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禁欲生活における睾丸の巨大化と痛みについて
- 禁欲生活において、睾丸の巨大化と痛みが生じることがありますが、その対処法について、先人たちの知恵を追求しています。宗教的な視点からも禁欲生活における解決策が見つかる可能性があります。
- 禁欲生活を送ると、睾丸が鶏卵大になり、普通の歩行ですら痛みを感じる場合があります。しかしながら、医師の診察によると腫瘍はなく、健康上の問題はないとされています。
- この問題については医学的な研究や解決策がまだ確立されていないため、宗教的な文献や知恵を参考にすることも一つの方法です。特に禁欲主義に関連する書物や宗教的な教えを探してみると良いでしょう。
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連続書き込み常習者のprimeapeです。 本気でちんちんを切り落とす姿勢が哲学です。
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- Nouble
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>何事も正直が一番だと思っているので、後悔はしておりません。 と、聞かされていながら 貴方の性的技術に不満を持ち 貴方の意思を尊重して、それを正直に素直に真摯にあろうと心掛けて 貴方に、「他人で練習してこい」と 敢えて率直に求めた場合には、 別れを考えられてしまう貴方の伴侶は 正直で素直で真摯でいた方がよいのでしょうか? 隠蔽していた方がよいのでしょうか? 貴方に逆らい謀って嘘つきでいた方がよいのでしょうか?
お礼
何度もご回答ありがとうございます。 かなり哲学をされている方ですね! 今頃気がつきました。 おっしゃる通りですね! 正直に言ってきたら、突然別れじゃなくて、話し合いへと移行するべきでした。 >正直で素直で真摯でいた方がよいのでしょうか? そうです! 前回の「突然別れを決意!」は間違ってました! 本当に毎回考えさせられます。 ご回答ありがとうございます。
- Nouble
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更に御考えを学びたく思いましたので投稿致します。 >終わること無き課題になるので、キリがあ… ではどの程度が妥当だと御考えですか? 後、妥当なラインとしてのそれを貴方が決めるに際して、 他者の幸福量を貴方が決めてしまうことになると思うのですが、 この点についてどのように御考えですか? >後悔がない人生なん… 質問者の御考えは ・後悔しそうなことが目前にあるから前もって見越して対処。努力する ・後悔することなんて起こって仕方のないことだから気にせず処置をしない の内、 前者が100・後者が1だった場合、 どの辺りにありますでしょうか? 人の世には「慈愛」とか「配慮」とか「いたわり」とか「育成」などより 虚偽や隠蔽が発生することが往々にしてあると思うのですが、 これをどのように捉えられられるのでしょうか? 嫌悪でしょうか? それとも賛美でしょうか? 必要悪でしょうか? また仮に、本当は配偶者が物凄く性欲が強い方だと仮定します、 性処理をしないと日常生活にその片鱗が現れて問題が出る位にです。 然し人には先に挙げた通り、 羞恥心と自己尊厳の確保要求といたわりなどから来る 虚偽や隠蔽が純然としてありますよね? しかも貴方の配偶者となる方の場合 貴方の思考を尊重するでしょうから 「どういう性的要求を持っているか」など 余計に口にしたがらないでしょうし そもそも貴方の配偶者に限らず、 自身がその性的要求の全てを自覚できているなんて あり得ないことが多いですよね? 相手も分からない、しかも貴方にも経験もスキルが乏しい状態で、 加えて相手が虚偽や隠蔽までしてくる状態が予想される中で、 どうすれば相手の真実を見いだせるのか そもそも見いだすことが可能なのか 御意見を伺いたく思いました。 >不倫や浮気に嫌悪感を感じな… 確かに同感です、 実際キリスト圏を除くと、この様な一夫一婦制でない地域は 決して少ないとは言えないようですね、 どうやら欲望由来と言うよりは、 生存に迫られて より効率の良い選択を結果選ばざるを得なかったような場合が 往々にして見られるような印象を持ってます。 では逆にその時 この様に付き合っている方が一夫一婦以外を認める、又は求められた場合、 極端なことを言うと「他人で練習してこい」と求められた場合、 貴方はどのようにその発言を受け止めますか? 以上補足を御願いします。
