪中庵(@psytex)
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回答No.4
なぜ議論を、「相手にこう思わせようとする」行為だと考えるのでしょう? 議論とは、共に答えを求める行為であり、一次的には相手と争う行為では ありません。 あなたの質問は、あなた自身が議論を―即ちあなたの思想や哲学を、 ご自身の価値観や世界観としてしてではなく、他人と競ったり自己主張する 道具にしている、ということです(それでは幾ら議論してもあなたが変わる 事がないはずです。単に「相手との勝ち負け」としか思わないのだから)。
noname#112269
回答No.3
何故他人に勝とうと思った事が一度もない人が居るのか。 そのとおりかもしれない。 勝てると信じれなければ勝てない。誰にも、自分にも。
noname#136007
回答No.2
相手の立場に立って考えることが出来るかどうか 相手の、背負っているもの、相手の雰囲気等を感じられるかどうか それによって、人それぞれと思えるかどうか、ではないか?
- haru728
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回答No.1
相手に対しての興味を持つ度合いもあるのではないでしょうか。 相手に興味が無い性質の人間て、相手がどう思っていてもどう考えていてもどうでもいい、この人にこう思われたい等と考えもしないように思います。
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補足
正直、治療に困っております。生きること=他人との競争ゲーム、になっているようです。言葉やイメージで自律的社会化を理解できても、自己の根幹が変化しにくいのは他律的に周囲の環境に適応しないと生きていけなかったからでしょう。とはいえ、会社で自律的すぎたため、異動することになりました。つまり「価値観や世界観」をモロに経営陣にぶつけたため、飛ばされる、という意味です。「自己の客観視」が未熟ゆえの結果でしょう。