• ベストアンサー

(西欧の教会と国家)権力の分散と自由の発達との関係は?

サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳「文明の衝突」 神と皇帝、教会と国、宗教の権威と世俗の権威という二重性が、西欧文化に広く行きわたっていた。このように宗教と政治が分離していたのは、ほかにはヒンドゥー文明だけだった。イスラムでは神すなわち皇帝であり、中国や日本では皇帝すなわち神である。正教会では、神は皇帝に従属するパートナーである。教会と国の分離と両者のたび重なる衝突は西欧文明に特徴的で、他の文明にはまったく見られない現象だった。このように権力が分散していたことが西欧における自由の発達にどれほど寄与したかは計り知れないものがある。 さて、お願いです。 著者は、権力が教会と国家とに分散していたことが西欧における自由の発達に寄与したと、あっさり言っています。「権力の分散」と「自由の発達」との因果関係を知りたいです。 教会と国家の力が拮抗していて主導権を争うとすれば、両者が民衆を味方につける必要性から市民の力が大きくなり自由や平等の主張が声高になる、こういう仮説は思いつきます。一方でまた、教会と国家の力が拮抗していて強力であれば民衆は二者の圧迫を受けて忍耐の限界に早く到達するから自由や平等の主張も早い時期に声高になるだろう、こういう正反対の仮説も思い浮かびます。いずれにしても当てずっぽうの思いつきで、休むに似たりです。 人権思想の歴史や宗教改革の経緯に明るい方に著者の論理を代弁して欲しいです。もちろん、民主主義思想が西欧で進化した理由について著者とは見解を異にする説も拒否はしません。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#96295
noname#96295
回答No.2

> 聖職者と貴族の経済力が何故、民衆の経済・技術・文化の発達を促すのか、この因果関係はよく分かりませんでした。「パトロンが一極集中ではなかった」、この点も分かりませんでした。 アルフレッド・フィエロという歴史家が中世の徴税用の職業台帳を詳細に調べていますが、 わたしのおぼろげな記憶を探っても、職人たちの同業組合の種類というのは100をゆうに超えていました。それぞれに守護聖人などがいて、衣類ならば、染め、洗濯、漂白、これらは別の組合ですし、飾りものならば、金銀、宝石は別の組合です。船を造る、船を漕ぐ、岸に板を渡す、これも別の組合です。 国王、貴族、聖職者が、利便性や洗練や良質を望み、職人に研鑽させ、大きな代価を払ってくれるのでなければ、平民の職業人生というのはたやすく壊れます。イギリスは議会政治を実現して富の流れを上にも下にも遮ったために、早い時代から手工業の経済基盤が弱く、産業革命と同時に壊滅的に失われました。 ところで、権力者たちの富によって需要と供給があること、また、権力者たちの要請によって出版や印刷ができること、他国の知識や技術の勉強ができること、また、組合母体の訓練学校を設立できること、これらは、権力者たちが折々に、めいめいの財力に任せて、必要性や意思によって可能となってきたものでした。 そして、こうしたことは民衆の利益となって返ってきます。長期にわたる遺産となります。学校は現在では国立の高等訓練校となっています。富を蓄えた組合は市民政治の時代には名士たちを輩出し、とりわけ水利と石工はよく知られた組織です。商業主義の世界となった今日では、地中海クラブとなったり、銀行連となったりしているのです。 また、近代になると、ご推察のとおりに、肥大した労働者階級は農村地帯をも巻き込んで、国家や宗教の封建的な共同体を顧みるよりも、組合や結社や民衆示威運動によって自己を確立していきます。 自由の発達という著者の言葉は、こうした意味にだけとどまるものではないかもしれませんが、中世から近代まで、もしも国王なり教会なりひとつの権力が富を所有していたならば、そのイデオロギーに沿う文化や技術や学問だけが発達し、それに従事する者のうちでもさらにごく一部の者だけが、富の分け前にあずかることができたでしょう。知と経済が、分散したからこそ、民衆は自由でいられたということです。 わたしは精神医学史が専門領域に入っていますから、こうした問題に隣接する歴史を扱っています。

sono-higurashi
質問者

お礼

お蔭様でだんだん分かってきました。 こんな括り方でよいのかどうか判りませんが、貨幣経済の発達と都市生活者の増加に帰着されるのかな、と思いました。国王、貴族、聖職者の富裕層が金銭を費消することが民衆を潤すのは分かります。「聖職者と貴族の経済力」と「民衆の経済・技術・文化の発達」の関係は理解できました。 権力が国王と教会に分散していたことによって民衆が二重の圧迫を受けたと負に考えるのではなく、国王と教会のどちらかに認められればよかった社会、と考えてしまうと分かり易いですが、これでよいものやらいけないものやら頭の隅に疑問として残しておくことにします。 因果関係を詳細に記して下さってありがとうございました。またの機会にもよろしくお願いします。 (今後、どなた様からも特別な寄稿がないときは、3/2(月)の何処かで締め切る可能性があります)

その他の回答 (6)

