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そもそも「宗教」ってなに?
そもそも「宗教」ってなに? 「宗教」とは、各地の文明文化によって、歴史的に形成された「思想の併存するプロセス」のひとつにすぎないのではないでしょうか?つまり最終的には1つに確定される、ていうもので「完成されたものではない」のではないでしょうか?だって物理も進歩するのに「置いてきぼりの思想」ではダメでしょう?
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OtamaFJさん、いつも不思議に思うのだけれど、何で一度も 辞書を引くとか、WIKIで、確認するとかしないの? 「思想」とか「矛盾」とか「宗教」とか、どういうものか、分かりやすく書いてあるよ。 それを元に、考え、その後ここで、「質問スレ」を立てた方が、答えに近づく時間が浪費されずにすむと思えるんですけどね・・・・ 浪費自体に、意義を見いだしたいるのかな?・・・
- JoyWorld
- ベストアンサー率13% (6/45)
人がこの世界で何かにすがろうとする時、絶対に正しいと思えるものを対象にするんだと思う。すがるっていう行為は、それに頼ることで心の芯の部分がぶれないようにするのが目的だと思う。 そのために絶対的な存在と絶対的な教えが必要なんでしょう。 この世界は人間のために作られたものではないから、物質の世界に何一つとして生きる指針を教えてくれるようなものはない。だから絶対的なものが存在する虚構の世界が必要になる。 そして自分たちの作り上げた虚構の世界を見るための眼鏡として宗教がある。 虚構の世界を成立させるためには、この世界の現象の裏の部分を宗教の眼鏡で見て説明できればいいんだけど、最近は科学で本当の裏が見られるようになってしまったから、多くの宗教は時代遅れになってしまったんだよね。
補足
しかし依然として宗教対立はあり、戦争も宗教戦争の様相がある。世界文明会議で宗教の指導者が集まるが、そのような場所に「環境認識学」を修めた人物も同席させてみるべきではないか?と感じています。
- YEND77
- ベストアンサー率56% (21/37)
宗教がなくなると人間の精神が保てない人が絶滅するまでは宗教は不要でも存在する。 とか思ったけど、人すべてが絶滅しても宗教はなくなるとは限らないかも。。。 人以外にも、不条理な死に直面すると受け入れらず非論理的行動をとる場合がある。 仲間の死を弔うかのようなゾウの儀式や、子ザルがミイラになってもつれてあるく母ザルとうとう。 もしかしたら地球上から物理学はなくなるかもしれないけど宗教は残る。。。
補足
>地球上から物理学はなくなるかもしれないけど宗教は残る 宗教はおそらく他律的社会性をして社会を保つ道具として、貨幣と同じようではあるが、伝統の継承や戦争の大義という意味で存在し得た。物理学はなくても物理的普遍性は無くしようがない。他の星の住人さえその普遍性は理解していると思います。
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
ある種の「思索・思想」を「宗教」として認識しうるならば、かならずそこには「何らかの(方向性の)決めつけ」が成されていることでしょう。 その種の「決めつけ」には >>> 「置いてきぼりの思想」ではダメでしょう? <<< といった考え方も含まれ得ます。 なぜ、宗教が生まれうるのか? 「宗教」という知(的概念)が先にあって、「想い・思い」が後からくっつく分けではないでしょう。(でも、多くの場合、そのように受け止められているのも真実です) 本来、「思い・想い」があって、その向かう先の途中に「宗教」という知(的概念、切断面)が「たまたま」見受けられるに過ぎないでしょう。 したがって、「完成される」とか「最終的に」とか「一つに」とか「確定される」といった言葉で捉えること自体が、無意味なものだと言うことになるでしょう。 私の好きな歌に 「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) というものがあります。 