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人を殺してはいけない理由
なぜ,人を殺してはいけないのでしょうか? 哲学的な意味で聞いているので決してしても良いとか悪いとかという意味ではありません。 なお,今現在私が持っている考えは,人は,蚊をころしたり,マウスを殺しているのだから,人殺すことは当然いいけど,すれば,社会から排除される(刑務行きになる)ということと,人殺しをしたくはない(逆を言えば,されたくはないから)という2つの理由のみです。こんな考え方じゃ,立派な大人にはなれませんか? 意見や,これ以外の合理的な解釈などあればご返答よろしくお願いいたします。なお,投稿量によっては返答ができない可能性もありますのでご了承下さい。
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- paulken
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もちろん「殺してはいけない」などということはありません。 何故そういうルールを決めたか、 何故そういう強制をされるかについて 説明はされるかもしれません。 しかしあなたには殺すことができます。 理由も能力もあるからです。 翻って、では何故人は人を殺さないのか。 それは人間には人を殺す「自由」があるからです。 この自由の中でこそ人は行動を選択します。 殺すことも殺さないことも。 法律や道徳や宗教によってのみあなたは行動を選択しますか? それならば理由は明白です。 しかし「いけない」などと誰も言うことはありません。 もちろんあなたの意識や知識、常識などがすでに 既存のルールに強制されているでしょう。 しかしそれでもなお人を殺す自由があなたにはあります。 そこでどうするか。 考えることができるのが人間です。 ですから、人間は人を殺すことが禁じられているのではなく、 そのことについて考えることを強いられているのです。
- apple-man
- ベストアンサー率31% (923/2913)
>なぜ,人を殺してはいけないのでしょうか? すでに回答だけはいろいろな形で出切っていますね。 人を殺してはいけない動かぬ理由はないのです。 そのときにより、内的な理由と外的理由が存在し、 結果的に人は人を殺さないだけです。 (内的要因)生存本能、 (外的要因)宗教観、社会契約論に元ずく社会性 あなたの今のお考えだと 1)逆を言えば,されたくはないから(内的要因) 2)人殺すことは当然いいけど,すれば,社会から排除される(外的要因) ですね。 No.5の方の回答にあるように、戦場では人が人を 殺します。しかも、あなたが挙げた同じ理由でです。 <戦場で人が人を殺す理由> 1)こちらが撃たなければ撃たれる。 つまり殺されたくないから。(内的要因) 2)兵隊として、国家のため敵兵を殺すという誓い、 社会的契約のもと戦場に来ているのに、逃げ回って いては(軍法会議などで)罰せられる。(外的要因) 不名誉という意味で社会から排除される >これ以外の合理的な解釈などあればご返答よろしくお願いいたします。 上の1)でいう(種の保存も含む)生存本能から 来る内的要因は、他の動物にもあります。生きる ため、あるいは自分の遺伝子を後世に残すため、 同種、他種の動物を殺します。 しかし、人間をはじめサルなどの霊長類は、 もう1つ、合理的説明のつかない内的要因で 殺しを行うのです。快楽殺人などと言われるものです。 これは快楽という興奮状態を強く感じるように神経が 出来ているためだと思います。 さらにサルもある種の興奮状態で仲間を殺しますが、 笑ったり、可笑しくて可笑しくて転げまわるという のは人間だけです。サイコ映画などで、殺人者の 異常な心理状態を表すのに、不気味な笑顔が用いられる のはこのためです。 人間の殺人に対する理解を複雑なものにしているのは、 この快楽が全ての点で微妙に作用するためです。 >哲学的な意味で聞いているので・・・ 哲学を意味するギリシャ語philosophia(ピロソピアー) は知を愛し求めるという意味で、知とは何々とは 何だろうとその理由を追い求めることを意味します。 古代ギリシャの哲学者アリストテレスによれば、 この哲学する心というのは一部の特殊な人間の 持つものではありません。 しかし、快楽には合理的説明がないので、 この快楽に基く人間の行動の意味、理由を 追求するのは不可能です。 