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.7

No.4です。 お礼、ありがとうございました。 まだ開けておられるようなので、補足と修正を。 > 「二世界論」という概念は知りませんでした。カントですか(?)、頭の隅に置いておきます 少し、言葉足らずでしたね。 「二世界論」というのは、カトリック圏の歴史(特に中世~16世紀末頃まで)を語るときに支配の構造を分析・説明するときによく言われることです。 他にも、「権力二元論」とか「聖俗ニ王政」とか言われたりします。 つまり、世界を地上と天国(世俗と精神)に分け、世俗の世界の権力の頂点に立つのは「王」や「皇帝」であり、聖なる世界の権力の頂点に立つのは「教皇」であるという考え方です。 で、下に住む下々のモノ達は、普段は「王」が定めた「法律」なんかに服して生活しています。 しかし、「聖」なる行為に関することは「教会」が支配します。 「世俗」の事は「世俗」の裁判で裁かれ、「聖」に属する事は「教会裁判」で裁かれます。 この時に問題になるのは、どれが「世俗」の事でどれが「聖に属する」事なのかという点です。 その境界線を巡って「世俗権力者」と「教会」とが激しく争ってました。 ちょっと強引で不適切なたとえかもしれませんが、在日米軍の兵士が何か事件を犯したときに、その兵士を日本側で裁くのか米国側で裁くのかで揉めるのに似ていますね。 さらに、国内の教会の責任者(司祭など)にどっちの権限で任命できるか?という争いにも発展しました。 これを「叙任権闘争」と言い「聖俗」どちらが優先するのかという争いに現れてきます。 前回の回答に書いたように、世俗の王(特に神聖ローマ帝国皇帝)は教皇の権威と教会組織に依存し、教皇も世俗の皇帝や王の武力に保護を求めるという持ちつ持たれつの関係でした。 しかし、王権も教皇権も互いに成熟し始めた中世後期頃から自立し始めます。 1049年に教皇レオ9世登位すると、当時流行っていた「聖職売買」という教会の腐敗を改めるための改革が行われました。 で、続く1075年にグレゴリウス7世は「世俗権力者による聖職者の任命」が腐敗の原因だとして俗人による叙任を禁止、「聖職者の任命をはじめ、全てのことは王権よりも教皇権が優先する」と主張し始めます。 それに対して、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は皇帝権への侵害として反発。 そこから、皇帝による教皇の廃位、教皇による皇帝の破門へ発展。その後、「カノッサの屈辱」や「対立教皇の擁立」などの争いをへて、1122年のヴォルムス協約で、叙任権闘争は「叙任権は教会にあり、皇帝は世俗の権威のみを与える」という一応の妥結を見ます。 ただ、その後も世俗権力と教会権力はことあるごとに衝突していきます。 まぁ、ローマ教皇もフランス王やイングランド王、神聖ローマ皇帝、スペイン王なんかと並ぶ一つの君主みたいな感じですかね。(ただし、武力は持っていませんが※1) 言い換えると、ローマ教皇もどんどん「世俗化」していったわけです。 で、富を蓄え贅沢をするようになっていきます。 それを批判して出てきたのが、ルターなどの宗教改革派=プロテスタンティズムです。 ※1・教皇は他の世俗権力と違う点がいくつかありました。 その一つが武力を持っていないという事で、そのため神聖ローマ皇帝がイタリア侵略するとナポリ王やナポリの領有権を主張していたフランス王やスペイン王に庇護を求め、スペイン王などがナポリを足がかりに北上しようとしたら神聖ローマ皇帝に庇護を求める、、、というような感じでした。 つまり、イタリア半島の北と南に挟まれて、あっちに付いたりこっちに付いたりして権力を保とうとしてました。 >これはどんな宗教であろうと聖職者や教会の介在が弱い方が自由な発想を生む、といってしまってはいけないのでしょうか。プロテスタンティズムそのものにこそ、民主化を促す要因が内在していたと考えるべきなのでしょうか。多分、前者だと思っています。これは独り言であって、ご返事を求める訳でも拒否する訳でもありません。 う~ん、難しい問題ですね。 ルネサンス期以降に、古代ギリシア・ローマの文化とイスラム教圏の学問が入ってくることによって、もう一度世界を見直そうという動きが始まります。 その結果、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイなんかが現れ、フランシス・ベーコンによって「仮説・観察・反証」という現代科学の基礎が築かれました。 ベーコンに代表される「観察」によって世界を知ることが出来るという立場を、「(イギリス)経験主義」といいます。 それに対して、デカルトに代表される立場(理性こそが世界を認識する)を「(大陸)合理主義」といいます。 この二つの立場を両輪として、「科学革命」が起こっていくことになります。 また、科学が進んでいくと教会で説明されている世界観と合致しないところが出てきます。 その結果、この分野でも教会と対立することとなっていきます。 ガリレオが宗教裁判にかけられた折、「それでも地球は動く」と言ったなんていうエピソードがその代表ですかね。 教会裁判で自分の「知」を否定された彼は、それでも敬虔なカトリック教徒でした。 その後、この「科学的思考法」は人間社会一般にも適合出来るという立場が生まれてきます。 それが、「啓蒙主義」です。 この啓蒙主義によって不合理な伝統や権威を批判し、迷信や偏見を打破し、社会的不正を攻撃し、無知な民衆にも理性による知の光を当てようという運動が盛んになっていきます。 その結果、民衆に対する教育の重要性が説かれ識字率なんかもアップしていきます。 それが一般市民の政治意識の向上にも繋がったと言えます。 また、この「啓蒙主義」が生まれる背景にはほぼ16世紀後半から17世紀半ば頃まで争われた「宗教戦争」の時代があります。 この時代は、「カトリックVSプロテスタント」と「国家VS国家」の二つの争いが絡まり合いながら、激しい戦争が繰り返される世紀でした。 「カトリック国フランス」が「プロテスタント国のオランダ」がスペイン(カトリック国)から独立するのを支援したり、三十年戦争では新教も旧教も無い各国入り乱れた争いをしたり、、、、。 で、その結果ヴェストファーレン条約によって、近代国家に繋がるような概念が生まれます。 それ以前は、「国家」とはハプスブルク家、ブルボン家、ヴァーサ家などの「一部の家系」が所有するモノでした。 また、カトリック教皇とそれに権威付けられていた神聖ローマ帝国の枠組みが崩れ、「国家の支配」から「宗教を排除」しようという気概が生まれてきます。 それが、その後の「信教の自由」に繋がります。 もちろん、それ以外にもコロンブスによる新大陸発見(彼自身は最後までアジアのどこかだと信じてましたが)によって大航海時代の幕が開けると、低級貴族や市民階級から富を蓄えるモノが現れます。 富を築くと次は政治的制約に対して不満を抱くのは、古今東西変わらないモノで、そうしたブルジョワジーが生まれたのも、市民革命に繋がる遠因になっていきます。 つまり、「西洋の近代化」とは「国家と宗教の分離」や「学問(科学)と神学の分離」などによる「世俗化」が肝となります。 なので、 >近代化が西洋で起こった理由は、やはりプロテスタンティズムの影響が一番大きいと思います。 というのは、少し言い過ぎだったかなと反省しております。 「プロテスタントの影響が一番大きい」と言うよりも、「カトリックVSプロテスタント」という対立と「絶対王政VS貴族や新興ブルジョワジーの政治的要求」という二つの対立軸が絡み合いながら進んだという感じですかね。 お詫びして訂正いたします。 最後に、サミュエル・ハンチントンさんの『文明の衝突』を図書館で少し流し読みしてみました。 その時の印象なんですが、どうも「歴史本」というよりも「国際政治思想」の本って感じですかね。 つまり、「歴史の分析」をした本というよりも「国際政治に対する自分の思想」を補強するために「歴史」を利用したような・・・。 「歴史の分析」に関しては少し乱暴すぎる感じがしました。 ただ、現代の国際政治の情勢の分析としては、「言われてみればそうかも」と妙に納得できる部分もありましたね。 まぁ、あくまでも流し読みした素人の感想ですが。 ※ちなみに、下記のサイトによると 「この論文の日本語訳は誤訳が多く、論争的な性格を不必要に肥大させているので、注意して読む必要がある」*1 だそうです(笑) http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Nakameguro/990510theClash.htm ではでは、またまた長文で失礼しました。 参考になりましたら幸いです。

