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山を歩く
を について、山を歩く、山で歩く の違いを 知りたいです。 又 山を描く、山を見る は目的語ですが 次例とは異なると考えられますね:山を歩く、山を行く、山を飛ぶ。これらは 移動の動詞に使われていますが、他の動詞の例が見当たりません。
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こんにちは。ANo.1の者です。ANo.1のお礼を読ませて頂きました。 僕も、説明しておきながら貴方の疑問を自分でも感じていたので 少し調べてみました。 日本語における「を」は「対格標識」です。 この「対格」には「直接目的語を表す目的格」も含まれます。 ANo.1の僕の説明は「目的格=対格」というかんじですが 実際には「対格の中に目的格が含まれている」と表現するほうが 正しい様です。 「山を歩く」の「山を」が対格であることは間違い有りません。 しかしこの「山を」は、対格の典型的用法である直接目的語ではなく ・ある種の移動の起点を表す。「家を出る」「大学を卒業する」 ・移動の経由地を表す。「高速道路を走る」「角を曲がる」 という用法である、と説明するべきだった様です。 貴方はほぼ言い当てています。 > 目的格は その両方に使われるとすると、問題ないのでしょう。 「を」という対格標識は 直接目的語を表すのにも使われるし ある種の移動の起点、移動の経由地を表すのにも使われる。 ということになります。山を歩くは後者ですね。 これも素人調べの回答なので参考まで。失礼しました。
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「を」をつけると目的格(対格)になりますし 「で」をつければ処格(所格、地格、位格)になります。 「が」をつければ主格にもなります。 「山を歩く」の山は目的格であり、「山で歩く」の山は処格です。 「山で山を描く」「山を山で見る」と言えば解りますでしょうか。 「山で」の山は処格(どこで)の「で」にかかる「山」であり、 「山を」の山は目的格(なにを)の「を」にかかる「山」です。 問題の「山で歩く」と「山を歩く」ですが、 移動の動詞だからといって 目的格と処格の役割を区別できないとは思いません。区別するなら 「山を歩く」はいわゆる「山登り」などに相当しますが 「山で歩く」は「山で水面など何かを歩く(修行?)」に相当します。 もうすこし区別し易い他の移動の動詞の例を挙げるならば、 「駆け抜ける」でしょうか。 「山を駆け抜ける」なら山が処格ではなく目的格であるということが 鮮明になると思います。山そのものをまるごと駆け抜けるワケです。 「山で駆け抜ける」なら山でたとえば短距離走をしているふうに あくまで「山」を処格と捉えるのが自然です。処格なんですから。 「山を歩く」「山で歩く」の意味合いの親和性が高くて 混同しがちになるからといって、わざわざそれにつきあって 目的格なのか処格なのかを疑う必要はないと思います。 素人なのでご参考まで。
お礼
山を駆け抜ける は目的格だと。なるほど、山を駆ける、山を抜ける等もそのようですね。移動の動詞の を が目的格だとする。よって他の動詞の例で、本を読む、論文を書く、歌を歌うなども 順々に次から次へと進んで行く動作の目的格と見なしていますね。果たして目的格とは何かに行き当たったようです。本を買うなどは 一時の動作で、本を読むとは違いますが、目的格は その両方に使われるとすると、問題ないのでしょう。外国人のための日本語の教科書で、区別していたので。おかげさまで いろいろ考えさせてもらっています。
お礼
更に深く調べてくださり、ありがとうございます。役にたちます。 対格とは 意味を広げた目的語だとするのが良いかもしれません。 移動の起点から着点の間を一つの目的語とみなすと、狭義の目的語と同じ発想ができるでしょう。いろいろ例があるとわかりやすいです。 家を出る 大学を卒業する 角を曲がる 海を渡る 山を歩く 空を飛ぶ 地球を回る たき火をとりまく 街道を行く