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なぜ自殺しちゃいけないと思いますか?
題名の通りです。 ちょっと僕も自答してみます。 ・今まで自殺するまでに食べてきた無数の命に申し訳ないから。 ・愛を与えてくれた全ての人たちが悲しむから。 ・社会を作り上げる上で大切な存在だから。 など。ちょっと中二っぽくて痛いかな^^;
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自殺に追い込むような悪人を処罰しないといけないから。
- OtamaFJ
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個人はね、無力な社会のパーツであると同時に、宇宙を顕在化させるキーでもあるんだよ。つまりね、認識体=脳が宇宙を作っていることは、最近の量子論の世界から明らかになってきました。よって、あなたが死ねば、宇宙は瞬時に無くなる、ていう。それはもったいないでしょ? 今という一瞬に宇宙140億年の時間と空間が折り畳まれているんです。だから、宇宙は自分が生み出したものなんですよ。歴史も未来も。「究理の一夜漬け」のサイトで書かれているよ。究理=物理のことね。
お礼
回答ありがとうございます。 その理論、どこかで聞いたような… 最近の量子論というのもなかなか興味深いですね。
- mesenfants
- ベストアンサー率31% (43/136)
質問はありがちだと思いました(正直)が、 「自答」に感激して、筆をとることに。 でも、聡明なあなたにふさわしい回答になっているかは怪しいと思う。 私は小4の夏(だったと思う)、田舎のため池に泳ぎにいって溺れかかったことがあります。 あのとき、いちどこの世に「さよなら」を言った記憶があります。 高一のときは「死にあこがれて」いました。線路に寝たこともあります。 それから数年して、小中学校のときの親友が自殺したという知らせを「東京」で聞きました。 室蘭の「地球岬」に飛び降りたのです。その何週間かまえに「電話」してきたのを「うっとおしい」気持ちで受け答えしていたのが、いまでも悔やまれます。でも、死ぬまえの電話なんて、聞くほうは、返答のしようがありませんよ。もう30年以上まえのことです。 それから大学院の2年生のとき、先輩(といっても1歳くらいか)が、身を滅ぼすように、酒を飲み続けて死んでいきました。私は大学院の、その凡庸さに耐えられず、刺々しく周りに接していたとき、その先輩は親しく私を酒場に誘ったものだった。 わたしの周りで(自然死でなく)死んでいった人たちです。 こういう人は独得の雰囲気をもっています。 どこか「破滅型」です。もう、そうではない生き方はできなかったのだろうかと考えるのはやめました。 「自殺がいけない」というには、どういう「意味」でしょうか。 それはだれに言っている文言でしょうか。 だれかを、何かを、救うために、そうすれば殺されるということが解っていても、自己の死を賭けて「そうする」というのが人間の人間たるゆえんだと言ったのはカントでした(ここは一応哲学カテですから)。 何か「良い」ことをやっても、それって「そうしたいから、つまり自分の快楽のためでしょ」という言い分へ、あるいは機械論的な言い分へ、「死んでみせうる」という点をカントは論拠にして反論しました。 人間が生きるとういうのは、そもそも、当たり前なことではないのですね。 自死するとううことは、三万人のかた毎年いるわけですが、その数だけ、私たちのこの生ける時間のはらわたを切り裂いています。 あなたの質問にはこう答えましょう。 「自殺」は矛盾だと。説明不能だと。選択の問題だと。いや、やはり答えになっていませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 答えになっていなくても、いいのですよ。僕は答えを求めてるのでなくて、みんなの考えが知りたいと思って質問したので。 それに、自殺とは、矛盾であり、説明不能であり、選択の問題である。あなたのその考えはあなたの経験から導き出されたひとつの「答」じゃないかと僕は思います。 あなたの記憶が語っています。「自殺は矛盾だ」と。 あなたが思考をやめたのは「説明不能」だからですよね? カントは言います。自己の死をかけてでも「そうする」のは、人間だからであり、「そうする」かどうかは「選択の問題」であると。
NO.6の方の回答 >人間だけが生まれる時は選べませんが死ぬ時は選べるんですよ。 共感いたします。。。
お礼
回答ありがとうございます。 あれ、あなたはNO.3の方ですね。何かまた答えが思いついたら。補足や新しい答えを投稿しちゃって構わないです。 僕も「死ぬ時を選ぶことができる」という言葉に何か引っかかるものを感じました。
え?自殺しちゃいけないなんて誰が決めたんですか? あくまで極論です。 人間だけが生まれる時は選べませんが死ぬ時は選べるんですよ。 あくまで私の中での極論ですので倫理観とか持ち込まないで下さいね。
お礼
回答ありがとうございます。 必ずしも自殺しちゃいけないわけではないですよね。 死ぬ時を選ぶことができる。それはある意味で人間の特権かもしれないですね。
直感的に物事が理解できたり、危険を察知した経験があると 無意識というものが自分をサポートしてくれているのではないかと感じることがあります。 それは、ひょとしたら昔の人が先祖の加護と考えていたものと同じかもしれません。 まあ呼び名は置いておいて、そういった目に見えないサポートを無にするような自殺という行為は、ある種の冒涜でしょう。 当然、相応の報いがあるような気がしませんか?
