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天皇不要論は戦後から?

「天皇は必要なのか?」 「我々の血税で、、、」 などの話が出たのは戦後からでしょうか? 1945年以前に、 「天皇なんて要らなくない?」などと言ってたら どうなるのでしょうか?(どういう処分を受けるのでしょうか?)

質問者が選んだベストアンサー

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  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.2

まず、不敬罪にとわれます。たとえば、往来で「天皇なんかいらない」というようなことを叫んだら、まちがいなく警官がきて連れて行かれるでしょう(その前に、通りすがりの人に袋叩きにされると思います)。当時は不敬罪という、皇室に対してよくない言動を行った人に対する法律がありました。 不敬罪なら、3月以上5年以下の懲役、ですみます。皇族に危害を加えるような事件の場合(例・昭和天皇に向かって発砲した、虎ノ門事件)は、大逆罪になり、死刑です。

lokijuh
質問者

お礼

不敬罪というものがあったのですね。 ありがとうございます。

その他の回答 (7)

回答No.8

不要論は明治以降でしょう。 社会主義思想と無政府主義思想の流入によって生まれました。 それ以前では、天皇に替わろうという考えのものは何人かいたようです。 恵美押勝、平将門、足利義満、織田信長あたりです。 しかし、彼らも天皇不要とは言ってないようです。

lokijuh
質問者

お礼

勉強になりました。どうもありがとうございました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.7

歴史的にみると、平安の昔から江戸時代まで、天皇家や公家は、少なくとも名目上は自分の領地をもっていました。なので、生活手段としては大名などと同じです。 これは坂口安吾ら(他にも指摘している先達がいるかもしれないが)が指摘していることですが、日本の歴史を振り返れば平安中期以降、最終的な権威としての天皇家という形であって、丁度絶対王制期以降のローマ教皇のように、権威と権力の分離(とはいっても、ローマ教皇は権力をその後もかなり長い間持ち続けたのですが)という形で天皇家の存在意義が確立していきました。この権威は、お金の力や武力などの有形の力ではなく、伝統に裏打ちされた無形の力です。 織田家でも徳川家でも、変わり得るものであれば既に変わっていただろう、しかし変わり得なかったからこそ天皇家は天皇家として存在しているのだ、というのが坂口安吾らの主張であり、私もこの説には賛成です。 したがって、彼らは権力をもった統治者では全くなく、むしろ権力をもたないが故に権威をもった存在として、その必要性があるのです。 1945年以前に天皇不要論を述べれば、少なくとも社会的にはいい顔をされません。 少し事例は違いますが大本事件などは1920年代の話ですし、 > 「天皇なんて要らなくない?」などと言ってたら という事が公になれば不敬罪は免れないでしょうし、その場合、生きて外に出られない可能性もかなり高いです(実際、例えば大本で逮捕された人で死亡・発狂者が存在する)。

lokijuh
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になりました。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.6

南北朝時代には高師直が、どうしても必要なら木像か金で作って、生きている天皇は流してしまえ、と言っています。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%AB%E7%9B%B4
lokijuh
質問者

お礼

下の方と同じリンク先ですね。 ありがとうございます。参考になりました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

どうしても必要なら、木像で作っておけ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%AB%E7%9B%B4

lokijuh
質問者

お礼

天皇不要論者の方でしょうか? ありがとうございます。

  • hurasuke
  • ベストアンサー率18% (191/1056)
回答No.4

 明治以降の話ばかりが出ていますね。  これは私の歴史観から思うことなんですが、数百年以上前の大昔から、そのような思想はあったと思いますよ。不要という意味ではなく、統治者としてふさわしくないという意味でです。  真に忠誠を誓う相手であるというのならば、幕府等の政治組織は不要でした。ところが実際の統治能力という点ではたくさんの疑問が残る状態であった為、当時の人々も良かれと思って、天皇の直接統治以外の政治を選んだ・・・そう考えると全て納得できたりします。もちろん、権力欲に駆られた実力者が、意図的に天皇に政権を返還しなかった為でもあるんですが・・・正確なところはわかりませんね。  少し例を出すのであれば、幕府のような武家政治は天皇の許可の下で開設されます。あくまで表向きは天皇を立て、任命される形で政治を行う許可をもらうのですね。  しかし、例えば室町幕府~江戸初期を見ますと、戦乱で弱った室町幕府が滅亡する時に、信長は政権を天皇に返還しませんでした。秀吉しかり、家康しかりです。ひとつの政治形態である室町幕府が滅んだのならば、政権は本来の所有者である天皇に返すべきです。ところが実際にはそうはならない。欲の絡んだ話ですから、強引に建前の重要性を述べるつもりはないんですが・・・。  そういった大昔に答えを探してみると、案外自分なりの答えが見つかったりすると思いますよ。

lokijuh
質問者

お礼

ありがとうございます。大変参考になりました。

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.3

実際問題としては、軍部の台頭まで割に自由に議論はできたようです。 天皇付与アロンではありませんが、天皇機関説も明治後期から憲法学者の間で議論され、一定の共通認識となっていたものが、昭和になって軍部が台頭してくると、内容は従来と変わっていないにもかかわらず、不敬罪の対象として取り締まられるようになってゆきます。 結局、天皇自信や天皇制内部からではなく、それを利用する為政者の恣意によって制限されたりされなかったりしたのでしょう。

lokijuh
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.1

大正時代から昭和初期に美濃部達吉と言う人が「天皇機関説」を唱えて国会を追放されました。 天皇不要で少なくても死刑になった人はいません。 軍部が台頭するまで案外自由にものが言えたみたいですよ。

lokijuh
質問者

お礼

ありがとうございます。

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