イギリスの経験論の代表選手の一人にジョン・ロックという人がいます。
彼は、人間の知識・認識などは生まれた頃は白紙のように何も書き込まれておらず、人は成長する過程で経験することから学び、「経験」で得た知識などを白紙に書き込んでいくと考えました。(これをタブラ・ラーサと言います)
つまり、「人間の全ての知識は我々の経験の結果」として受け止めます。
また、何らかの問題を解決するための方法として「帰納法」を重視します。
「帰納法」というのは、ある事実を積み立てていき(つまり経験し)、そのなから何らかの法則性を見つけ普遍的な知識を証明しようという方法です。
例えば、
1・昨日は東から太陽が昇った→今日も東から太陽が昇った→明日も明後日も太陽は東から昇るだろう
2・日本人Aは箸を使ってご飯を食べた→日本人BもCも橋を使ってご飯を食べた→全ての日本人は箸を使ってご飯を食べる(だろう)
と言ったような証明の仕方です。
ここで重要なのは、例2の()書きした(だろう)の部分です。
つまり、結論が少し曖昧になっている訳で、将来「箸を使ってご飯を食べない日本人」が見つかるかもしれません。
そうなると、「全ての日本人」というのは誤りで「多くの日本人」とでも結論を修正しなければなりません。
というように、「イギリス経験論」とは、「経験」によって真理を追究しようという考え方です。
一方、「大陸合理主義」というのがあります。
こちらは、人間はすでに何らかの知識を先天的に持っており、知識の獲得は「理性」によってなされるというものです。
また、証明方法も「演繹法」を多様します。
こちらは、一般的な知識・概念があり、そこからより個別的・特殊的な事象を説明しようとします。
具体的な方法としてはアリストテレスの三段論法というのがあります。
1・全ての人間はいつかは死ぬ
2・ソクラテスは人間である
3・ソクラテスはいつかは死ぬ
というような感じです。
1を大前提といい、これが真実であるなら3も真実となります。
経験論はイギリスで発展し、合理主義は大陸側(フランス・ドイツ・イタリアなど)で発展してきました。
この二つは対置関係にあります。
ではでは、レポートがんばってください。