sono-higurashi
質問者

お礼

聖俗二世界論の具体的な歴史は、背景に何の知識ももっていないので、ふうん、そうなんだ程度の反応しかできませんでした。宗教改革の辺りまでは手ごろな本を読んでおきたいと思っているので、予備知識として今回のレクチュアが役立ちそうです。 「神の前で平等である」、この教えは人権思想の芽生えや深化に大きな影響を与えたであろうし、別けてもプロテスタントの影響が大きかったであろうことは理解できます。イスラム文明からの刺激、ルネサンス、(イギリス)経験主義、(大陸)合理主義、科学革命、啓蒙主義、識字率の向上、信教の自由、経済的向上、と色んな要因が原因でもあり結果でもあり影響し合って人権思想が発展してきてのだと理解できました。 「文明の衝突」は読む人が読めば、疑義があるのだと思います。私程度の人間だと何を読んでも、そんなもんかいなと半信半疑に終わるので、何と限らず読まないよりは読んだ方がまし、なのかなと思います。 再度のお答、有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • compequal
  • ベストアンサー率42% (61/145)
回答No.6

#ちょうど、さっきやや近い話に回答したので一応ご参考 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4761141.html ここのNo.11です。 それはさておき、私もがっちり詳しいわけではありませんが、ハンチントンの記述がかなりおおざっぱ、というのはそうだと思います。先の他の回答者の方が答えている経済的自由の話も重要ですが、自由論は、本当に議論の幅が広いので、いくつか思いついた範囲で簡単に補足しておきますね ●権力分立論 一番、オーソドックスにハンチントンがイメージしていたのは、中学校の教科書でも出てくる、モンテスキューの「権力分立」の理論だと思います。権力が、一つに集中して、それに対立したり、監視するシステムがないままだと、一つの権力主体が完全にやりたい放題になるので、権力のシステムを、行政/司法/立法と分けておくと、お互いが権力を持ちすぎないように監視しあうので、暴君とかが誕生せずに、うまくいく筈、という理屈ですね。  三権分立、ということで中学校や高校では習いますが、この延長線上の理屈でハンチントンは、政教分離の話も位置付けているというのが一つにはある、と思います。  また、自由には、「積極的自由」(何かを積極的に決断する自由)と、「消極的自由」(何かを押しつけられない自由。逃げる自由)という分類がありますが、権力分立がなされて、エリート同士が監視に忙しいと、特に消極的自由が増大します。 ●権力論 それと、権力論系の本を読んだのはだいぶ昔なのでうろ覚えなのですが、政治学だと、ダールなどは確か、権力を三分類にしていたり、いろいろな人が多種多様な分類を出していますが、よくある分類の一つとしては、  直接的権力:    命令などによって直接なにかをやらせること。    この権力の背景には、警察などの暴力システムや、    雇用を握っていたりといったものがある。主に国家権力など  間接的権力:    権威など。直接なにかをやらせるのではなく、    洗脳などによって都合の悪いことをしないようにしたり、    直接命令せずとも、自発的に権力者に利益になるように振る舞わせる権力。教会権力など。  などといった分類があります。  この分類で考えたとき、直接的権力も、間接的権力も、その両方を一つの権力主体が握っているような政教融合型の権力は、めちゃくちゃ横暴になりやすく権力分立の理論からいっても望ましくありません。また、様々に存在する自由のうちでも、信教の自由や言説の自由といった自由を、ダイレクトに疎外してしまうので、政教融合型の権力はまずい、ということになります。また、消極的自由にとってまずいだけでなく、積極的自由にとっても、人々が何を「選び取りたいと思うか」ということにも影響してしまうので、よりいっそうまずい、ということになるでしょう。 #権力論については、下記を参照してください。 http://www5.plala.or.jp/shibasakia/linkp0707.htm ●権力主体のレベル たとえば、権力主体を、 1.国家権力・教会権力 2.中間権力(企業、資本家、地方の名士、学校)  3.個人  という三段階で分けた場合に、国家権力や、教会権力といった中央の集権的な権力が巨大なパワーをふるう場合と、企業などの中間権力主体がパワーを持つ場合を分けて考えることもできます。例えば、資本主義が発達して資本家が権力を握るようになると、国家権力に対して、資本家がけっこう自由に振る舞えるようになります。しかし、労働法がきちんとしていない社会や、教育を受けた個人が少ない社会では、資本家の権力ばかりが増大してしまい、個々人の労働者の自由はむしろ減少してしまいます。19世紀ヨーロッパで、マルクスが登場した背景はこういうものですね。  国家権力がいくら横暴でなくなっても、中間権力主体が横暴だと、個々人の自由は増大しません。中間的な権力主体が行使可能な権力に限界を持たせるために、労働組合がつくられたり、労働法が作られたりして、中間権力主体が横暴にならないように、いろいろな規制や仕組みを作ったり、中間権力主体に対して、末端の労働者達が、対抗可能な権力組織(労働組合)を作れるようにして、権力分立をすすめてきたのが20世紀だ、と言えるのかな、と思います。  以上、素人のまとめですので、話半分にお読みいただければ幸いです。

sono-higurashi
質問者

お礼

あちこち色々なところでお世話になっています。 1 ヒエラルキー論はANo.11でやっと学問のベースに乗って、面白かったです。人類は言うに及ばず、霊長類は勿論のこと、サル程度まで進化した高等生物の場合、ヒエラルキーには積極的意義があって、これなくしては群れの秩序と平和を維持できないのだと思います。 街の善男善女、街の道学者、街のへそ曲がり、制服とバッジを好む人(軍隊、ヤクザ、官僚、組織の長……)、社会学者、文化人類学者、生物学者。 左へ行くほどヒエラルキーを否定し、右へ行くほど合理的理由を見出す能力があるのだと睨んでいます。この件に関する私の自己評価は街のへそ曲がりです。 仁科青年24歳は化け損なっていて、あるいは化ける気が全然なくて、実はその道で既に一家をなしているK..M氏47歳でないのですか? 仁科青年は街の善男善女の更に左に位置しますが、K..M氏だとすると最低でも社会学者並みの理解をしているのではないでしょうか。K..M氏が仁科青年を操って何事か企んでいるのでは?。閑話休題。 2 「権力の分散」を「権力の分立」で置き換えると、あ~ら、不思議、「権力の分散」が民主主義思想の発展へ及ぼす正の効果が実に良く理解できます。そういえば「歴史の終わり」にはホッジズ、ロック、ルソーばかりでモンテスキューの名が出てこなかったのが不思議です。 経済的側面だけでなく権力同士が牽制することの正の効果を見落としてはいけないことが分かりました。 3 己の信ずる規範に従って活動せずして何の政治活動か、政教分離は数ある寝言の一つである。小乗極まる宗教政党が伸張するとすれば、それだけの民度なのだと覚悟しておく必要がある。基本的考えはこうですが、直接的権力と間接的権力が融合する危険を避ける知恵が政教分離なのだと理解しました。 4 現在のこの国も、中間権力が陰に陽に折りあらば国家権力を操ろうとしている、と見るのは私ばかりではないでしょう。政治献金、利益誘導、情報流し、魚心に水心……事実上の不正は数々あっても、少なくとも選挙結果の不正操作はなさそうですから、何もかもひっくるめて許しているのは国民だと認めるしかありますまい。民主主義は尻の持って行き場がない全く厄介な制度です。 「権力の分散」と「自由の発達」との因果関係が権力という側面から見て、よく分かりました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

sono-higurashi
質問者

補足

出た~。 「気にするな、慣れているから」と、言われそうですが。 ホッジズ、ロック、ルソーはホッブズ、ロック、ルソーです。済みません。

  • old_sho
  • ベストアンサー率38% (20/52)
回答No.5

ご質問に対する回答ではありませんが、質問文に含まれる疑問点に一言。 その文とは「中国や日本では皇帝すなわち神である。」です。質問者が日本人であるなら、こんな認識で西欧がどうのと云う前に、自国の歴史を知るべきです。

sono-higurashi
質問者

補足

アタイが日本人であろうと宇宙人であろうと勝手に決めてよし。 文句があればサミュエル・ハンチントンに言え。 ANo.3、ANo.4の回答者の方へ ご回答へのお礼が遅れていますが及ばずながら、しっかり咀嚼してから記そうと思っているので暫く猶予を下さいませ。このお願いがANo.3、ANo.4の回答者の目に触れますように。 教えてスタッフの皆さんへ ANo.5の回答は良くない回答の例として他山の石になるので残しておいて欲しいのですが、仮に削除するにしても、ここにANo.3、ANo.4の回答者への伝言を記しているので、私がANo.3、ANo.4へのお礼を記した後にして下さいませ。お願いします。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.4

