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恥をかくことは恥ずかしいことではない
すいません、少し気になったことがあったので質問させてください。 恥をかくことが恥ずかしいことではない。 少し矛盾しているような言い方になっちゃうけど、恥をかくことを恐れては前に進めないのではと言いたかったのです。自分の教養のなさ、無知そんなものを恥ずかしいと思って、隠していたら何も知ることもできません。間違っているかもしれない自分がいて、知らない自分がいて、その自分を自分だと言って、他人から指摘を受けたり、教えを請うことができたりすると思うのです。問うて学ぶことができるのです。 わたしは教養がないので、自らろくでもないとうに誰でも知っているかも知れない質問をこれからもしていくつもりです。 若い皆様もバーチャルなのですから、敷居を高く感じすぎずに、委縮しないでほしいのです。 わたしが小学校の頃の恩師が教えてくれた言葉があります。最近、また思い出して何か心理に近いものを感じています。 間違えたっていい 間違うことを恐れちゃいけない 間違うことを笑っちゃいけない 間違った意見も 間違った答えも ともに出し合い言い合おう そしてみんなで伸びていこう 皆さんはどう思ってらっしゃいますか?
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敵はほかにいます。 ゼウスなのにゼウスではないと主張されるカミカミ 通りがかりの普通の人に突っかかって、 「貴方にはとげが刺さっている、 ぬいてしんぜよう。」とわめきながら近寄っていき、耳元で「とげは抜けた!きもちいだろ!」と大声で1000回叫ぶデブがっぱです。 (同時に、きもがって走り去る人の後姿を見て、「貴方の足が速いのは、私が貴方のとげを抜いたからだ」と自己陶酔に陥るアスペルガー患者でもある。) あれは違うコレは違うじゃあ何、答は「聖書の行間(聖書ですらない)」 「恥ずかしくても質問する人がえらい人」 といいながら、サイバーハラスメントを繰り返す 利己主義者(社会) 教条主義者(宗教=独善) チンピラボスザル(発展段階の幼児ギャング) のことです、ひらに。 (NewGenerationの手下は、某チャンネルから出張してくるcoolなちびザル君たち) (質問者⇔偉い人この命題は、羞恥心を含まないか、羞恥心を仮定として受け入れるかのどちらかです。) ようく考えてください。 「間違った答えも ともに出し合い言い合おう」 恥ずかしいと言う心がない人が、他人を行動させる為にいっている「命令のないよう」です。 自分が絶対正しいと言う人に関して言えば、 自分は間違った答を出すことはないのですから…うそではありません。 結局 間違いをチェックして支配しようとしているだけです。 右左は関係ないと思います。 「他人を守っていくと言う姿勢のない」年長者(左右中道に限らず) 単なる思春期前小学低学年由来のの権威主義(コレは発達障害)です。 原因は、小学校・家族で激しいハラスメントを受けていたということか、さもなくば、 小学校(もしくは親が)がなかったということです。 でも、いま サイバーハラスメントは、犯罪です。 あらそわないで…観察しましょう。無視しましょう。 (本当は『罰』があるべきなのですが… ちなみに、孤独は『罰』ではありません。 その当該の患者が除かれた社会の、その社会の為の自然治癒です。)
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- petitusako
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知らない、知識がない、初心者であるということは恥ずかしいこととは思いません 誰だって最初はそうですからね 知識がないながらも努力する姿勢の見られる方は好感が持てます 恥ずかしいのは知識がないことや初心者であることを言い訳にして何の努力もしないこと どこかで聞いた言葉を意味も理解せずにに思い込みだけで使うこと 知ったかぶりをすることなどでしょうか
お礼
ありがとうございます。 >どこかで聞いた言葉を意味も理解せずにに思い込みだけで使うこと 知ったかぶりをすることなどでしょうか しかし本人が理解していると思いこんでいれば知ったかぶりをしているとも気づかず、恥ずかしくもないのではないでしょうか。
- Us-Timoo
- ベストアンサー率25% (914/3620)
無知が恥ずかしいのではなく、無知を無知のままでいることが恥ずかしいことなんです。 だから、昔からの諺に 『聞くのは一時の恥 聞かぬは一生の恥』 と言います。
お礼
ありがとうございます。No.1様の回答と同じでいいでしょうか。
- WhiteWolf_
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聞くは一瞬の恥 聞かぬは一生の恥 文字通りですね 顔をあわせるわけではないため、萎縮せず相談はより気軽に行うべきでしょうね
お礼
ありがとうございます。 しかし、聞いても聞かなくても知らなくても関係ないとしてしまえば、恥にもならないでしょう。
お礼
よっぽど、どうしようか悩んだのですが、とても深刻なものを感じましたので、一言だけいいでしょうか、、、。 そもそも、介護職や臨床心理士などの職業を目指すような方は、それまでも、自らのいろいろな経験の中で大変苦労されている方が多いように見受けられます。その御苦労から、正義感にかられて就く方も多いようです。しかし、その正義感には非常に屈折したものがあり、自信の苦労やその近親者の苦労を経験している為、なんとか改善させたいという思いが先に立ってしまい、なかなかその被介護者や患者との壁をのりこえられない現状があるのだと見受けられます。 そして、さらに、又、御苦労を重ねられて疲れ果ててしまい、心的外傷を負うほどのストレスを抱えている人も少なくないようです。 本来は、被介護者や患者の側に立ってという姿勢が望ましいのでしょうが、経験が人間を形成しているのですから、それを望むのは、難しいことかと思います。 もし、自覚があるのならば、まず、それを克服するのが先決かと思われますが、 そうでないのなら、心理士は’のれんにうでおし’くらいの対応に徹するとか、介護職の場合は、一回、はなれて、別の仕事についてみるとか とにかく、無理をしないことが、それ以上こじらせないひけつかと思うのですがどうでしょう? まだ、二人ともお若いながら、御苦労がその年齢以上に抱えきれないほどのものがあるように思いましたので、ご意見させてもらいました。 いろいろありましたが、運営者様もお困りでしょうし、私も建設的なご意見をもらった恩もありますので、エールをこめてポイントつけて、締め切らせてもらいます。 ご検討をいのります。