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小林秀雄、江藤淳
小林秀雄って言う名前や、江藤淳って言う名前に、文学関係の本を読んでいると、結構ぶつかります。気になって時々彼らが書いた本を手にとって見るんですが、私には取り付く島もないほどに、理解不能なんです。これほど、全然分らないっていうことになると、しかも彼らの著作が読書層の中で多く読まれてるっていうことを考えると、私自身に何か知的欠陥があるのかと、向きになって読もうとするんですが、何しろまったくわけが分らないって言う感覚は拭い去りがたく、こんな難解な文章を書いた彼らに逆に反感を持ってしまいます。 この感覚分ってくれる人いたら回答願います。私も読んでみたけど全然わかんないんだよって言う人いないんですか?
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- yatiyochan
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小林秀雄について 私は、学生時代に国文研の夏季合宿で、小林秀雄の講演を聴いた一人ですが、最初ユリ・ゲラーの名前が出てきたので、眉にツバ塗った方がいいかな、なんておもいながら聴いてたんですが、結局終いまでよく解りませんでした。 ただ、小林が声を強めて語った部分に、ベルグソンに絡んで、ある婦人が戦場にいる夫の死を夢に見た話を例に、小林がそれが正夢だったかどうかが重要なのではなく「本当に切実な経験というものは、主観的でも客観的でもないのですね。つねられて痛いと感ずる経験とおなじです。痛いというのは主観的なことか客観的なことか。どっちでもないじゃないか。本当に直接には僕の心の中の経験じゃないか」というのがあり、これがどうも心にひっかかって下宿に帰ってからもずっと意味を考えてましたところ、ある日、夕陽が部屋に差し込んでいるときぼんやり考えていたら、ふっと答が解ったような気がして眼の前が開けた開放感に浸ったことをよく覚えています。その答が何であるかを説明するのは私の文章力では到底無理なので、これ以上申し上げませんが、それ以来私は自分の『直観力』を大切にするよう心がけました。また、例えばその後の読書でも接する心構えが変わりました。 小林秀雄の著作が今日まで読み継がれるのは、単なる文芸評論ではなく、それが小林自身の感性の表現であり、読み手がその感性に共感するからであって、彼が評論家として優れているかどうかは全く論外なんですね。感性の表現であるから、そも彼は自分の文章を人に解って貰おうと書いてるはずがないし、その感性に共感できない人がいくら読んでも解らないのは当然でしょう。 質問者様は、 >小林が『あなた方タクシーに乗るっていうことは、運転手に自分の命を預けてるんだよ』みたいなことを言っていたように思います。彼は、タクシーに乗るっていうときにも、そこまで考えてるのかって思いましたが、でもよく考えてみると、タクシーに乗るときに、運転手に命を預けてるっていう感覚で乗る人がどれ程いるでしょうか? と書かれていますが、たしかに小林はそこまで考えてるし、そんなこと考えない人もいます。それは優劣の差でもありません。精神とか意識の領域であって小林は同じ講演の中で「今日科学の言ってるあの経験というものは合理経験です、だいたい私たちの生活上の殆ど全ての経験は合理的ではないのですね。そのなかには感情もイマジネーションも色んな物が入ってる。科学はそれを合理的経験だけに絞って計量出来る経験だけに絞ったのです。いろいろな可能な方向に伸ばすことが出来る広大な経験の領域を、勘定することのできる、だから今日の科学は数字がなければ成り立ちません」というようなことを語っていました。 ある花を見て美しいと感じる感性は、理屈ではありません。美しいと感じられないのもひとつの感受性であって、質問者の方が小林の文章を難解でぜんぜん分からない、という感性が大切だ、と小林は語っていた、と思うのです。 ただ、ふつうなら二度と小林秀雄を読もうなんて思わないでしょうし、日常生活に小林秀雄は必要ないにもかかわらず、こういう質問をされている、というのは心のどこかに引っ掛かりがあるからではないでしょうか。もし、もう一度読む機会があるのでしたら岩波文庫の小林秀雄『初期文芸論集』あたりを寝転がってのんびり読まれてはいかがでしょうか。青年期の血気に満ちた文章に小林の人間臭さを発見できるかもしれません。
- zephyrus
