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仮定法の疑問(重要)

君の時機を得た救出がなかったなら、その子は水死していたであろう。 この文は仮定法を使って表現するんですが理解に苦しみます。 仮定法とは可能性0%のことを表現する時に使うんですよね。 もし太陽が西から昇るようなことがあっても、私の心は変わらないと思う。←このような表現であれば、確実にありえないなと判断できるんできますが、どっちかわからない時があります。 仮定法と直説法の日本語の明確な見分け方はありませんか?? またその根拠を教えて下さい。

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回答No.2

should, were to を用いる場合は、これからの可能性(以前は仮定法未来などと呼ばれていました)という問題になりますが、今回の場合、仮定法過去完了になりますので、事情が異なります。 仮定法過去は実は一番難しいですが、今回は直接関係ありませんので、言及を避けます。 すなわち、今回はすでに終わった、事実が判明している場合です。 その時「君が救出できる可能性があったかどうか」は問題ではありません。 ここでは「現実には君の時期を得た救出がなかった」という過去の事実を前提に、「もしあったならば」というのが仮定法過去完了です。 過去のことは現実がわかっている。 その現実と逆だったら、というのが仮定法過去完了です。 可能性があったかどうかでなく、実際に「なかった」ことの反対を仮定しています。

その他の回答 (2)

  • trgovec
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回答No.3

水死していないという現実をふまえた上で、「あくまで仮定なのだがもし…」と言うとき仮定法を用います。 If you had not rescued him, the child would have drowned. その子は生きているということを知った上での発言なので、上の文は可能性0ということになります。 過去のこと、現在のことは分かっている事実をひっくり返せばいいので可能性0のことが表現できます。 事実が分からないのであれば、たとえば「誰かが救助してくれたなかったのなら水死しているだろう The child may have drowned if someone did not rescued him.」(こういうとき助けたのが「君」では都合が悪いことに注意。確かめようのない第三者であることが普通) 直説法による単純な仮定になります。 これが少しでも未来に属することなら、太陽が西から昇るなどよほどのこと以外は可能性0とは言い切れません。 if someone comes などは未来に属することで可能性が五分五分です。こういうケースでは直説法現在を使います。また「仮定法未来」という変な用語で呼ばれることもありますが、if comeone should come や If someone were to come という言い方もあります。従来からこれらは可能性が低いときに使うと言われてきましたが、可能性の低い高いは関係なく、かなり起きそうなことにも使われます。「万一」「仮に」という訳がふさわしくないケースが往々にしていあるということです。

  • gldfish
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回答No.1

>仮定法とは可能性0%のことを表現する時に使う 確かに間違いとは言えませんが、この認識は大きな誤解のもとです。 可能性0%というのは、「過去に既に起きてしまった事で、もう変えられない事」も含みます。 >君の時機を得た救出がなかったなら、その子は水死していたであろう。 これは、実際は「君の救出があったので、その子は水死していない」という事ですよね。「君の救出がなかったら、その子は水死していた」というのは現実に反する仮定(話)という事で、まさしく仮定法が使われます。 仮定法というのは、実生活ではむしろ、「太陽が東から昇る」というような不変の法則に反する仮定よりも「過去に起こった事に反する話」について使われる事の方が多いように思えますので、こちらを中心に考えてください。

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