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日本で最初にお酒を飲んだのは?

徳川家康(山岡壮八)を読んでいるのですが、武将が酒を飲むシーンがあります。 少し気になったのですが、日本で酒というものが出来たのはいつごろで、最初に酒を飲んだのは誰でしょう? また一般市民が酒を楽しむようになったのはいつごろか、ご存知の方がいましたら教えてください。

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  • isa-98
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回答No.4

魏志倭人伝には既に倭人は酒を好むと言う記載がありますので、 記録では判断ができません。 米の伝来は古く、 縄文時代には熱帯ジャポニカ(陸稲)が栽培されます。 (海底遺跡は無しとして) しかし収穫量が少なく、「狩り採集」と同じと思って良いでしょう。 三内丸山遺跡では、栗の木の栽培が行われていたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1 栗でも酒が出来なくもないので、この辺がルーツになるとは思いますが、アルコールは残念ながら出土しません。 やじりの材料である黒曜石は 長野県などの特定の場所でしか産出しません。 これが全国で出土するのですから、縄文時代も広域交易があったとしか考えられません。(三内丸山遺跡のヒスイや琥珀など。) また、土木建築技術も想像以上であり、 海外交易の可能性は否定できません。 現在より平均気温が数度高く、 人口は東北に集中し、関西の人口は微々たる程度でありました。 縄文後期~弥生前期に 温帯ジャポニカ(水稲)と稲作技術が伝来します。 寒冷化がはじまり、現在の平均気温より低かった弥生初期では 米の収穫はかなり低く、まだ狩り、採集との兼業であったようです。 東北の人口が激減。関西に人口が集中します。 水稲と同時に米を酒にする技術も伝来したと考えられますが、 少なくとも、魏志倭人伝以前からお酒を飲んでいました。

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その他の回答 (4)

  • sudacyu
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回答No.5

 参考までに  縄文時代の三内丸山遺跡などでは、ニワトコなどの果実の種が大量にみつかるとともに、同じ場所からショウジョウバエ(小蝿)のさなぎが多数出土しています。  ショウジョウバエは、「発酵」物に好んで集まる性質がありますから、果実酒を作った残りの固形物を捨てたところに、ショウジョウバエが集まってきて、繁殖したのではないかと見られています。 <種子 出土状況[静止画/600×400ピクセル/161.6KB] 三内丸山遺跡ではニワトコ、ヤマグワ、サルナシ、キイチゴ属などの種子・果実類からなる植物遺体が出土しているが、単純な構成であること、食用・飲用果実のみでないことから、醗酵酒に利用されたものと考えられる。> http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/k-jda1/k-jct1/k-jst1/IPA-san1120.htm http://www.toonippo.co.jp/kikaku/sannai/gaiyou.html  

inada_star
質問者

お礼

皆様有難うございました。参考になりました。

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回答No.3

果実酒のような物は、猿酒とも言われるように、木の窪みに果実を入れておいたものが自然醗酵したもので、はじめて飲んだのは猿でしょう^^ 古代の酒は、蒸した米を女性が噛み酒舟と呼ばれる木の器に吐き出して醗酵させたものです。ちょっと飲みたくないかも^^; まあ、飲むのではなく食らうのですね。酒を食らうというのは、事実そのままの意味だったのです。 これが、のちにどぶろく(濁り酒)になり、アルコール度数も上がっていきます。 清酒の醸造がはじまったのは、室町後期だったような気がします。江戸初期かもしれません。灘(生一本)が有名ですね。江戸期を通じて、上方(京阪神地区)が上質とされ、江戸に下る(クダル)ものが良い酒といわれました。これが「クダラナイ(=上方のものでない酒=良質でない=ダメな)やつ」の語源と言われています。 庶民が普通に楽しむようになったのは、江戸中期からでしょう。それまで樽売りが原則であったものをハカリ売りするようになり、樽を売って原価を下げるという商売を考えたものがいたそうです。 だいたい、こんなとこですが、記憶だけで書いたので細かいトコで間違ってるかもしれません。まあ、この手の質問は「自称歴史作家さん」が詳細に回答してくれるでしょうから、あとはそちらにゆずります^^。

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  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.2

出雲の神話には、スサノオがヤマタノオロチを酒で酔わせる場面があります。 「八塩折の酒」 http://www.kokki.jp/izumo.htm なので神代はともかく、古代出雲には酒造技術が伝わっていたようです。

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回答No.1

発酵食物を(偶然ではなく)作り始めたのは新石器時代との見方が一般的ですので、日本でいうと縄文時代になります。 有史以降、酒は世界的に貴重な食物として扱われていますが、一般にアニミズムとの結びつきによりその地位に置かれていったと考えられますので、一般市民が酒を楽しむようになったのは、酒を作り始めたのと同時期であり、信仰の普遍化とシャーマンの誕生、権力との結合以降聖別されたと考えられます。

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