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キリストさん磔の絵の考証
キリストさんが十字架に磔にされる絵は古今東西色々な巨匠に描かれて来たと思いますが、絵の構成に疑問があります。 十字架に磔にされた際、手のひらに釘を打たれたそうですが(手首の説もあるとか)、手は裂けないとしても、多くの絵のように「t」字になるもんでしょうか? 吊り輪の体操選手ならともかく、大工とはいえ痩せたイメージのキリストさんが自分を支えきれたとは思えません。 通常だったら、「Y」字になると思います(残酷ですが・・)。 (例えばこの絵) http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d9/Andrea_Mantegna_029.jpg そこらへんの考証は巨匠たちはしてなかったのでしょうか? あるいは聖書にYの字にならかった理由(十字架に足場があったとか)が書かれているんでしょうか→私の十字架ペンダントには足場がないです・・。 それとも私の考えは何か間違っていますか?
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- chord
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補足しておきます。 >美術的な観点から言えば現実とおかしい絵はいくらでもあります。 例をあげるならブロンズィーノやポントルモやエルグレコやシャガール の絵、、、、 こちらの画家は全員磔の絵(降架も含みます。)を描いています。 私が取り上げているのは全部磔の絵のことなのでその点については 私が言っているのも磔の絵についてです。まあ知ってたと思いますけど。 こうなってくるとなぜなのかを考えていくと・・・。 1)足場までを描くのが正しいとされる解釈の宗派と違う宗派がある のかもしれない。 2)キリスト様が磔にされてる姿は神々しくあらねばならないので 非現実的なほうがよいとされるとか。苦しんでいる表情は比較的少ない (キリスト様のお姿の様子は聖書という本の記録であり、書物を想起さ せるため幻想的な描き方を採用するほうがよいのかも。 赤毛のアンですらキリスト様は暗い顔だからもっと明るい表情 の絵ならいいんだけどといっただけでマリラに叱られてマリラは 十字架を切っていた。) 3)画家は信徒でもあり依頼主からの注文にも対応する職人でもある。 美にだけに打ち込むような価値観は18~19世紀にかけて形成された 価値観。(前期ルネサンス以前やリヨン派などの画家は修道院や教会の 僧侶が描いている場合もあるので参考とするなら そのような画家をサンプルとするほうがよい。) 4)職人であるので何年も引き継がれてきた描き方の型は存在する。 そのあたりの成立する年代を調査する必要がある。 5)実は磔にされると手は下がらない(台ではなく足の固定の仕方によって) 6)その土地その土地や時代時代で磔の刑が微妙に異なるため身近な 磔が反映されて描かれていた場合など。(こうなってくると 拷問史や民俗学からのアプローチのほうが早い) 7)図形に意味がある。 8)実は聖書に磔の方法に関して詳しい記述がそんなにない。とか。 (たとえばユダヤの王様と書き付けたものを十字架に貼ったとか 貼らないとかありますが書状の絵と看板<INRI>と描いてる絵がある。 9)昔の人はけっこういい加減だった。それが後年疑念の種になるとか。 10)ガチガチの価値観で疑問とかお呼びではないので長年スルーしてた とか。 まあいくらでも疑問は尽きないですね。でも三位一体の議論だとか カトリックVSプロテスタント対立ぐらいメジャーな疑問でなければ べつに・・・って感じですね。 十字架は気になるでしょうけど販売元に問い合わせるのが速いのではないかと。
- chord
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逆にそこまであなたが足場やY字こだわる理由はなんでなんですかね? 足場を描くことで十字架の形は変わってしまうし、キリストと分かるように描くのが宗教画の最も重要な役割とおもいますが? 十字架の形もその宗派で決められた形を採用したほうが文句も少ない。 (世の中いろんな十字架がありますけど、違う十字架の形を忌み嫌ってる 宗派もあるみたいですし) テキトーじゃないから型どおりに描いているという考えではどうですかね?モデルでも使って現実の通りに描いたほうがいい加減だといわれるとか (ちょっと言いすぎかな) 絵というものは象徴的なものであり、多くの人のイメージの最大公約数 であるなら・・・・足場がある、ない、は取るに足らないことだと思いますけどね。(あくまで私はです。ちなみにキリスト教徒じゃないので 信徒の方はごめんなさい) わたしはキリスト教徒ではないので疑問を0にする積極的な理由がないん です。 ただ、美術的な観点から言えば現実とおかしい絵はいくらでもあります。 