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投影の統合
他者に対して嫌だと思う点すべて自分が自分自身に対して持っている嫌悪感の投影であるらしいということを知りました。(心理学的な考えらしいのですが、私は心理学の詳しくないのでよくわかりません。) 人に対して批難している側面を、なんらかのレベルにおいて自分も同じことをしているんだということを受け入れ、他の人に映し出されている嫌な性質を統合できたとき、自分が不快に感じている物事が消えるか、無害になる、つまりその問題を解決できるらしいのです。 そこで質問なんですが、相手の欠点が自分のものであると受け入れるとうことの意味がよくわかりません。 相手の嫌な言動に我慢して、相手が自分に被害を及ぼして続けても 無批判でいるということなのかとおもっていましたが、それも違う ようなのです。 どなたか教えてください。
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相手の欠点が目についた場合、投影という心理作用を知らない人は、闇雲に相手を責めるだけです。 責めて相手をねじ伏せれば、その悪が無くなるものだと信じ込んでいるからです。 しかし、 『自分にも同じ要素があればこそ、相手のその欠点に気づく』 わけです。 >相手の欠点が自分のものであると受け入れる :というのは、そのような意味とお考えになってよいでしょう。 無垢の赤ん坊は、(良くも悪くもですが)他人を疑うことはしません。 無論、理解することと実行することは別問題ですが。 ただ、そういうものだということを知っているのといないとでは、何かが違ってくるでしょう。 自己変革できるためにも、この心理機能を知っておくことは有意義です。 知らないと、感情的(本能的)な煩悩の為すままに精神が引きずられてしまい、他者への憎しみや羨望に対する反動としての生より生きることができなくなります。 ただ、おっしゃるように、 >相手が自分に被害を及ぼして続けても無批判でいるということ :ではありませんね。 古い言い回しになりますが、罪を憎んで人を憎まず、といったようなことになるでしょう。 忌み嫌う相手の要素と通底するものが自分の中にもあるのだ、ということを知れば、そう難しいことではなくなります。
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- kigurumi
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投影ってちょっと違うような。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6#.E6.8A.95.E5.BD.B1.28.E6.8A.95.E5.B0.84.29 『自分の欠点を置き換えたり他人のせいにする。自己が抱いている他人に対しての不都合な感情を、相手が自分に対して抱いていると思うこと。 例:自分が相手を憎んでいるのではなく相手が自分を憎んでいると思いこむ。自分が浮気したいと思っているのを、恋人に浮気願望があると思うこと。』 精神科医が書いた本に乗っていたのですが、ある人は職場で自分が不機嫌なことに気づいた。 いつ頃から不機嫌なのかと考えると、昼休みから。 昼休みで同僚が競馬で勝ったという話を聞いてから、不機嫌になった。 で、その人の父親は「世の中は金だ」と言っていて、その人はそうじゃないと父親に反発していた。 ところがいざ人が儲けた話を聞いて、妬ましくなったことから、世の中金じゃないと反発しているが、実はお金も大事だと思っていた。 自分がお金も大事だと思っていることを認めることができないで、反発心が芽生え、友人の儲け話しに「よかったね」と素直に喜ぶことができなかった。 自分の中にある金への執着を認められず、「金金って言う奴は下品だ」と自分に言い聞かせ、逆に金を儲けたという人、「下品なやつだ」と思うことにして、他人に転嫁して、自分を守る。 というのが防衛機制の投影だったような。 で、その人は「なんだかんだいっても金も大事だよな」って自分の金への執着を認めたことで、ムカムカは収まったのだそうです。 その後、友人に「おめでとう」と言うことができたのかどうかは知りません。 で、人を非難している側面全部が、自分のダークサイドだってわけじゃない。 例えば、むごたらしい殺し方をした人を非難するのは、自分は本当はむごたらしい殺人をしたいという願望があるが、同時にそれを嫌悪し、殺人者を非難しているわけじゃないですよね。 