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小林秀雄に絞って、少し書いてみます。 この作家の難解さは、当時の日本の「文学的常識」を一通り知っておくことが不可欠であることにも一因があります。フランス・サンボリズム(象徴主義)の影響を濃厚に受けていたためか、説明のための説明を省略する、もしくは極端に嫌う傾向があるため、そこを読者のがわが補って読まなければ意味がよくわからないことがしばしばなのです。 原書(しかしこれは翻訳本は可。でなければ小林とて、たとえばドストエフスキー論は書けなかったでしょう)をよく読んでおくことはもちろんのこと、先行する主要な批評も目を通しておくことが望ましい。この上で初めて、小林の批評文に接して、「うーむ」と肯くことになります。(いやしくも文学批評であるからには著者独自の見識がふんだんに盛られているはずのものです) つまり解る人にはすこぶる良く解り、それなりに納得もでき得るものだが、分からない人にはさっぱり分からないしろもの、ということになるかと思います。自身やその周りと文学的空間を共有しない人のことは、たぶん筆者の念頭に置かれていません。輓近によく見かける、読者にやたらと愛相のいい大多数の文章とは違い、良い悪いは別にして、一昔前の文章によくあったタイプです。読者を選ぶ文章なのです。 と、偉そうなことを言っている私自身よく分かっていません。それを承知の上でもう少し具体的に述べてみます。 『当麻』という短いが著名な文章があります。 これは題名から想定されるような当麻寺へ遊興に行ったという話ではなく、能の一演目を観て著しく感興した、その心のありさまと連想が綴られているだけなのです。その演目がどういう筋なのかとか、どういう経緯でどこに観に行ったのかとか、それが世阿弥に占める位置とか意義とか、普通こうした文章で触れられるであろう説明や解説をほとんど一切欠いています。 そのかわりに、猫の死骸がどうしたとか、仮面を脱いで素面をどうしろとか、そんなことが書いてある。 しばらく読み進めてゆくと、「室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑はなかつたあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心してゐる」などという警句が出、「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」という、どうやら世阿弥自身の言葉が引かれた直後、「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない」という、この後長く喧伝されることになる有名なレトリックが続きます。 それにしてもいまいち、意味のよく分からない文章。気分だけで言葉を発し、その気分だけは何となく伝わってくるという現象は、当時の日本社会にもよくあったことです。仏文学者の鹿島茂氏によると、この文の元ネタはバルザックの『ゴリオ爺さん』にあるそうです。ヴォートランのせりふだとか。 ついでに最後のことろで、「あゝ、去年(こぞ)の雪何処(いづこ)に在りや」と盛り上がって、これは15世紀フランスの詩人フランソワ・ヴィヨンの最も有名なバラード、いにしえの美女たちの名を次々にあげてゆき、それらの人たちは今はもういないという詩のルフランの箇所を引いたもの。知っている読者にはすぐ分かって自尊心がくすぐられるし、前の文章にある「仮面を脱げ、素面を見よ」などとも照合しあって、なんとなく納得してしまう仕掛けになっています。 小林秀雄の文章は、批評文の本道ではありません。かなり特殊なものです。 読みこなそうとする人、また読みこなせる人はそうすればいいし、そうでない人はそうしなくてもいいのではないか、などと不遜にも私などはそう思ってしまいます。 このことをもう少し突っ込んでみたい(たとえば彼の代表作の一つとされる『モオツァルト』をもって)という思いはあるものの、すでにかなり長文になりました。別の機会といたしましょう。 何かのご参考にでもなれば幸甚です。
- kadowaki
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私としては、小林秀雄や江藤淳は確かに同時代の他の批評家と比較しても、間違いなくより素晴らしい、立派な批評家だったと思っています。 その理由については、彼等がいずれも最もラディカルで前衛的な批評精神の持ち主であると同時に、筋金入りの伝統主義者や古典主義者だったからと説明するしかないような気がします。 特に、彼等の批評家デビュー時に書いたフランス象徴詩論や漱石論などを読めば、このことがよりはっきりとするはずです。 >気になって時々彼らが書いた本を手にとって見るんですが、私には取り付く島もないほどに、理解不能なんです。 