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ホモの哲学

プラトンやダヴンチが,若い弟子をかどわかしたなどの罪で投獄されることがあります。 当時のホモに対する人々の考え方やとらえ方とは,どういったものだったのでしょうか? また,なぜ哲学者や芸術家が,そのような風説にあいやすいのでしょうか?哲学者と男色家の間には,あい通じる思想や発想があるのでしょうか?

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  • SCNK
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回答No.3

欧米ではつい最近にいたるまでホモやレズなどの同性愛者は犯罪でした。同性愛者との噂が立つだけでも社会的地位を脅かされることが通常だったのです。 それを、しばしばKGBが利用したものです。同性愛者と見まちがえるような写真をとって脅してエージェントにするわけですね。 最近でこそ、同性愛者にも人権が保障されるようになりましたが、今でも軍隊ではご法度です。CIAでも酒癖が悪いのは、それほど影響されないそうですが、同性愛者は退職を迫られるそうです。 この根底にはキリスト教社会における、生殖にかかわらない性交を否定する考え方があるようですね。子を授からない性交は、つまり神との契約違反ということです。

BadCompany
質問者

お礼

有難うございます。プラトンもキリスト教なんでしょうか? ダヴィンチの宗教観も気になりますね。最後の晩餐などの宗教画を描きながら、兵器開発者でもあり、解剖学者でもあり、科学者でもある彼の宗教観とはいったいどんなものだったのだろうか。 神との契約のよって、差別が助長されるというのも宗教のもつ一つの側面ですね。 KGBのエージェント要請過程は,長期にわたると聞いたことがあります。自由応募のCIAよりも相当厳しそうですね。日本の内閣調査室もモサド並にするには、強制的な側面を出した方がいいのかな。

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noname#5270
noname#5270
回答No.5

ども~、want-my-pcです~!! m(_ _)m 遅ればせながら、一筆…… >プラトンやダヴンチが,若い弟子をかどわかしたなどの罪で投獄されることがあります。 ― ―→これは冤罪かも知れませんよ。ホントのところは、政治思想犯として捕まったンでは…… まぁしかし、プラトンやダヴィンチが同性愛者だったかはともかく、【ホモの哲学】という題には、ピンとくる所がありました。意義のある質問だと思います。BadCompanyさんは哲学者の素質があるのでは?以下は、ホモと哲学に関連性があると仮定したうえでの、私見であります。 哲学という学問――これがそのはじまりから既に「ホモ的」な学問だったのではないでしょうか。現在、大学で教えられている学問とよべるものは、全て「科学」であります。自然科学、人文科学、社会科学……科学は客観性を重視します。数学は全世界の共通言語・数字を重視しますし、社会学では自分「以外の」社会を研究することになります。理科の実験は、自分を含めてあらゆる事象を排除し、限定された環境をつくる事によってなされます。しかし、哲学はどうでしょう?哲学に【おのれ】を排除することができるでしょうか……?できたとしたら、その人にはもはや、哲学は入りません。仙人のような存在になってしまいます。 社会学に数学を持ち込んでも、心理学が大脳生理学の力を借りても、成り立ちます。むしろ、科学としての相乗効果が期待できるでしょう。しかし、哲学は……?哲学は、哲学によってのみしか評価され得ないのです!これは、ひろ~い、ひろ~い意味での、「ホモ的な」事象であると考えられるでしょう。カントもハイデガーも、有能な西洋哲学者は行き着くところまで行った所で、哲学(人間)の限界にぶち当たります。そこで彼らはしばし、循環論法的な折り合いを付けざるを得なかったのです。  ・良い漫画に触れすぎると、自分も漫画を描きたくなる。  ・生とは畢竟、肯定するしかないものであり、それは偏に生によってのみなされる。  (←―生きた存在、生きた自己)  ・広い意味での【愛】もまた、生と似たり。 哲学も生も性もまた、宇宙という広大な世界の中で、循環論法的な・ホモ的な【肯定】の中で存在しているのでは……?その【大きな肯定】をなんとなく感じ取ってしまったヒトが……ある時は輪廻を説き、ある時は「愛こそすべて」と謳い、ある時は神の存在を感じ、ある時は実存に喜ぶ。ある時は「人間も動物だ」と悟り、そしてある時は「世界が滅ぼうとも」と永遠の愛を誓う……ま~ある時は同性愛にも興味が……チョット強引ですね。では!!

BadCompany
質問者

お礼

アリガト。わたくしも冤罪と思う。 ナチスがそうであったように,極端な潔癖な考え方が,優生学となり、民族浄化などにつながった気がします。 このサイト内の雰囲気にもゲシュタポのような存在があり、反動分子の芽を徹底的に摘むことで、少しでも不都合なものの存在を認めないところがあります。 ホモというだけで思想弾圧を受けるような社会に戻って欲しくないが、時代は繰り返すのでしょうか。

noname#6163
noname#6163
回答No.4

哲学というよりも、文化的背景があったと思います。 織田信長も、戦場に女は連れて行けない、という考えから、慰安夫として、少年を連れて行ったそうです。 ギリシャ時代は、肉体美というものが知性と同じように、徳として、高く扱われました。 男女関係なくです。 そのために、美しい者に情愛を抱くのは、別になんら咎めを受けることではなかったと聞きます。 しかし、結婚するまで、というのはあったようです。 >また,なぜ哲学者や芸術家が,そのような風説にあいやすいのでしょうか?   たぶん、そういうことではないように思います。あるのは、美意識的な部分の共通項はあるかもしれません。筋肉好きなのか、少年好きなのか、しかし、男女違わず美しいものが好きだという、オールマイティさ?が、あるのかもしれません。 信長や、プラトンは、男専門ではなく、両刀使いだっただろうし、男専門のホモとは、少し違うと思います。ダヴィンチに関してはよく知りませんが、レオナルドダヴィンチも、男女ではなく、人間、人体にまつわる美意識を持っていたのかもしれません。男も、女も、基本的にシンメトリであることが、美しさの基調であるともいわれてます。 俺個人としては、美しい生き様が、結局はその人を美しくするのだろうと思います。ホモであろうが何であろうがです。

BadCompany
質問者

お礼

有難うございます。私もジャニーズやW-indsのこがかわゆいと思っちゃうことがありますけど。さすがに手を出すまでにはいたっておりませんが。 美少年や美少女は,ある種の癒しの効果があるのかもしれませんね。 プラトンに関しては虚偽の疑いにかけられたらしく,実際は若者を先導する危険分子として見られていたことがきっかけにあるようです。

noname#3879
noname#3879
回答No.2

>当時のホモに対する人々の考え方やとらえ方とは,どういったものだったのでしょうか? 女性のホモですか?男性のホモですか? どちらか分からなかったのですみません

BadCompany
質問者

お礼

女性の例は余り知りませんが、包括できれば両方ともありと言う事でお願いします。

  • nes_
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回答No.1

そのころには、ホモというよりも、「少年愛」が"崇高な愛"としてみなされていたらしいということはよく聞きますね。 また、日本の戦国時代においても、大名がおかかえの雑用をするような子供(名称はわすれました)または青年を性的に寵愛することが珍しくなかったようです。

BadCompany
質問者

お礼

哲学者の真理を求める心が,少年愛に通じるのかな。 ルイスキャロルのように少女を愛したらロリコンですし、難しいですな。有難うございました。