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文学作品と実用文 の違いは?
文学というジャンルには、詩歌や小説以外にもエッセイや批評というジャンルがあります。 詩歌や小説が、文学と呼ばれるのは当然ですが、星野道夫のエッセイや小林秀雄の批評などには、商品説明やマニュアル本、日常会話などで使われている、いわゆる実用文とは明らかに違ったものを感じます。 しかし、全てのジャンルで、作者や話者が使用しているのは、言葉で、全く同じ材料に過ぎません。 そこで質問です。 文学作品と非文学(実用文)の違いは何なのでしょうか? また、皆様は、どういった表現によって,その違いを感じますか? さらに、文学と実用文の境目というと、どんな文章で境目を感じますか? 質問は3つになりましたが、1つの回答で充分ですので,皆様のお考えを教えてください。
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文学作品と実用文ということで私が思うのは、 「同じことをいうのに同じ表現をとるかどうか」です。 文学作品の場合、なるべく別の表現にしなさい、といわれます。 実用文の場合、なるべく同じ表現にしなさい、といわれます。
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- cyototu
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文学と実用文の違いは具体例を見れば判ると思いますので、その例を紹介します。先ず文学的な表現から。この文は、西洋の戦争論の古典中の古典、クラウゼウィツの「戦争論」の序文に引用されているもので、彼はこれをヒンデンベルグの「火災対策論」から採った文だと紹介しています。 「ある家庭が火事をおこした場合には、何よりもまず、その左側の家屋の右側の壁と右側の家屋の左側の壁を保護することに努力しなくければならぬ。何故ならば、例えば、左側の家屋の左側の壁を保護しようとしたとしよう。その家屋の右側の壁は左側の壁の右側にあり、ところが火事はこの両方の壁のさらに右側にあるだから(というのは、われわれは、家屋は火事の左側にあると仮定しておいたからである)右側の壁の方が左側の壁よりもいっそう火に近いわけだからである。したがって、家屋の右側の壁は、もしそれが保護されていないと、保護されている左側の壁に火が燃え移るより先に、燃える恐れがある。左側の壁もまた保護されていないとしても、それでもやはり、保護されていない右側の壁の燃える方が早い。だから前者を放置して、後者を保護することが必要である。」 私はこの文章を読んだときに嬉しくなって、是非皆に読んでもらいたいと思い、前からパソコンに入れ込んであります。始めて書いたときには文字の打ち間違いがないか調べるのが大変でした。今回はそれをコピー アンド ペーストしただけですからご安心を。 次に実用文の例。これは上の文の最後のところに続けて付け加えて書いてある文章です。 「このことをはっきり頭に刻みこむためには、次のように記憶していればいい。家屋が火災の右側にあるときには左壁を、家屋の火災が左側にあるときは、右壁を保護せよ。」 どうですか、同じことを言っているのに、これほどはっきりと文学的な表現と実用的な表現の違いを如実に表している文は滅多にないのではないでしょうか。上の文学的表現では、文章を書いている人は、下の実用文で伝えたい以上の何かを伝えたい気持ちがひしひしと伝わって来ますね。そのお陰で、私のような無粋な人間には筆者が何を言いたいのか全然分からなくなってしまうのですが、それでも、その筆者ののっぴきならないオーラだけは感じとることができます。一方実用的な文章の方には全然オーラがない。ただし言いたいことは良く分かりますが。 このように、文学的表現には読者を無視した筆者の独りよがりがあり、その出来の良し悪しは別にしてオーラがある。おっと、文学作品には、感心させるような美しいオーラのある例も一杯ありますがね。文学的表現万歳ですね。 私のここのお遊びも、文学的でがしょ。
お礼
せっかく具体例まで 上げていただきましたが まったく理解不能です。 あなたのセンスのせいなのか 私の質問のせいなのかは 不明ですが。 1ヶ月 間をおいて 読み直してみましたが やはり意味不明でした。
