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墓や先祖って世界共通のもの?
「墓や先祖を大事にすることは、世界的に見ても、文化、宗教を問わず、共通することである」 という意見がありました。 これは本当でしょうか。 つまり言い換えると、「墓や先祖を大事にすること」をしない文化や宗教は存在するでしょうか。 よろしくお願いいたします。
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僕が3年暮らしたブータンでは、お墓はありませんでした。 遺体は焼いて、灰をダンゴにして川に流し、魚に食わせてました。 (偉い人の遺体は焼かずに刻んで山の上に置き、鳥に食べさせる) 要するに、輪廻を信じている(チベット仏教)彼らにとって、「祖先」と いうものは存在しない(今生きている人たちが祖先(の生まれ変わり))ゆえに。 その代わり、病院に勤務している協力隊員が検査のプレパラートにたかった ハエをたたいたところ、同僚から叱責されたという‥‥「病院に来るハエは、 何らかの罪で人間に生まれ変われなかった人が、病気の家族が心配で見に来た 可能性があるから、絶対に殺しちゃダメ!」という訳で。 実は、僕も製図室で図面にたかったハエをたたき殺したら、室内の空気が凍りつき、 部下がそっと近づいてきて、小声で「サー、ハエを殺したら、その罪で百回ハエに 生まれ変わります」とアドバイスしてくれた経験があります。
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私のお墓の前で泣かないでください その草の上で もしかしたらお父さんやお母さん おじいさんやおばあさんが そこで少し腰かけて休んでいるかも知れない その 草や 花を粗末にしないであげてね その優しさの中で君は育った そっとお母さんはそう君の耳元でささやいて また風になる 千の風に 君の お父さんお母さんを思う優しい気持ちで 自然を見てあげてね お墓の前で泣かなければならなくなる前に。。。 ´
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度々の詩の投稿ありがとうございました。
- ENERGEIA
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墓・・・ 執着 石の塊 墓の前で流す 虚の涙 それがなければ個々の中で純化された想いのみが残る 純粋な 暗闇の中で満たされる自己
お礼
詩の投稿ありがとうございます。
ダークマター ひとつになろうとする重力の発生因
お礼
詩の投稿ありがとうございます。
お墓の前で 遠い先祖を想いながら すべてを失ったあとに流す 後悔の涙 闇は自らを知らぬ まだ発見されない量子
お礼
詩の投稿ありがとうございます。
ダークマター 闇は自らを知らず 観測技術を持たないゆえに 今だ発見されない素粒子 虚の光の影の 隠された素粒子 暗闇の中で流す涙は 一人で味わう無知の涙
お礼
詩の投稿ありがとうございます。
- ENERGEIA
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なんでこんなに批判的な意見が集まっているのか 解りませんが... 単に聞いているだけなのにね... この過剰な反応により それぞれが何の問題を抱えているか 解るような... 回答: 親や先祖そのものでなく、 墓を作らず あるいは 墓にたいして意味を見出していない 文化や宗教は存在するのではないでしょうか。 墓は 生きている人間のため のモノ。 死者の気持ちを考えてのものではない。動機が悪けりゃ・・・? 墓があったから 良い社会になったのか 悪い社会になったのか 墓がないと もっと良い社会になるのか もっと悪くなるのか... これに解答し、確証を示すことが出来る人は いないでしょう。 もし墓がなかったら. . . ~ ~ ~ (各々の観想 想像 に任せます)
お礼
ご回答ありがとうございます。 単に聞いているだけ、ほんとそうなんですが、もう少し誤解される可能性を恐れるべきだったと思います。 墓は生きている人間が作るものでした。 生きている人間のために作っていることになりますね。 確かに、振り返ってはっとしました。 おっしゃるような方向性でいろいろ考えてみる余地があると私も思います。 どうもありがとうございました。
刹那的というのは時間軸が直線であるという意味も含む それは浮草と同じ 根なし草 先祖 墓 父母を敬い大事にしているようでも 一番肝心なものを父母から受け継いでいない 何かがそこには失われたものがある それが父母を敬えに含まれるもの 浮草君には耳に痛い言葉かな?