「善=快」とするエピクロスの快楽主義というのもありますが、それだけでは不十分です。 合理的理由がないので、 「何で人を殺した」という尋問に対し、 「面白いから」などと快楽が殺人理由と答えたら、 そんなの「理由になるかー!」となるわけです。 >なぜ,人を殺してはいけないのでしょうか? 笑みがこぼれないまでも、人間の行動には いろいろな場面で、この快楽がついてまわります。 難しい数学の難問を解いた数学者が、その問題に 挑戦した理由を聞かれて、「面白かったから」 などと答えることがありますが、これは人間の快楽 追求の表れの1つです。 しかし、快楽が合理的理由ではないのは、 面白いから人を殺したでは誰も納得してくれない ことから明らかです。 この快楽が人生を理由付け不可能な、より複雑 なものにしており、人間の行う殺人も究極のところ では、そんな不可解なものの1つです。 >>なぜ,人を・・・ フランスの近代哲学者サルトルによると、 本来意味など存在しない人生に対し、 人生とは何だろうと思い悩むのが人間とのこと。 >こんな考え方じゃ,立派な大人にはなれませんか? 人を殺す動かぬ究極の理由などないだろうと私も 思います。 しかし、なぜ人は人を殺すのだろうと悩み続ける ところに人間性があるのであって、人殺しに理由? そんなの無いさとか何かしら結論付けて、思考を 止めることは人生の終わりを意味します。 人は死にたくなると「生きることにどうゆう意味 があるのでしょうか?」などと口走ったりするのは、 もう意味のないものを捜し求めるのに疲れた、 だから死にたいということですから。 変に聞こえるでしょうが、人を殺してはいけない理由 を考え続けられる限り、いい大人にすこしずつ近づけると思います。 考え、追求するといった哲学的思考は、空を 飛ぶ飛行機のエンジンに似ています。動いて いる限り、人生という空を飛んでいられますが、 究極の、そして正しい目的地などわからないのです。 そして目的地など存在していないかもしれないのです。 しかし、飛んでいなければあるかもしれない 目的地に近づけません。
- netcatme
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社会生活を営むあらゆる生物は、社会に適合するルールを持っています。もちろん例外的にルールに適合できない個体がでてくるかもしれませんが、その場合には、その社会から排除されるでしょう。 人間は社会の中で人間として生きることができる、社会生活を前提とした生物なのです。 人間が人間らしく生きるとは、同じ社会の他人に対しても同じように人間らしく生きられるようにルールを守ると言うことだと思います。社会秩序を守ることは人間として人間社会の中で生きるための本能であり、人間であることの前提条件であると考えるべきでしょう。社会的秩序を守るための死刑などの殺人はありえるでしょうが、個人的な理由による殺人は明らかに人間的ではありません。 ライオンの子殺しは有名ですが、それはライオンの社会が母系血縁社会という非常に小さい社会であることが原因でしょう。多数の血縁が入り交じり同じ社会の中で婚姻関係を結ぶ場合では、そのようなことは発生しないのではないでしょうか。 人間が人間らしくあるために殺人は許容されない、殺人が無秩序に行われては人間として生きているとはいえないということだと思います。
- kyuukeityu
- ベストアンサー率31% (62/198)
#5の方も書いてますが、戦争などでは殺人は罪にならないですね。 これは、その社会(国や集団)にとって敵を殺すことが、いいことだからでしょう。 反対に、日常生活での殺人が罰せられるのは、その社会にとって、構成メンバーを傷つけたり、殺したりするのはよくないことだからといえます。 つまり、その社会にとってプラスかマイナスかで、殺人が善か悪かの判断は変わってくると思います。 私としては、何であれ殺されるのはいやですね。死ぬのは怖いですし。 自分がされていやなことは、相手にもしたくないですから、殺したくはない。何より取り返しがつかないことですから。 でも、万が一生きていくために殺さざるを得ない状況になったら、そのときには自分の方が大切ですから、人を殺してしまうかもしれません。 なぜ人を殺していけないのかは分かりませんが、殺されるのも殺すのもいやだというのが、私の今のところの答えです。
- jakarta
- ベストアンサー率38% (607/1597)