文学作品:言葉を用いた芸術作品 と仮に定義します。仰る小説、エッセイ、批評文などがふくまれます。 実用文:ある状況や概念などを言葉で伝えるための文章、と定義されるでしょうか。実用、ということですから、そういう機能に限定したものです。いわゆる文学作品にもこの機能は当然あります。この実用文的な機能を満足させ、さらにそれ以上のものが要求されるのが文学作品=芸術だともいえます。 >どういった表現によって,その違いを感じますか? ある状況を細大もらさず、また過不足なく伝える文といえば新聞などの報道文があります。同じ状況を文学者が伝える時、彼自身の見たこと、感じたことが主体になった文章になると思います。表現ということに関しては、正確な数字と明確な言葉で簡潔にあらわすのが前者であり、感覚的な言葉で比ゆ的に表現されることが多いのが後者の文学作品なのではないでしょうか。 >さらに、文学と実用文の境目というと、どんな文章で境目を感じますか? 改めて問われると分からなくなってきますが、一般的には上記のようにいえるのであって、芸術品と実用作品には境目はないのではないでしょうか。お互いに入り混じり、また、見る人の主観によっても変わってくると思います。先の戦争で文学者が従軍記を書きましたが、それらは軍部によって実用文として用いられたというようなこともありましたね。 大体、文学というものは、言葉の機能を磨いて上手に文章を作っていくための学問ですから、実用文を書くときにも必要なものです。したがって「非文学=実用文」 ではないのです。非文学という言葉があるかどうか私は知りませんが、これだけは知っておいてください。
お礼
回答ありがとうございます。 丁寧に説明していただき ありがとうございます。 質問のほうに 説明が足りなかったことを痛感いたします。 文学を芸術というジャンルに含めると 文学以外の芸術表現は 日常生活の中で 使用していない道具を わざわざ使うことになります。そこが面白いと 新たに思いました。 たいへん参考になりました。
- emeny
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純文学とは、小説です。しかし、非文学という言葉は聞いたことがありません。評論を実用文と見る価値観の人がいる。それ自体が私の疑問です。まず、現代文の教科書には小説と評論があります。文学部は、小説生産工場や小説家を輩出する学部ではないです。文学部とは、文章理論を学び、小説を読み解き、読者論(テクスト論)やジェンダー批評や構造論やマルクス批評などを使って論文を書くのが目的です。従って、文学部もそういう純文学や評論を分けません。 小説と評論の違いをいいます。小説とは架空の話を、ストーリーや登場人物を使い、読者が感動するもの。つまりは、会話を楽しんだり、主人公の気持ちに同情して感動してしまうもの。そのため、小説とはノンフィクションを楽しむもの。 評論とは、評論家の論理の飛躍をして、無理やり評論家の意見が一番正しいと押し付ける文章。そのため、その声の大きさや論理の飛躍に唖然として楽しむもの。最後に耳触りのいい言葉で共感させる。斉藤美奈子の「文章読本さん江」は数々の文章読本の作家を痛快に批判し、最後に耳触りのいい言葉で相手を頷かせる。つまり、自分の曖昧で抽象的な意見に誰もが納得する。小説家の谷崎潤一郎や三島由紀夫や、学者の清水幾太郎や木下是雄、新聞記者の本田勝一などを猛烈に批判したが、彼女の考えこそが問題だと思う。谷崎潤一郎や木下是雄や本田勝一は、具体的な意見を書き展開し、1970年代に支持を受けた。しかしながら、斉藤美奈子の冒頭の「おじさん達がマイクを離さずに我が論を歌い続けている」という趣旨は分かる。たしかに、彼らは当たり前の話をしている。短文で書け、造語を作るなというのは納得だ。つまり、評論とは知他人への悪口を物凄い言いがかりをつけて展開し、読者を笑わせる。 まとめをしたい。小説は小説家が書く架空の話。評論は小説を批評するもの。 小説と評論の感じ方の違い。小説とは読み手の心に訴えて書くもの。評論は誰もが同じ読み方をするように考えて書くもの。だから、小説家は読み手の心に訴えかけ、そして読み手の感動を与える。そのため、小説でも共感するものとしないものがある。つまり、文章は展開を楽しんで読むもの。だから、人物を描く、ストーリーの流れ、風景を描くというものから、読み手は感動を持つ。 評論は、誤解のない文章を目指す。だから、論理的に書かれ、曖昧さをなくしている。しかし、そこには感動はない。納得という言葉のみだ。 文学と実用文の境界。それは、曖昧さか正確さの一方を選ぶことだと思う。小説の文章は、読み手はどんな読み方もできる。実用文は、読み手に作者がいいたい事を正確に伝えたい。それだけに書く。 作文や感想文と小論文の違いはなにかといえば、作文や感想文は自分の主観を書く、小論文は客観的に書く。つまり、大学受験の推薦入試では、ある決まったテーマについて論じることが必要だ。脱線したらいけない。そのため、私たちも日記と小論文を使い分けているのだ。
お礼
回答ありがとうございます。 小説(文学)と(文学)評論は どちらも文学活動の一環ですから ともに文学なのでしょう。それについて疑問はありませんが 評論にも 感動的なものはいろいろ あると思います。 客観という言葉が 主観性を排してという意味があったのは ずいぶん以前の話です。 現在客観という言葉を使うと 客観性を装った 主観だったり 単なるデータを指していますが そのデータのセレクトが主観ですから 客観というものはないように思います。 思考の方向が あなた様と私では ずいぶん違うのだと思いました。 早い回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 非常に面白い例えを ありがとうございます。 一面とは思いますが 真理ですね。 時々 反芻して 楽しませていただきます。