お礼
直線であるというのは、「振り返ることがない」という意味でしょうか。 父母からしっかり肝心なものを受け継ぐことが大事、ほんとそうですね。 「浮草君」はきっと、自分が「浮草君」である自覚がないでしょうから、「浮草君」ではない人の耳にのみ届くのではないでしょうか。 どうもありがとうございました。
- cyototu
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#4様が、 >20億人以上が信仰しているキリスト教では、祖先を大事にしてはいけないという法律があります。 とおっしゃっておりますが、祖先はいざ知らず墓に付いては、工業先進国の中で最もキリストの影響の強いアメリカでは、状況が違うようです。アメリカの町を車で走っていると、路傍の所々に花輪で飾られら小さな十字架を見かけます。感心するのは、多くの場所でその花輪は真新しいのです。殆どの場合、その十字架はその場所で交通事故で亡くなった若者のために祀られています。勿論そこに土葬されているわけではありませんが、その家族達はその場所を特別に大切な、墓にも匹敵するなものと考えているようです。 またヨーロッパを訪れても、墓地は大切に扱われております。ですから、質問者さんの問いに関して、キリスト教では墓を大事にしていないと言う主張は成り立たないようです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私はアメリカに行ったことはありませんが、アメリカ映画で墓地のシーンは時々見かけますし、ご指摘はよくわかります。事故現場など、墓のないところにも、というのも興味深いことだと感じました。 どうもありがとうございました。
父母を敬え モーゼの十戒の一つですが これが示唆するものは 何故モーゼが出現したか。 そして 何故十戒をのこしたか。 世は崩壊寸前のカオス的社会にあった。 そのカオス的状況をつくる原因をしらべ 社会の崩壊を招かないよう十戒にまとめた と考えられる。 父母を粗末にするような共同体になっていくことはその共同体の継続維持によくないことを引き起こす。 人間に当たり前に備わっている意識のようでも それが失われる状態というのあったからこそ戒律に謳われたと考えられる。 それでは子が父母を敬うのはいつまで続けられるべきものであるかというと 父母が死ねば後は知らんぷりでいいかといえばそうではないだろう。 父母は死んでも生きている子の生きる指針としてその心の中に存在しているものであるがそれを忘れてしまうこともよくないことになるだろう。 だから 先祖の墓という場で定期的にお参りするという習慣は 子はいつも親を思っているつもりのようで いつの間にか意識が父母から遠ざかっているかもしれないものをその都度強制的に引き戻してくれる機会をつくることだろう。 親や「墓や先祖を大事にすること」をしなくなった社会は何らかの崩壊を招き したがって そういう刹那的社会で共同体維持を崩壊させるような文化や宗教は子子孫孫後世にまで受け継がれ継続的に残されていくべき文化のようなものは含まれていないということになるだろう。 どちらかといえば社会共同体を崩壊させるという意味から他共同体社会から忌み嫌われる文化性といえるかもしれない。 ということで 状況によって父母を大事にしない世の中もある。 ただしその文化社会が崩壊する前夜的状況において だからそういう文化は刹那的であるがゆえに後世に何も残らない。 そして 父母を敬うということがどういうことを言っているのかということを もしかしたら今の日本人は考えてみる必要があると考えられる状況であると言えなくもない。 ただ時々思い出して遠くで暮らしている父母に花を贈ってみるというようなことだけでいいのかといった諸々のことを。。。 今のこの日本の社会の状況を。。。 ´
お礼
ご回答ありがとうございました。 「社会秩序の維持のため、父母を敬う行動様式として「墓や先祖を大事にすること」が必要不可欠であり、それがない状況は、あるとしても刹那的で、社会崩壊に向かいつつある時に生じるものに過ぎない。」 ということかと思います。 それは私にとって確かに説得力のある考え方です。 どうもありがとうございました。 (念のため…この回答者様も含め、ご理解頂いている方が多数と存じますが) 私は、行動様式としていわゆる「フツーの日本人」であろうと思います。ただ、自分たちの行動様式が世界的、歴史的に見てどうかを知りたくなっただけですので、(墓参りをサボりたいわけではございませんので)ご了解お願い致します。
- kigurumi