いわゆる、二世界論というヤツですね。 サミュエル・ハンチントン氏の著作は読んでいませんので、彼の思想ではなく、一般論的な解釈を参考に。 まず、西洋ではローマ帝国というのが根底にあります。 東西ローマに分かれてから、西ローマ帝国は自然消滅のような形で消滅してしまいました。 一方、東ローマ帝国は弱体化するとはいえ、1453年まで続くことになります。 さて、西ローマ帝国は帝国が消滅してしまったので、当然皇帝もいませんでした。 一方、教会ではキリスト教が発展するなかで「ローマ教会、コンスタンティノープル教会、アンティオキア教会、イェルサレム教会、アレクサンドリア教会」の五つの重要な教会ができていました。(※因みに、ここでいう教会は建物ではなく団体だと思ってください) で、これら5つの中でローマ教会は次のように主張していました。 ローマ教会はローマがペテロ(本名・シモン)殉教の地であること、聖書にキリストが「あなたはペテロ(岩という意味)。私はこの岩の上にわたしの教会を築く。(中略)わたしはあなたに天国の鍵を預ける( マタイ16:17-19)」と言ったという記述があることから、「ローマ教会総司教(ローマ教皇)こそがペテロの後継者であり、故に全ての教会の頂点に立つべきだ」と主張しました。 それが、カトリック派となっていきます。 それに対して、他の教会は「立場上に上も下もない」と主張しました。 そして、皇帝の庇護の元にコンスタンティノープル教会が中心となっていきます。 これが、正教会派となります。 カトリック派は、西ローマが滅亡してしまい、皇帝という「権力の庇護」が受けられませんでした。 そんな折り、ゲルマン民族系の国家の一つであったフランク王国がローマ教皇に近づきました。 そして、ローマ教皇領を寄進します。 これには、両者の思惑が一致してのことでした。 フランク王国側は、自分達が西ローマ帝国の後継者として支配するという正統性を得るため。 ローマ教皇は、フランク王国の庇護下に入ることで「東ローマ=コンスタンティノープル教会」とその下に連なる正教会派と渡り合うため。 こうして、「フランク王国=ローマ教会」というヨーロッパ地域と「東ローマ=コンスタンティノープル教会」というオリエント地域という二つの文化圏ができました。 イスラム教が起こると、徐々にオリエント地域はイスラム教の庇護下に入っていきます。 フランク王国のカール大帝が教皇レオ3世によって「戴冠」して以来、ローマ教皇に「戴冠」されることが、権力の正統性を得る一つのステータスとなっていきました。 そして、一端フランク王国の王家が途絶えた後、オットー1世が戴冠して神聖ローマ帝国が出来ました。 こうして、ローマ教皇による戴冠が支配権の根拠となる論理は「王権神授説」となっていきます。 その一方で、もう一つの論理が「封建制度」でした。 この封建制はゲルマン民族の主従制度に根ざしているモノで、支配者は庇護と領地を与える変わりに臣従者は武力を与えるという関係でした。 封建制は、諸侯の支持が支配権の根拠でした。 この「王権神授説」と「封建制度」は、時の為政者によって利用されたり対立したりしながら進むのが西洋の歴史でした。 また、ローマ教皇は独自の軍隊を持たないために、世俗の権力に依存することで地位を守っていました。 逆に世俗の権力者は、ローマ教皇の権威に依存することで他の諸侯よりも優位な地位を守ろうとしていました。 そんなわけで、時々の政情によりあっちに付いたりこっちに付いたりしながら政争を繰り広げる歴史が出来ていきます。 特に、ローマ教皇領があるイタリア半島では「皇帝派」と「教皇派」に分かれ、神聖ローマ帝国やフランス、スペインなどの外国勢力の侵略を許すなど、「世俗権力同士」や「世俗権力と教皇権力」の争いの舞台となっていきます。 で、ローマ教皇は独自の軍隊を持って支配権を確立するのではなく、精神世界に食い込むことで支配権を確立していました。(中でも、教皇だけが持っている「破門」は絶大な効力がありました。なんせ、破門されれば地獄行きは確定ですから) よって、世俗は支配しないが精神世界を支配しているといわれるようになっていきます。 しかし、ルネサンス期を経て近代に入ると、その精神世界の支配も絶大的な優位を保てなくなっていきます。 ルターの『贖宥状批判』を皮切りに、宗教改革の嵐が吹き荒れるようになっていくのです。 この「宗教改革」は、それまでの「神の代理人」としてのローマ教皇を頂点とする神父などの宗教者を排除しはじめました。 そして、聖書を通じて「神と直接対話せよ」と言い始めたわけです。 (※活版印刷技術の向上と書き言葉としての現地語が大きな役割を果たしたのは見逃せない事実です) プロテスタント派の台頭は、市民革命に大きな役割を果たしました。 精神世界で「教会の組織と制約から解放され、個々人が自由に神と対話する」を果たしたのですから。 こうなると、次は「世俗権力」からの自由を獲得する番です。 こうして、各地で市民革命の嵐が吹き荒れることになっていきます。 また、「ローマ教皇の軛」から解放されたかった時の為政者もこうしたプロテスタンティズムを利用していくことになります。 こうして、市民も世俗権力者も教会も新教徒も旧教徒も入り乱れた闘争が始まりました。 そして、英国での清教徒革命や名誉革命を皮切りに、フランス革命、米国独立戦争などなどが起こっていきました。 特に、フランス革命と米国の独立により「民主主義・国民国家・人権・憲法」などなど、現在の民主主義に欠かせない概念が結実することになります。 『人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)』と『アメリカ合衆国独立宣言』です。 この二つが現代民主主義がの土台と言えます。 近代化が西洋で起こった理由は、やはりプロテスタンティズムの影響が一番大きいと思います。 そのことを指摘した書に、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がありますね。 この書は、近代化の根幹である「資本主義」はカトリックよりもプロテスタントの精神により合致していたということを、鋭い観察力と分析力で行っています。 ではでは、長文で失礼しました。 参考になれば幸いです。