最近同じことを考えました。 逆説的にいえば殺されたくありませんよね。孔子も「己の欲せざること人に施すなかれ」とといています。仏陀も同様に「人を殺すな。そこから老人を敬ったりする心が自然とめばえる」と説いたようです。道徳的なことに関しては他の回答からも理解していただけるかと思います。 人間には本来「人を殺してはいけない」という理由はもちあわせていないと考えます。あだ討ち、決闘など例を出すまでもありませんが、「殺してはいけない」ということよりもあだ討ちにおいては誰かに報いるということの方が勝ってしまう考え方です。 「社会から排除される(刑務行きになる)」というのは既に社会というシステムが機能した状態です。社会は何によって構成されているかというと、一人一人の人間の集合です。そして社会を存続・維持させるためにルール(法)が存在します。 法が一人一人の人間を保護できなければ全体としての社会も維持できません。殺人を許してしまうと社会としてなりたたなくなります。
- kenk789
- ベストアンサー率15% (104/691)
人を殺してはいけないことは、基本的に当然のことです。理屈ではありません。こういう疑問がでてくるほど、社会が荒廃しているということでしょう。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
たくさんの書き込みがありますので参考程度に 近代法ができる以前のはるかな昔から宗教家は、「汝殺すなかれ」と説いていますね。回答の中にはライオンの例も出されていますが、人間は動物ではありませんね。近年はサルから進化したなんぞといっているやからもいますのでサル人間もいるのかもしれません。しかし、はるか昔から神の子ですということになっていますので、それを素直に信じればやはり崇高な存在なんですね。崇高な存在が地上で肩を並べて生きているわけですから、互いにその目的を絶つという殺し合いはしてはいけないんですね。人間が互いに崇高な存在であることを忘れないために「汝ころすなかれ」という教えが繰り返し説かれているのではないかと思いますね。だから隣人(神の子)を殺すことは自らの仏性(神性)を否定することになりますね。つまり私は動物以下ですといっていることになるんです。危険な動物とは一緒に暮らせないので死刑にするか収監するか隔離するのが法律の趣旨なんでしょうね。ということで自らを動物以下にする行為なので「汝殺すなかれ」なんだと思います。
- majimekun
- ベストアンサー率20% (14/68)
人は何をするにも相手がいて初めて生きていることを確認できます。 共感を求めているのです。たぶん人間である限り、相手を人として見る限り、その相手の中に自分を見出し、人は人を憎んでも殺せないのでしょう。ここまでは心理学者の妹二人ともうなずいていました。 要は、人を殺すということは、一人きりで自然界に生きていくということは、他人を遠ざけるということ。しかし、自然界には人はそれぞれ多数生きています。人を一人殺すということは共感できるという自己の人間性を否定したということなので、他の多数も全て殺さなければならなくなります。(あまり多くを語りたくないので、これだけでは理解できないかもしれませんが、いつかわかってください。)つまり人を殺すということは、人間の存在自体を否定するということなので、殺した本人も死ななくてはなりません。 人を殺してはならない理由は、人を殺すということは、全ての人間存在を否定することになるから。と簡単にまとめておきます。
- mktoolll
- ベストアンサー率22% (20/88)
なぜ殺してはいけないか?ではなく 人を殺す意味はどこにあるのかを考察した方が早い。 自分の命が物理的に脅かされている状態以外には、そのメリットが発生しなのが確認できただろうか? つまり、多くの場合は他人を殺しても何の得もないのです。(ネクロフェリア等の特殊な人間は今回は除外して考察しています。) 得がないのならやる意味がどこにあるでしょう? 私は私を殺しにきた人間は躊躇なく殺すでしょう。だから、身を守る為の殺人だけは肯定します。それ以外は全くやる意味がない。だから、人を殺してはいけないのではなくて、人を殺す意味がもともとないのです。
- mackey00
- ベストアンサー率20% (36/175)
横槍失礼します。 ライオンは、ライオンの子を殺しますよ。 食べる為ではないのですが、外から入ってきて リーダーの地位を得たオスは、前のリーダーの 子を殺します。 それによって、母親は発情し、新たなリーダー の子を宿します。