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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:七福神の絵ですが何を意味しているのでしょう。)

七福神の絵の意味とは?

このQ&Aのポイント
  • 七福神の絵には福禄寿や弁財天、大黒天などが描かれており、それぞれのシンボルや象徴が表現されています。
  • 福禄寿は動物に乗っており、牛は干支の丑を意味している可能性があります。
  • 絵には寅の象徴である虎や太陽の象徴である赤い筋も描かれており、総じて幸福や富を象徴していると解釈されます。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#224207
noname#224207
回答No.2

ご指定のリンクはWikipedia commonsのGyaosai Daikoku.jpgですね。 このサイトの説明は The print depicts three of Gods of Good Fortune:Daikoku rides an ox,led by Otafuku,and Hotei appears in the sky. となっています。 牛に乗っているのが大黒で牛を引いているのがお多福で、空中は布袋となっています。 一方 下記のサイトでは空中は福禄寿となっています。 河鍋暁斎 錦絵 Kyosai05 www.muian.com/muian04/04kawanabe05.htm 絵からしてもWikipedia commonsの説明は間違いでしょう。 >福禄寿は何かの動物に乗っているようです。 牛でしょう >その横にある赤い筋は太陽でしょうか。 初日の出でしょう 絵の横に描かれた日付をご覧下さい一月二日となっています >そのしたには瓢箪を持った神がいますが誰でしょうか? 絵の説明通り大黒さまでしょう。 暁斎は上記の河鍋暁斎のサイトの他の絵でも大黒様を髭面に描いています。 >女性は弁財天? 絵の説明と絵の顔からしてお多福でしょう 七福神が現在のメンバーに固定されるまえにはお多福もときとしてメンバーでした。 上記の暁斎の絵のサイトにもこの絵とは別に、大黒とお多福を描いたものがあります。 お多福と牛にも意図があるかもしれません。 酌婦をからかうときによく「おたふく」といいます。 料亭などの入口に盛り塩には中国の故事に基づいた牛と塩の話があります。 この辺をかけているのかも知れません。 >牛は干支の丑を意味しているのでしょうか? 絵の横に描かれた日付をご覧下さい。 明治二十二年己丑となっています。つまり丑年です。 >この絵は何を意味しているのでしょうか。 正月向けのお目出度い浮世絵です。 お正月中東京の街で売られていたのでしょう。 ほろ酔いで「いいね」「おめでたいね」とかなんとか言って買っていったのでしょう。 図の瓢箪にも意味があります。 瓢箪は縁起の良いものとされていました。 「瓢箪の中に入れた種は必ず芽が出る」ので、幸福や成功のチャンスがめぐってくると言われていました。 ほかにも、三つそろえば「三拍(瓢)子」そろって縁起が良い、六つ揃えば「無病(六瓢)息災」のお守りになるとされます。 中国では種が多いことと胴にくびれのある形から女体にたとえられ多産と繁栄のシンボルとなり「家運興隆」「子孫繁栄」「商売繁盛」を意味します。 大黒様も五穀豊穣、商売繁盛の神様です。 お目出度い大黒様がお目出度い瓢箪を掲げている絵となります。 また瓢箪の別名は葫蘆(ころ)です。 中国音では「護禄」や「福禄」と 同じ発音のため、古代の人は、幸運を招くお守りとして、玄関に掛けたり、身に携えて、邪霊を払ったりしました。 ここで瓢箪と空中の福禄寿が結びつきます。 浮世絵というのはあくまでも庶民のものです。 江戸時代には一枚70文~80文で売られていたものです、せいぜい大判で200文程度でした ちなみに、鰻めし=鰻丼(鰻重)は一人前200文でした。 浮世絵を美術品だの芸術品だのと言い出したのは明治時代に来日した欧米人です。 明治時代にも錦絵として日常的に売られていました。 写真ニュースのような役割もはたしていました。 ご指摘の絵の作者の暁斎もそのころの絵師の一人です。 天才であるとともに反骨精神の旺盛な人だったようです。 河鍋暁斎 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/河鍋暁斎 浮世絵については下記をご参照ください。 七面倒くさい理屈抜きに当時の人々の心持ちになって楽しんでください。 浮世絵 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/浮世絵