sono-higurashi
質問者

お礼

1 「二世界論」という概念は知りませんでした。カントですか(?)、頭の隅に置いておきます。 正教会とプロテスタンティズム誕生までの要約は、ほぼ理解できました(かな?)。「正教会では、神は皇帝に従属するパートナーである。」、質問文投稿前に、この意味を一応調べてあったので、自分で論じる事はできなくても読んで通じる程度にはなっていました。また、カトリック圏からは正教会圏からと同様、自由や民主主義の思想は生まれ難くかった事情も、まぁまぁ承知していました。 2 >>近代化が西洋で起こった理由は、やはりプロテスタンティズムの影響が一番大きいと思います。 これはどんな宗教であろうと聖職者や教会の介在が弱い方が自由な発想を生む、といってしまってはいけないのでしょうか。プロテスタンティズムそのものにこそ、民主化を促す要因が内在していたと考えるべきなのでしょうか。多分、前者だと思っています。これは独り言であって、ご返事を求める訳でも拒否する訳でもありません。 3 どうやらアメリカの独立とフランス革命が民主主義実現の緒の双璧らしいですね。 4 「資本主義」はカトリックよりもプロテスタントの精神に、より合致していると1920年没のマックス・ヴェーバーが既に見抜いていた洞察力は流石だと思います。今日現在、カトリック国群よりもプロテスタント国群の方が自由度も民主主義も経済も進んでいるらしいです。これにも前記2と同じ疑問があり、同じく独り言です。 懇切なご回答を有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 (ANo.2のお礼欄で3/2(月)中の締め切りを示唆しましたが、その後長大なご回答が2件寄せられたので、もう一回土・日を挟む意味で3/8(日)までは開けておくことにします)