お礼
回答ありがとうございます。 今までの回答の中であなたの回答が一番興味深いというか、お気に入りです。なんか僕も最近そんなことを考えていたので^^
- tottokanda
- ベストアンサー率0% (0/0)
人が死ぬということは、どんな理由で死んだとしても、必ず自分を責める人がいます。 事故であっても、病死であっても、老衰であっても、もっと自分にできることはなかったか、なぜもっと優しくできなかったか、もっと早く連絡をとっておけば良かった、、例え親兄弟親戚や親しくしていた人ではなくても‥少しでも関わりがあった人間は、少なからずそう思うものです。 もともと死後の世界とは、残された人間の気持ちを楽にさせるものだと、私は思います。 自殺とは、残された人間を苦しめることにしかならないと思います。 もし、自分に関わる全ての人間を苦しめることが自殺したい原因だったとするなら、仕方ないのかもしれないです。 でも、もしたったひとりでも苦しめたくない人間がいるとすれば、自殺だけはしてはいけないと思います。 私も18年前に姉を自殺で亡くしました。 そんな前の話なのに、今でも私と私の両親を苦しめています。 自分は死ねば楽になるかもしれないけど、残された人のことのために、絶対に選んではいけない手段だと思います。 つたない文章ですみません‥
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね…自殺されたほうっていうのは、深い傷がいつまでも癒えないものですよね。 あ、あと別にどんな文章でもかまわないです。僕の書いた文もちょっと…なので。気楽にお書きください。
NO.1の方が言われるように、寿命で亡くなるのはいいのですが、自殺するとその魂(気)が、一般的に言う「浄化」できすに、この世に残ってしまい「邪気(腐った気)」となり苦しみながら浮遊することになるということです。 また、いろいろな生き物にくっつき(憑き物として)みじめに助けを求めながら、苦しむことになります。 たとえ自殺者が周りの人達の悲しみなど関係ないと思ったとしても、自殺者本人が苦しむことになりますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 う~ん。死後に本人が苦しむことになる、ですか。やっぱり自殺すると成仏(?)できないのですねぇ。
- suffre
- ベストアンサー率28% (259/919)
自殺して死後の世界が幸せな場所だという保証は誰もしてくれません。 死んでから「こんな気持ち悪い世界ならやっぱり死ぬのやめときゃよかった」と後悔しても元には戻れないんです。 つまり、わざわざ危険をおかしてまで一方通行の道は選ぶべきではないってことですかね。
お礼
回答ありがとうございます。 成る程、死んだら元に戻れませんもんね。 もしかしたら今の世界よりずっと苦しい世界が待ち受けている。そういうことがあるならわざわざ死を選ぶべきではないですね。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
自分は死後の世界は知りませんが 自殺すると死んだ場所から魂が離れなくなるみたいですよ それにロクな死に方するとその苦痛が 死んだ後も続くらしいですからね~。--;
お礼
回答ありがとうございます。 死後の世界…ですか。考えてみたことがなかったですね。僕はそれを絶対にある、絶対にない、とかそう言うことはいいません。 たぶん、それは、それ(死後の世界)があると仮定して生きていけば、正しく恥のない人生が送れる。そういう存在だと僕は考えます。
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お礼
回答ありがとうございます。 成る程。復讐の為に生きる、いや、制裁のためでしょうか… それには同感です。全ての悪人は処罰されるべきであり、そんな存在のせいで人の命や人生を左右されてしまうのはとても歯痒いです。