noname#194025
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 解説、とても楽しく読ませていただきました。 >絵の横に描かれた日付をご覧下さい一月二日となっています 初夢は1月2日でしたっけ。 七福神の絵を枕の下にしいて寝るといい夢がみれるとか。 ということは初夢をテーマにした絵なのかな。 >暁斎は上記の河鍋暁斎のサイトの他の絵でも大黒様を髭面に描いています。 おー、画家の他の絵から読み解くわけですね。 これは鑑賞する際の大きなヒントになります。 >七福神が現在のメンバーに固定されるまえにはお多福もときとしてメンバーでした。 上記の暁斎の絵のサイトにもこの絵とは別に、大黒とお多福を描いたものがあります。 お多福でしたか。 あんまり弁財天らしくないな、と思いました。 >酌婦をからかうときによく「おたふく」といいます。 料亭などの入口に盛り塩には中国の故事に基づいた牛と塩の話があります。 この辺をかけているのかも知れません。 そうなんですか~。 牛は丑年をあらわしているのですね。 瓢箪の解説もありがとうございます。 >七面倒くさい理屈抜きに当時の人々の心持ちになって楽しんでください。 あはは~、根が理屈っぽいもんで申し訳ない。 だけど回答者さまに解説をしていただいたので よりこの絵がおもしろく思われてきました。 大変たのしく読ませていただきました。 ありがとうございました。

noname#194025
質問者

補足

>七面倒くさい理屈抜きに当時の人々の心持ちになって楽しんでください。 当時の文化を知らないと、当時の人々の気持ちになれないので 回答者さまに教えていただけて本当に嬉しいです!

その他の回答 (2)

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

No.2 の答えのお蔭で解決したようです。 大黒天を乗せた牛を、お多福が引っ張って行く 図ですか。 らしからぬ衣装ですが、髪と顔はまさしくお多福 です。 瓢箪は水に投げ込んでも、口がいつも上向きに なるのでで決して沈まないと、商家の縁起担ぎ です。 「瓢箪から駒」でなく、牛と福禄寿が飛び出す 冗談の縁起担ぎですか。

noname#194025
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >瓢箪は水に投げ込んでも、口がいつも上向きに なるのでで決して沈まないと、商家の縁起担ぎ です。 そうなんですか~。 知りませんでした。 勉強になりました。ありがとうございます。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.1

また難問ですね。 河鍋暁斎の見事な新年祝いの「戯画」です。 明治22年1月2日       己丑 暁斎 とあるので「うし年」です。 暁斎が死んだ年で、死の直前これだけ見事な絵を 書くとは驚きです。 七福神ならぬ三福神?です。 画像を400%に拡大して見ると、右上の福禄寿は 軍配を持ち牛に乗っています。 下の絵は米俵に乗り袋をかついで、大きな瓢箪を 持った「大黒天」と、細い杖のような棒を持った 「弁財天」の二人しか書かれていません。 二人の下に丑年を表す牛がいます。 美女らしからぬ弁財天で「女布袋」のようです。 もじって四福神ですか。 新年祝いで赤い筋はお日さまです。 右上の福禄寿が大黒天の瓢箪の口から飛び出した (吹き出した)絵でしょう。 年が明けたことを表したのでしょう。 下の牛と重複しますが。 弁財天の棒も謎です。   牛追いでしょうか。

noname#194025
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 河鍋暁斎という絵師がいたのですね。 明治22年1月2日 己丑 暁斎 と書いてありましたか。 日本人なのに崩し字が読めなくてだめですね。 丑年なので牛なのですね。 暁斎が死んだ年に描かれたものなんですか~。 いやー、そう思うとしみじみ味わい深い感じがします。 右上の福禄寿の絵は小さくてわからなかったんですが 新年なので寅なのかなと思ったのです。 でもおっしゃるとおり、よく見ると下の大きい牛と耳の形などが同じですね。 やはり赤い筋は太陽でしたか。 元旦、とうことですね。 >右上の福禄寿が大黒天の瓢箪の口から飛び出した (吹き出した)絵でしょう。 年が明けたことを表したのでしょう。 おもしろいですね~。 >弁財天の棒も謎です。   牛追いでしょうか。 京都の空也堂で瓢箪をたたいて念仏を唱えているのを見たことがあります。 関係ないかな? 解説、とても面白かったです! 本当にありがとうございます。 明治の人は解説などなくとも絵を見れば「ああ」とわかったんでしょうね。 明治からあまり年月がたっていないのに 西洋化してしまってわからなくなってしまったものが たくさんありそうですね。

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