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

明るくも無いのですが。。。。 一つではなく、複数が相互作用しあって歴史はできていくのだと思えます。 統一。 カトリックはどの人が説教しても内容は同じだそうです。 他の説を唱える人達を撲滅して、たった一つの思想にするために聖書が編纂されたと聞いています。 確かに誰もが同じ思想なら、捉え方に違いが無いわけで、喧嘩も起らず平和な社会になるかも。 でも、現実は人間は誰一人として同じ考えは持っていないので、いっくら義務教育で同じ教育を施したところで、「おかしいんじゃないか」と疑問に思う生徒は出てくる。 前、カトリックのトップの人は、法王 あるいは 教皇と日本語に訳されており、現在は教皇って訳されているそうなんですね。 法王。支配者という印象が強いから、教皇にしたのでしょうか。 キリスト教はローマ帝国の拡大に貢献した。 今から侵略する予定の土地に聖職者を派遣し、情報収集させ、その後軍隊を送り込んだ。 そして取った土地の人の精神を洗脳していき、ローマ帝国民としていった。(植民地民という扱だったのかもしれませんが) 地下資源が取れる地域を侵略、土地が肥えた土地を侵略。 そうやって拡大していったわけです。 ローマ帝国の最盛期に至っては、ヨーロッパのほぼ全土とアフリカの一部もローマ帝国の領土になっていた。 何故アフリカ?(地下資源が豊富だから) 侵略して取った肥えた土地の作物は都会に運ばれ、作物を育てず商業や工業をする人や軍人の食料になり、人口が増える。 またその取引に関わる産業も盛んになる。 人々の精神を安定させ、政治的支配者を民に支持させる教会は、存在がとても大きかったわけです。 清貧をモットーとするようにと教会が教え、人々は清貧がすばらしいことであるかのように錯覚した。 搾取されて手元にわずかしか残らなくても、先物取引で死んだ後幸福になると思えば、働かない人々が裕福に暮らし、身を粉にして働く自分が食うや食わずでも、不満は無かったわけです。 キリスト教はまず支配した地域の地主をキリスト教徒にして、かつ特権を与えた。 地主は農奴が働いた作物は地主が受け取り、それで地主は農奴が働いている間、音楽や芸術に力を注げたわけです。 才能のある人のパトロンになった。 宗教絵画、宗教音楽が発展していく。 一方建築も発展していく。 キリスト教が来る前は多神教で、その建物(シンボルマークは十字架のようなマーク)が集落にあった。 キリスト教が入ったとき、その多神教のたてものをキリスト教の建物として使用していたが、都市が拡大すると、人口も増えて、前からあった建物に行くのが大変になる。 それじゃ人々を統一できないので、人々が集う教会の建物を作ることで、人々の結束を強めようとしたと思えます。 で、貴族が建築のための財源を寄付したり、貴族所有でその貴族のための教会だが、建物を建てて農奴に開放したり。 その建物を建てるためには、人手がいる。  特殊な知識が無いと立てられない。 そこで特殊な技術を持つ職人が外からやってきて、建物の建築を建築する。 その石工職人がフリーメイソンの起源だという説がある。 フリーメイソン、どういう意味か。 簡単に言えば無税。 特権を与えられた職人。 土地に縛られず自由にいききする権利を持つ人々。 で、そうやって、教会は各地に農奴を統一する教会をたてていって、集団の思想をキリスト教会に統一していき、法王が皇帝に冠をさずけたら、神が皇帝を選んだと人々は捉え、皇帝を支持するわけですから、皇帝にとって教会は必要不可欠だったわけです。 ところが、地主の中には財力を蓄えだした一族も出てきた。 ○○家 とか。 貴族なわけです。 その中から法王が誕生していくわけです。 さらにのちのち、その中から王族になる人も出てくるわけです。 で、支配者層が変っても、キリスト教徒ってことには変わりなかったので、上の政権、権力争いに対して、対岸の火事だった市民でも、実際自分たちが食べる食べ物が無いのに、王族や貴族たち、聖職者たちが豪華な食事をして宴会しているのが、許せなくなり、「清貧・・・・お前らのどこが清貧だと言うのだよ」と、言っている当の本人らが、やっていないことにやっと気づいて、やっとこさ自分たちが信頼している相手は本当に正しい人たちか?と疑い出したわけです。 神の仮面をかぶった、あるいは神の使者のようなふりをした人間たちに、いいように搾取されていた。 神を冒涜する行為をしていた人々に対して怒り爆発。 でも、権力者に逆らえなかった。 