古文「助動詞の意味の判定」
今まで古典の助動詞「べき」や「む」の文法的意味は、人称で判断することについて質問してきました。
自分が習ってきたのは、例えば「べき」なら
一人称なら意志
二人称なら適当、勧誘
三人称なら推量
というように習ったのですが
今までの質問の回答の中に
「一人称なら意志、三人称なら推量という場合が多いだけであって、必ずしもそうではない」というのがありました。
ということは、結局は本文を訳して文脈から判断しなければいけないということなんでしょうか?
今のところ、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞しかやっておらず、単語はほとんど覚えていません。
なので、本文を訳すのはかなり難しいです。
だから学校の先生も「形から判断できるように」と言っているのだと思うのですが、「単語を覚えていないのが問題だ」と
言われるとその通りなんですが、この質問で聞きたいのは
結局は本文を訳して文脈から意味を判断するしかないのでしょうか?
ということです。
あと、人称で判定するのに「主語が・・・」とよく書いてあるのですが、この「主語」というのは
文全体の主語ということですか?
最初は、たとえば「べし」なら「べし」の上の動作をする物、人だと思っていたのですが、どうなんでしょうか?