私にも、「理解不能」だと感じる批評家や文学者はたくさんいますが、小林秀雄や江藤淳は比較的すんなりと受け入れられると言うか、概してわが意を得たりという快感を覚えます。 思うに、「理解不能」というのは、単にこちらの「理解」の枠組み、パターンが読む作品(小説、評論等)との間に齟齬、ズレをきたすということにすぎないのではないでしょうか。 少なくても、質問者さんに「何か知的欠陥がある」わけではなく、質問者さんが興味・関心をそそられるジャンルやテーマと小林秀雄や江藤淳らのそれとがあまりにも違いすぎているだけのことだと思います。 たとえば、私は詩が好きで、優れた詩は平均的な小説よりもはるかに写実的だと信じて疑いませんが、多くの小説ファンの場合、詩は写実的どころか、難解な比喩が多く、詩人はもっと分かりやすく書けないものかと不満を感じていると言えなくはないですよね。 あるいは、写真と絵画とでは、映画と演劇では、それぞれどちらが写実的かと問われると、芸術に無関心な人ほど、写真や映画の方が写実的だと素朴に信じて疑わないようです。 小林秀雄も江藤淳も、敢えて言えば、良くも悪くも、こういう常識的な芸術観とは無縁な批評家でして、どう考えても虚構(フィクション)でしかない芸術作品を生み出さずにはいられない芸術家の根底に潜んでいる諸問題の正体、真相をえぐり出さずにはおれなかったのだと思います。 >何しろまったくわけが分らないって言う感覚は拭い去りがたく、こんな難解な文章を書いた彼らに逆に反感を持ってしまいます。 う~ん、もし彼等の文章を心底から分かりたいと思うなら、読む側の方で自分が無意識裡に固執している固定的、類型的な型枠を壊したり、ズラしたりするしかないと思います。 言い換えますと、自分の一定程度以上に開こうとしないドアのちょうつがいを修理して、より広角度に開くようにするしかないということです。 あるいは、自分がこれまで自明視、当然視してきた考え方、発想、価値基準等は本当に正しいのか、だとしたら、その根拠は何か? と自問自答するというのも効果的です。 なお、長谷川泰子は随分前(彼女の晩年)に教育テレビで吉田熈生氏と対談していたのを覚えていますが、やはり彫りの深い、女優然とした女性でした。 若き頃、中原中也や小林秀雄といった怪物的な詩人、批評家を手玉に取っていただけに、やはりなかなかの傑女だったのではないでしょうか。
お礼
かなり長い文章で、ご回答いただき有難うございました。 私は、学生時代、国民文化研究会の主催する夏期合宿で、小林秀雄の講演を聴いたことがありますが、ほとんど内容に関しては、忘れているんですが、いまだに覚えていることがあります。 それは、小林が『あなた方タクシーに乗るっていうことは、運転手に自分の命を預けてるんだよ』みたいなことを言っていたように思います。 彼は、タクシーに乗るっていうときにも、そこまで考えてるのかって思いましたが、でもよく考えてみると、タクシーに乗るときに、運転手に命を預けてるっていう感覚で乗る人がどれ程いるでしょうか? 言ってることは、聞いたときには、なるほどなって思うんだけど、後で考えてみると、何か変だなっておもちゃいました。まあ文学っていうものは、そういうもんなんでしょうけれど...
- 安房 与太郎(@bilda)
- ベストアンサー率27% (228/822)
文章道入門 ~ 設問の作法と手順 ~ 両者の文芸批評は、内容はともかく、文体口調に人気があったのです。 あなたの云わんとする趣旨は伝わっていますが、文学的に同意を得る ためには、つぎのような表現・語法が、いささか未熟です。 △ 不適切「って言う名前」「拭い去りがたく」「取り付く島もない」 × 不注意「結構ぶつかり」「読書層の中」「向きになって」 ● 不統一「分ってくれる人」「全然分らない」「全然わかんないんだ」 複数の文学者を論じるには、年代や年令・経歴などの外形的な条件を 対比し、共通点や代表作を列挙するのが常道です。 ふつう、一世代を三十年と数えるので、両者は同時代ではありません。 <PRE> 小林 秀雄 文芸評論 19020411 東京 19830301 80 /~《無常といふ事》 江藤 淳 文芸評論 19321225 東京 19990721 65 /自傷自殺~《漱石とその時代》 </PRE> そのうえで、具体的な論点を示すために、引用と書誌が必要です。 このサイトの閲覧者は、すでに基礎研究をすませた人々とは限らず、 あなたの質問によって、初めて文学に興味を抱く可能性もあるからです。 ── もう二十年も昔の事を、どういふ風に思ひ出したらよいかわから ないのであるが──丁度その頃は、ネオンサインとジャズとで充満し、 低劣な流行小歌は、電波の様に夜空を走り、放浪児の若い肉体の弱点と いふ弱点を刺激して、僕は断腸の想ひがしてゐたのである。 ── 小林 秀雄《モォツアルト 194612‥ 創元:創刊号》 ── この「涙だか、洟だか知らないもの」に、どのような感慨が込め られていたかを推測するのは愚かなことである──いやむしろ、敗戦を 期待しながら生きるという知識人の姿勢の根本にひそむ虚偽と不誠実を 見たのである。 ── 江藤 淳・解説《モオツァルト・無常という事 196105‥ 新潮文庫》