光厳院は、南北朝時代の天皇の一人(北朝第1代天皇、光厳天皇)であり、本来ならば止ん事無き生涯を過ごすところ、戦乱の中を無数の死と直面せざるを得なかった方です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%8E%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87 すなわち、「治世を求めようとした」ことで、結果的に多くの戦乱が引き起こされたことを悟られたと見受けられます。ここに趣深き「ともしび」の歌が多く残されることになったようです。 http://column.takekiygalmuto.com/?eid=825411 「求めようとする」想い・思いと、「対象」と「自身」との対比。。。 その三者を対置しつつ、自身を見つめ直したところの境地を感じ取ろうとするならば、「宗教」をもたらしている「思い・想い」という本質を見誤ることはないように思われます。
補足
>「完成される」とか「最終的に」とか「一つに」とか「確定される」といった言葉で捉えること自体が、無意味なものだと言うことになるでしょう。 そうでしょうか?宗教不要論も一種の宗教です。宗教は独自の思想を持ってはいますが、物理などと矛盾すればそれは間違い、てことになります。よって何が正しいか?は最終的に決定されるでしょう。単なる「思考ごっこ」も楽しいとは思いますが、「宗教」とは伝統的な他律的社会性ではないか?と思えてきました。よって伝統的な精神的再生産が物質志向の即物的価値観により崩壊すれば宗教も抜け殻になるでしょう。宗教よりも環境認識の方がよくないでしょうか?物理科学の勉強にもなりますし。
- kannosuke9
- ベストアンサー率53% (128/239)
「宗教=人の生きる道」だと思っています。 この世の中に正しいものなんて何一つないじゃないですか。 でも、そんなこと言ったらルールがなくなってメチャクチャに なってしまう。 では、人間はどう生きたらみんなが幸せになるんだろう? そこで生まれたのが宗教だと思っています。 悪い意味で日本人は宗教心がないので、どう生きていいか 分からない人が多いと思います。 自分で考えることは大事ですが、人生における絶対的な 「生きる理由」を見つけるのは困難です。 宗教に属している人は、教えのままに生きれば楽ですが、 属してない人は、迷える子羊になるんですかね。 自分はなんのために、なにをするために生きているのか。 これに明確な答えが出せている人は、宗教は必要ないと 思います。
補足
>自分はなんのために、なにをするために生きているのか。これに明確な答えが出せている人は、宗教は必要ないと思います。 そうですね。ただしそこにも何らかの思想がありますから、どんな人間でもその思想に収束していくでしょう。それが正しければ。物理などと矛盾しないなら。 たぶん宗教とは伝統的な他律的社会性=精神伝達機構ではないかと思います。束縛もしますが安心感もある。そう思えてきました。
それとも糞味噌一緒理論がお好み? そういう場合お味噌汁とは言わずウンコ汁と人は言うだろう。 では外界を映す心がそもそも歪んでいて認識が間違っている。 科学的事実が発覚するたびに衣替えするってのはどうなのかな? その実態とは何かな? ´
天動説は「置いてきぼり」にしちゃだめだったのか? ´
- mappy0213
- ベストアンサー率26% (1706/6353)
うーん 人の心のよりどころであるとともに 人の心を掌握するのに都合のいい道具って感じかなぁ(笑) 文明が発達しても怖いものって根本的に変わらないんだと思いますよ たとえば暗闇とか・・・ ここの宗教色々ありますけど それぞれが完成系なんだと思います
補足
この質問の主旨は、宗教が社会貢献(=政治も含め幸福な生活の追求)しないならば、それを捨てて、環境認識的な勉強をすべきではないのか?という動機からです。未来に宗教が残っているとは限らないでしょう。文化遺産としては残るでしょうが、意義ある思想を導かない限り、無用の長物です。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
逆らうことができないあるいは原因が分からないことを受けいるために考え出されたもの
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補足
辞書が正しいなら、経済学が正しいなら、多くの災禍は生まれない。 金に困るような我が国じゃ、とても分断された知識=学問=辞書などは信用できませんよ。