人々は教会から知識を得ることを禁じられていた。 図書館は閉鎖され、一部の特権階級しか教育がほどこされず、信者は聖書だけを読めと命令されていた。 ところが、聖書すら手にできないので、知識が欲しいというニーズに教会が説教をして、ほんの一部だけの知識を農奴に与えてやることで、知識への欲望を満足させて仕切っていたわけです。 でもそれより今は生きるか死ぬかで、ペストが流行したのはユダヤ人がやったからだ言いくるめたから、今度も貧困の原因はユダヤ人のせいだと言いくるめられるかというと、そうはならなかった。 知識人が知識を持っていないフランス市民をリードしたから。 その知識人は誰かというと、教会の建物を各地に建てていった石工ギルドのフリーメイソン。 フリーメイソンはこの頃から、物質的建築をするのをやめて、知的建築をする団体に変っていったわけです。 腐敗したフランス王制と、腐敗したキリスト教に対して天使の怒り爆発。 ほんで、人々は長年騙されていいように搾取されていたとやっと覚醒して宗教は恐ろしい支配者団体だったとわかり、それでもまだヨーロッパにしぶとく残っていて人々を支配し搾取するこの宗教から脱出するために、アメリカに渡ったのだとか。 だから、19世紀後半までは、アメリカは自由な国だった。 特定の宗教が絶対的な支配権を持ち、一部の支配者に権力を与え、平民から搾取し、被支配者層を生かさず殺さずと飼い殺しにする団体は、19世紀後半まではアメリカには無かったわけです。 アメリカには貴族ってものが無い。 特権階級で優遇され、人々を宗教の名の下に支配し人々から搾取する団体は、アメリカには19世紀の後半まではいなかったわけです。 文明の衝突? 利害の衝突じゃないかと。 イラク戦争は、結局はサウジが石油の価格を跳ね上げ、アメリカはサウジの言い値で買うしかなかったが、そうなるとアメリカ経済が冷え込むから、石油第二埋蔵量のイラクを乗っ取りたかったわけでしょ? バーミヤンの遺跡を破壊したと怒ってアメリカがアフガニスタンに派兵した本当の理由は、そこに眠る膨大な地下資源が欲しかったからでしょ? 表向きは正義でも、実際は利益のため。 ところが市民は新しい支配者の表向きの理由に納得して、またもや簡単にマインドコントロールされてるわけです。 歴史は繰り返す。 自由だ なんだと言っても、結局しばられて、上からああしろこうしろと命令されないと不自由で仕方無い人々が、自分たちから自由を奪ってほしいと願っているから、こうなったわけでしょ? 人々は結局 自由など求めてはいなかった。 ところで支配者は誰? 複数の勢力が衝突しているので、本当の闇の帝王は誰だとは言えない。 その一ブループが、、、 えっと、<赤い盾>って本があるんですね。 ファミリー。 某国の王族、石油、核兵器会社、財閥、政治家、銀行家などなどが一つの系図でつながっている。 全員一つのファミリーなわけです。 血縁関係があるわけです。 (おもしろいのが、バチカンとマフィアはもちつもたれつで一卵性双生児なわけですが、マフィアの金を洗浄して綺麗な金に変えてバチカンに渡していたのが、フリーメイソンの一部のロッジ。バチカンが財政破綻をしたとき、救ったのもこのロッジ。事件を起こしたので、他のロッジから認証を取り消されましたが。) で、ファミリー(王族、核兵器会社、政治家などなど)が栄華を維持するために不可欠なのが戦争。 戦争を起こして消費してくれないと、儲からない。 戦争で消費してくれないと下々の人々にお金がいかない。 だから戦争を起こさないと、経済が停滞するわけです。 冷戦時代戦争が起らなかったので、経済が停滞したわけです。 戦争が起ると国民は貧しい思いをするが国は武器弾薬を買う。 売る側は儲かるわけです。 武器を製造する会社の株は跳ね上がり、株主は儲かる。 社員ももうかる。 その人々が消費を拡大すれば、結局 金は流れるわけです。 金が盛んに流通する社会は、経済が発展する。 「遠いところで戦争が起っているな くわばら くわばら」とのほほんと暮らしている人々は、戦争と全く関係ないわけではない。 日本のお家芸はICなど精密機械の製造。 この技術は湾岸戦争の時、活用されました。 消費してくれたから、日本の会社が儲かり、その関係の人達がバブルになった。 日本はあたかも戦争とは無縁だと思っていたでしょうけど、つながっているわけです。 で、日本の産業は行き詰っているので、新たな産業として、憲法を改正して、軍事輸出大国にしようかって話し合っているわけです。 ハチトンさんは政治学者だそうですが、本当に世の中のことが見えているのか疑問です。