例えば盗みをした人を非難するのは、自分の中に盗みの欲望があり、そんな自分を非難するかわりに「そんなことしちゃいけないんだ」と盗んだ人を非難しているわけじゃないですよね。 ある人、仕事をやっていない人に対して、「どうせ楽したいからしなかったのでしょう」と判断していた。 で、それを横で聞いていた私は、「この人、日ごろからさぼることを考えているんだ」と思った。 その人は、自分の中のさぼりたいという願望を抑圧しているわけで、時間内に終らなかった人に対して、自分の抑圧を投影し、「この人はさぼったんだ」と最初から思ってしまっている。 自分がそういう願望があるから、他人だってそうに違いないと思っていた。 投影。 その発言を聞いて「へーーーー この人、日ごろからそういう欲望を抱えているんだ」って思いました。 で、さぼりはいけませんよ と厳しく他人に言うのは、自分の負の感情を抑圧しているから。 自己防衛のために、他人が思っているってことにしている。 思わず、指摘したくなったけど、言えません。 「へー そんなこと思っていたんだ。でもこの人は違うよ、別の人から仕事を頼まれて、そっちの方が重要だったので、そっちを優先させたから。こっちの方は今日しなくても重大なことじゃないので、優先順位であっちをやるのに忙しかったからやってないだけ。本人に聞かないで、そうに違いないって言っちゃうと、自分の心の中の願望が他人にバレちゃうよ」 なんて 言えません。 ><;
お礼
人が憶測で言っていることやほかの人に対して判断していることを知ることで逆に当人の本音がわかるということを教えていただいてから、人がネガティブなことを自分やほかの人に言っていてもほとんど気にならなくなりました。簡単に受け流せるようになった上に相手の本心がわかると、人を見る目が養われます。自分の本心にも気がつくので、信念や価値観の取捨選択にとても役に立つと思いました。本当にありがとうございました。
補足
たとえば、後かたずけや整理整頓をしない人のことがどうしても嫌で、その人から自分が被害を受けている場合などは、自分自身のだらしなさなどの自己嫌悪の投影部分を認めて、自分に厳しくししすぎるのはやめようとかんがえたとします。しかし、自分の投影を認めたのちも相変わらず相手が後かたずけをせず、相手に頼んでも聞き入れないばあいは、私がしりぬぐい的にカタズけることになるんです。そういう時は、どうしても相手自身にカタズけをさせようという私自身の考えが投影としてあるから、相手も私にさせようとするのだと考えて、相手がどう行動するかに関係なく自分がカタズいているほうが良いと思っているんだから私がやろうとおもって取り組めば、投影を統合したといえるのですか?
- taji6
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まず、投影とは自分を守るための機能で、人間の心が持っている機能のことです。なので投影をする意味、というのは自分の心が辛い思いをしないように、それを回避するために意識的、または無意識的に行う防衛的なものとなります。 >相手の欠点が自分のものであると受け入れる これは投影ではないですね。 どちらかというと投影性同一視というものに近いかも知れません。 自分の良い部分だったり悪い部分だったりを相手に投影し、さらにその投影した相手に同一視していくような防衛の種類です。
お礼
投影同一視のことを教えていただいたことで、自分がいか歪んだものの見方で人のこととを判断しているなと気ずきました。他人の言動を気にして、自分が変わろうとしなければ結果的に追い詰められて苦しむのは自分自身ということですね。ありがとうございました。
補足
投影性同一視をしらべたところ、自分と他の人との考えや感じ方は違うという考えを無視し、自他の境界線があいまいになっているというようなことと解釈しました。つまり、あいての欠点だと思っているところは自分が自己批判している部分に過ぎず、色眼鏡で物事を見る自分の考えを変えることが投影を統合するといることなんでしょうか?
お礼
確かに、投影という心理機能を知らなければ自分にとって都合の悪いことは全部人のせいにして生きることになり、他人に振り回される人生になってしまいますね。自分の中にある嫌なこだわりを捨てることで、自然と相手を責める気持も消えていくということですね。とてもわかりやすく説明してくださってほんとうにありがとうございました。疑問が無理なく消化できました☆