例をあげるならブロンズィーノやポントルモやエルグレコやシャガール の絵は矛盾だらけです。 重力がなかったり、逆に上昇しているようであったり、イメージの 断片をコラージュしているものだったりと。 イメージの塊であるのはなぜか?といわれたら分かり易く信徒(鑑賞者)に状況を把握させることと、 画像そのものに意味を含ませてある場合があるわけです。 その絵に詩的な比喩を含ませたりとかね。 あとは、数学的な図形を持たせたりとか。 なんで現実に即した表現をしないのか?は注文主や美術家に聞かないと はっきり分かりませんが、ラファエル前派は現実に近い表現をして (モデルを使ってなおかつ青い目&金髪のキリスト) 非難を浴びたという記録までありますから色々理由があったんでしょう。 一番文句が少なかった作品だったからが理由だったりして。
補足
順序を説明すると、 以前から見ていた磔の絵などではt字になっていました。 そこで、何でY字じゃないんだろう・・という疑問が出ました。 疑問に対して質問するというのがこのサイトの趣旨のはずです。 次に、足場のある絵もあることが分かりました。 足場があれば、t字になるのは不思議ではありません。 調べれば面白いもので、wikipediaによると、 正教会の伝承では足場があったとされる・・ となっていました。 つまり、t字にならない理由を調べるうちに、 足場を書く書かないということにこだわっている部分がある、 ということが分かったのです。 私が拘るのではなく、世の中が拘っている部分があるということがあるのです。 パッションという映画がありますが、 DVDを買って、見ると、映画の中でも足場が十字架に打ち込まれるシーンがありました。 私は、あなたは、聖書を理解してないのでしょう。 巨匠たちは理解上でキリストの磔を、我々の罪というのを描いたと思いますが。 それで描く場合と描かない場合がある、ということです。 私が言っているのは、磔の絵のことで、 他の絵は関係ありません。
- chord
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正確にはトウ骨と尺骨の間に釘を打って磔にしてたみたいです。 腕で自重を支えることにより肺に圧力をかけて呼吸しづらくさせて より苦しみを味わわせるのが磔の拷問としての残酷なところらしいです。 掌では肉が裂けて支えきれないし物理的に無理です。 また、ベツレヘムではキリストの苦行を体現する催しがあり、 そのさいには腕の部分やそのほかの部分を縄で縛ってました。 ではなぜそのように描かないか?ですが・・・。 推測でもうしわけないが、キリストの磔の姿の腕の位置と体幹の位置 に意味がある場合そう描く場合があります。 本来なら十字架自体に意味があるのでしょうが、磔されているため 形がよく分からないのでそうしたのでしょう。 また、ほかの使徒の磔の姿と区別するために描かれる場合など、とか。 (逆さづりにされた使徒や矢で射られた方もいましったっけ) 昔は文盲の人々のために絵で聖書を解説する役割があり、使徒とキリスト を区別する必要があったのは容易に想像できます。 あと、考えられる要因として、聖遺物のなかにキリストの手に打った 釘があったはずです。遺物との整合性を保とうとして掌の表現を 採用したも考えられます。 それとなんですが・・・宗教画に説得力はあまり必要はないとおもいますね。 信者の皆さんが、キリスト様のお姿を描いた絵だ!と分かればあとは 聖書の内容を教会の僧侶などがなぞればキリスト様の苦しみを 信者側が想像すればよいわけですから真実や実像は逆に障害になる のではないかと。 マニエラといって現実味を薄くして幻想的な効果を出す表現方法もあり 写実だけが感覚としての実感をより伝達する方法である、と思うのは 映像メディアの発達とともに想像する能力が落ちてきた現代人の 奢りであると思いますね。たしかに幻想をCGや特殊効果で表現する 方法は見つけましたが・・・・。あれは虚像でありスクリーンから外れれば 現実とは違うとどこか冷めた観察者と、風の音などの自然の音に 脅威と畏怖の念を持っていた昔の人とのジェネレーションギャップ 見たいなモノではないですかね。
補足
ありがとうございます。 どうしてもtの字にしたいなら、リアリティも考慮し、足場を書けばいいわけです。実際に書いてある絵もあります。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/Crucifixion_by_Theophanes_the_Cretan.jpg 説得力じゃなくて、なんとなくキリストと分かればよい・・みたいなテキトーな話なんでしょうか? 幼い頃から美術に取り組み、人間を描くことを追求してきた数々の美の巨匠の考えが本当にそうなんでしょうか? ・・疑問です。 「足台」については、以下に特に解説があったので、何か特別な理由があるのかなあと思いました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A3%94%E5%88%91#.E3.82.A4.E3.82.B3.E3.83.B3 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%AB%AF%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6#.E5.BD.A2.E7.8A.B6.E3.81.AE.E6.84.8F.E5.91.B3 あまりに苦しむ場面を書きたくなかったのかなあ?と想像しましたが。 (描くではなく、書くとしたのは聖伝にあるとあったので)