sono-higurashi
質問者

お礼

ご回答を拝読しながら浮かんだ連想を記してお礼とします。 1 自由、民主、経済、こういう面からいうとカトリック国群はプロテスタント国群に遅れているそうです。教会の力が強ければ発想に縛りが掛かるので当然だと思います。理屈と現実がよく合っています。分野を問わず科学的に考えられるか否かの問題だと思います。ただし、何千年後という超長期で考えると、どちらが早く行き詰まるのか私には判りません。「不合理の理」なんてものもあるかもしれません。 2 同業組合の存在が欧州に於ける民主主義思想の発展に大いに関連していたらしいですね。別けても石工組合は有力だったのですね。FreemasonのFreeとは免税のFreeですか。この度、初めて知りました。 3 その後の調べで、といっても生兵法ですが、貨幣経済が発達した結果、庶民の中にも豊かな者が出てきて市民層が力をもつことになったとの説を見つけました。一理ありますかね。 4 当初、アメリカは反英国、半欧州の急先鋒であったでしょうに、「欧米」という語にみられるように何時の間にか一心同体になってしまいました(見掛け上?)。民族、言語、文明の質に共通性があれば国家間の相互理解は進み易いから当然でしょうか。日本は民族、言語、文明とも単独として分類されるらしく、前途は多難という理屈になりそうです。 5 「文明の衝突」と言い切ったのは、売らんかなの出版社の意向であって、当初は「文明の衝突?」だったそうです。 6 今日でも戦争によって国家が潤うことがあるのでしょうか。特定の企業や個人が儲かることはあっても、国民全体の利益にはならないように思えるのですが、私には判りません。 7 ハンチントン説が正しいのか否か判りません。偶然、フランシス・フクヤマ著、渡辺昇一訳「歴史の終わり」を読んでしまったので、対立していそうな「文明の衝突」を読み始めただけです。二者択一の場合、何百年も何千年も先はいざ知らず、短期の未来でいうならハンチントン説を支持します。しかし、もっとよい説があるかもしれません。 こんなお礼でよいのか心配ですが、読み飛ばしはしなかったという意味で記しました。字数制限により3項目を割愛しました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

noname#96295
noname#96295
回答No.1

両者の二重性について前置きしますと 神聖ローマ皇帝が「神から戴冠され」て世俗における最高権威となるという、カトリックの歴史上最大の政治的仕組みによって、中世には王権と教皇権がそれぞれの権力を利用しつつおのれの権力を保持し、教皇の権力が栄華を極めますが、 中世の終焉とは、フランス王の政治手腕が、教皇から経済力を奪い長らく幽閉するという事態、またその間にローマに教皇がもう一人据え置かれるという事態に端を発する教皇権の著しい衰退によって暗示されます。 権力の分散によって徴税を免れている聖職者と貴族の経済力がなければ、民衆の経済・技術・文化の発達はなかったでしょう。 中世の民衆に注目すべきは、同業組合であるといえます。建築関係と水利関係の組合はとりわけ経済力に富んでいます。これは都市の技術力と直結しています。 また、中世から近代にかけて、キリスト教の世界観が弱まると同時に多様性のある文化活動が活発になり、活版印刷術によって知識の広くすばやい浸透が可能になります。 学の自由はカトリックを逸脱するほどにまではなりませんでしたが、経済力と知識が中世から近代をつうじて民衆の手にもたらされたのは、パトロンが一極集中ではなかったことが大きな要因であるといってよいでしょう。

sono-higurashi
質問者

お礼

分かった事と、分からない事がありました。 同業組合の存在は方向として自治権の拡大要求へ向かうだろうし、キリスト教の世界観が弱まることは発想と行動の自由を生むだろうと見当がつきます。 一方、 聖職者と貴族の経済力が何故、民衆の経済・技術・文化の発達を促すのか、この因果関係はよく分かりませんでした。「パトロンが一極集中ではなかった」、この点も分かりませんでした。 ありがとうございました。

関連するQ&A