お礼
ご回答有難うございました。 私は、小林も江藤も確かに、生きてるときに多くの本を読み、教養も積み、世間の評判も立派な方だと、いわれていたと思うんですが。 人生の最後で、小林は、長い間、妹が訪問しても、沈黙し亡くなっていったといいます。死に臨んで、妹に対しても何も言わず死んでいったということは、それまでの、彼の文学的な努力っていったい何なんだろうかって思うんです。 基本的に、私にとって努力って言うのは、死ぬ時に、何か気の利いた言葉の一つも、言えるようになることじゃないかなって思ってるもんですから。
日本の大学の文学部国文科(日本文学科、または日本文学課程だったかもしれないが,忘れました。)を卒業したので,あなたの言いたいことが半分は分かります。 彼らの表現は、わざわざ分かりにくく書かれていますから,分からない人がいてもおかしくありません。 学部生だった頃、なぜ彼らが分かりにくい書き方をしていて、平然としているのか,考えてみました。おそらく,次の様な理由によるのでは無いでしょうか。 日本人の教養は、江戸時代まで、漢籍だったこと。 そして、漢籍を理解できるのは、武士階級だけだったこと。 だから、武士より下の階級の人が理解できない表現、分かりにくい表現を立派な表現と勘違いしていた。 その伝統が、欧米文化の知識や観念や教養があることを前提として表現する貧しさを、近代日本社会全体が容認させた。 文学だけではありません。美術評論の世界や、官僚たちが使い始める意味がすぐには分からな西洋語の氾濫や、今回の裁判官制度でも、日本の法曹社会で使われてきた法曹用語の分かりにくさも話題になりました。 それらも全て、同じ様な理由によるものと考えています。 だから、彼らの表現は、古典としての価値はあっても、現代の表現としての価値は低い。そう断定できると思います。 また、そういった未熟な表現を、未熟と言わずに、有り難がる人がいるのもやむを得ないものと思います。 以上が、半分です。 残りの半分は、聖書、ギリシャローマ神話、アリストテレス以降の西洋哲学の歴史、西洋文化を中心にものとことを考える思考体系、を、身につけることができるか否か、にかかっています。
お礼
ご回答いただきありがとうございました。 小林秀雄は、ドストエフスキーに非常にのめり込んでいたようですが、ドストエフスキーの作品も私には、難解で全然訴えかけるものがありません。まだまだ勉強不足なんでしょうね。
- kazz00
- ベストアンサー率38% (17/44)
同意です。わたしもわかりません。わかりませんが何か偉くなったような読後感があります。 おっしゃるとおり難解で断定的な表現があることは否めません。あの時代に流行した思想や芸術の知識がないと完全には理解しがたいものがあります。 そこで、小林秀雄の『考えるヒント』 (文春文庫)をお薦めします。比較的読みやすいものだと思います。 反感を覚えるということは、心の核心に触れるものが「何か」あるからではないのでしょうか。 その得たいの知れないものを知ろうとすることも読書のひとつだと最近考えます。
お礼
ご回答いただきありがとうございました。 今度、図書館で考えるヒントを借りて読もうと思います。 小林秀雄は、ドストエフスキーに非常にのめり込んでいたようですが、ドストエフスキーの作品も私には、難解で全然訴えかけるものがありません。まだまだ勉強不足なんでしょうね。 ドストエフスキーに関しては、OSHOが世界最高の文学だといっていたので、何時かは分るようになりたいと思ってます。
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お礼
この質問に、親切な回答いただき有難うございました。 小林が理解できない、江藤が理解できない、ということでかなり、彼らに反感を持っていましたが、 よく考えてみると、小学生が、大学の教科書を読んで理解できないと騒いでいるのと同じ状況じゃないかって 思うようになりました。 長い目で、多くの書物を読み、知識を広めてゆく努力をすること。理解できる語彙を豊富にすること、 その中で、何か分るようになればいいかなって思います。 努力といってもそれほど真剣なものではないですが...