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20億人以上が信仰しているキリスト教では、祖先を大事にしてはいけないという法律があります。 日本にキリスト教が来た時、祖先供養も意味する神社仏閣は破壊されました。 日本人が祖先供養をすることを否定し、自分達の神のみ崇拝しろ と強要しました。 その強要のために、神社・仏閣を破壊し、日本の魂を破壊しつくとうとしたわけです。 キリスト教は最終審判を信じています。 神様がやってきて、死んだ人も生き返らせ、最後の審判をして、気に入った人は天国に、気に入らない祖先を大事にする奴は地獄に永遠に落として苛めて楽しむ ということを、全くもって信じているそうなんです。 ですので、キリスト教の多くは土葬をします。 火葬してしまうと、最後の審判の時が来たときに復活できなくなると信じているから。 で、最後の審判の元ネタは今から5千年以上前に既にあった神話が元ネタです。 自らをも創造した初源の永遠の処女のティアマートと、その最高地位ほしさにクーデターを起こした軍とに神々が分かれて、大戦争を繰り広げたという神話がある。 最終的に反乱軍がティアマートを倒した。 全てを司っていたティアマートを倒したことで、世の中の運行を反乱軍がしなければならなくなり、忙しくなり、身の回りの世話をする下僕が欲しいとなり、ティアマートが選んで石版を渡したキングーを殺して、ティアマートの肉体とキングーの血を混ぜて作ったのが人間。 アダマ(血の土) つまりアダム。 というわけで、5千年以上も前に神話で、過去に起ったとされた、ティアマート軍と反乱軍の大戦争を、過去ではなく未来に起ると、反乱軍によって自分達は創造されたと信じる信者たちは信じているわけです。 過去の人間が作り出した神話を、過去じゃなくて未来に実際に起ると信じている人が20億人もいて、最後の審判の時に天国にいけるように、祖先を大事になんてするもんか って人たちが20億にもいるわけです。 どうしてかというと、自分達は神様によって作られたと信じており、祖先は関係ないと信じているから。 突如神様が大人の男と女を作り出したと信じているから。 最高地位が欲しいと、初源の神殺しをした神によって人間は作られたということ神話を知らない人たちは、都合にいい部分だけを信じて、祖先を敬うなんてことはしません。 従って日本のキリスト教信者は正月を祝いません。 祖先供養をする神社や仏閣には足を向けません。 宗教上 神のみ大事にして家族は粗末に扱ってもいいってなっているから。 イエスは母親に「おいおい テメーと俺と何の関係があるんってんだよ」と言ったとあります。 一部神話は知っているようで、神話上では、人間はティアマートによって作られたのではなく、ティアマート殺しをした極悪なマルヅゥックによって下僕とて遣えるように作られたと、ちょっとはその内容を知っている作者がそうイエスに言わせる物語を書いたのかも。 というわけで、墓や祖先を大事にしないことを旨とする宗教は存在し、祖先や墓を粗末にする人は少なくとも20億人は地球上にいるってことです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 キリスト教はいろいろな教えや伝承があるのだなあと感じていました。 このお話を伺って、またそういったこともあるのかと驚きました。 伝承される中で元の教えの根幹すら変わってしまうということもあるでしょうから、一様に同じと言えるか、20億人全員がそうだといえるのか、という疑問はあります。しかし大変興味深いお話を伺いました。 どうもありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 すごいお話ですね! 教えてgooも時々利用させて頂いておりますが、質問に対してこれほど的確かつ衝撃的な回答を頂いたことは(私の少ない経験では)なかったもので、内容的にもその意味でもカルチャーショックでした。論より証拠、「事実は理論をたおせるか(村上陽一郎)」、いろんなことを思いながら、ほんとびっくりしました。 「輪廻」と「先祖供養」がなんだか矛盾しているような、とは思っていましたが、ちゃんと矛盾しないようにできているんですね。 今回の私の質問は、「あてはまらないものは一つも存在しない」という話を否定できるかという質問でしたから、実にすっきりしました。 でも、そうするといろいろと、あれはどうしてるんだろう、という疑問が次々わいて出てきます。私は、ブータンやチベット仏教について勉強したくなりました。 どうもありがとうございました。