キリスト教も基本は偶像崇拝を禁止しています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1801013.html 最初はたしか、キリストの姿は十字架で代用されていたと思います。 それが段々にキリストそのものを描かれるようになった流れで、人間キリストを描くというより象徴としての描かれ方をしていたと記憶しています。 ルネッサンスなどの人間回帰時代を経て、キリストをより人間的に描くようにはなったのでしょうが、そこにはやはり神聖なものへの配慮があったのではないでしょうか? それに近代画家は特に、宗教画という隠れ蓑を使って人体をしっかりがっつり描きたい、という欲求を満たしたりしています。 折角なら人体をきれいに描きたいとか、美しく見せようとかやっぱり考えると思うんですよね。 日本には逆に色即是空の教えのもと、こういった絵も描かれています。 御参考に。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/deki/dekixx/acontentX28.htm
補足
ありがとうございます。 綺麗に見せたいというのは理解できます。美術ですからね。 色即是空の教えというのはよく意味が分かりませんでした。 そういう教えではなく、今日でいうホラーぽさかな?と想像しました。 しかし、tの字にしたいなら、リアリティも入れて、足場を書けばいいわけです。 「足台」については、以下に特に解説があったので、何か特別な理由があるのかなあと思いました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A3%94%E5%88%91#.E3.82.A4.E3.82.B3.E3.83.B3 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%AB%AF%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6#.E5.BD.A2.E7.8A.B6.E3.81.AE.E6.84.8F.E5.91.B3 あまりに苦しむ場面を書きたくなかったのかなあ?と想像しましたが。 (描くではなく、書くとしたのは聖伝にあるとあったので)
事実を元に正確に描く事が宗教的高揚に役立つならそうするでしょう。 ですが、それにメリットがない場合は美しく、ドラマチックに脚色するのは、今のテレビで放映されるニュースでさえそうなのです。 人間が作るものはどんなものであれ、作った人間の主観が入り込みます。 それを踏まえて全て人間の作り出すものを見ていくことを勧めます。
補足
ありがとうございます。 リアリティの話ですが、リアリティがあるほうが説得力があるように思うんですが。 私みたいに疑問に思うものも少なからずいそうなんで。 足場がある絵もあるんですよねえ。巨匠によっては。 http://karavinka.at.webry.info/200611/article_6.html 足場のあるペンダントもあるし。 http://www.e-bns.com/pitem/110843469
- バグース(@bagus3)
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キリストは処女から生まれ、死んで3日目に生き還り 天に昇りました。 宗教について科学的に考証しては、間違いだらけで キリがありません。
補足
元も子もないご回答ありがとうございました。 ひょっとしたら、物理を無視した法則で浮いていたのかも知れませんね。 もっともそれだけの力があれば磔から逃れられたはずですが・・ 今度はそこの矛盾を解決しないと。
お礼
何度もおつきあい下さりありがとうございました。 私の中では解決できたのかどうか微妙なので、ポイントに意味はないかも知れません。 依頼主のお話にしても、依頼主が「t字にしてね」とか「足場は書くなよ」とかまで依頼してきたのかなあ・・? もっと、美の巨匠たちはこういう理由があり、足場は描かなかった、あるいはt字にした・・という納得性が欲しかったのでしょう。 巨匠も観察力・(事実に対する)想像力は実際はそれほどでもなかったのかも知れません。がっかりですが。 結局おっしゃるように「細かいことはほっておけ!」ということで自分を納得させるしかないですね。 得たものがあるとすれば、足場を描く派もある、という知識ですかね・・ 飲むときのトリビアにはなりそうです。