お礼
すいません、ちょっと2,3日ここに来ていませんでした。毎回大変興味深いご回答をありがとうございます。 >後、妥当なラインとしてのそれを貴方が決めるに際して、~、この点についてどのように御考えですか? 同感です、各々が自分でラインを決めるべきですね! >質問者の御考えは 後悔の無い人生なんて無いから、好きに生きるです。 俺の行為というか、望みがちょっとズレているけど、(性欲が少なすぎ? 自分ではドスケベのつもりなんですが、、、、)努力して禁欲ではなく普通に禁欲状態になっている。 それと、やっぱり童貞は将来妻になる人に捧げたいですから、 >・後悔しそうなことが目前にあるから前もって見越して対処。努力する に近いのかな。 >また仮に、本当は配偶者が物凄く性欲が強い方だと仮定します、 >性処理をしないと日常生活にその片鱗が現れて問題が出る位にです。 これまた、興味深いご意見ですね! もしも、そうだったら、、どうすりゃ良いの???? 恥ずかしながらそこまで考えていませんでした! 心療内科とかに連れてってあげて、ニンフォニアの治療が上手くいくことを願ってあげれば良いのでしょうかね? どちらにしろ、恋人であれ、夫婦であれ、秘密は無しにしたいですね。 俺も肉体関係を持ちこそしていまいものの、「結婚したらその爆乳を思う存分もてあそばせて。」と彼女に言った事があります。 流石にちょっとストレートすぎて、軽蔑されましたが、、、何事も正直が一番だと思っているので、後悔はしておりません。 >極端なことを言うと「他人で練習してこい」と求められた場合、 >貴方はどのようにその発言を受け止めますか? 俺の愛の感性からすると、「ありえない。」と思い、別れを決意しますね。 いつも、興味深いご回答をありがとうございます。
補足
特に、あんまり重要ではない補足です。 >また仮に、本当は配偶者が物凄く性欲が強い方だと仮定します、 >性処理をしないと日常生活にその片鱗が現れて問題が出る位にです。 そういえば、仏教で歓喜天がいますね。 これもユトク伝の女を与えて解決と一緒で理解ができません、、、。 殆ど独り言のような補足です、、、。 ご回答ありがとうございます。
- Nouble
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早速の補足御解答恐縮です、 確かに精神的繋がりは崇高で大切です、 その点では私も同意見です。 また、この点に限らず大筋では御意見に賛同したい部分を多く感じます、 精神的繋がりがあればそれだけで相手の得うる過半数の幸せを与えうる と、いう御考えのように御見受けしますが、 然しこの点についてはにわかには腑に落ちそうにないです。 いや、いっそむしろ 伴侶により多くの幸せを与えれる可能性があったとして、 それを敢えて自らが相手に与えられなくする判断を私が下す場合には、 ある意味相手に不幸を強いているような罪悪感を 私は感じます。 話が逸れますが、 思うに貴方は頭で考えた場合に 割と容易に論理的に叶うと納得できうる解が手に入る方なのではないかと感じました、 論理的に納得できるので、「それでよし」としてしまいがちになり、 自然摂理との整合性検証に労力をさく点が 若干ではありますがややなおざりになりがちなのかな? と思います。 きっと貴方ほどではないにしろ、 私も同様に論理的解を得やすい方なのですが、 私の場合は 得てして検証・先読みが浅くなり、 結果 実行に際して誤算が生まれることにより 多くの痛みを覚えた経験を持ちます、 いわゆる「うかつもの」なわけです。 これを知り、反省し、水平展開思考というのでしょうか、私は 「現時点で私は全ての知性を得ていない、全知全能に比べれば当然無知だ、ならば正しいと思える答えが間違っていて当然だ」と自らを戒め、 類似案件を模索・想定して、 その事例の元、既に下された現実との整合性が高い答えと 自らの得た答えの差異を検証することを、 己に課すようになりました。 話を戻します。 私は前回の補足で、 確かに生殖器機能と誤解を生む表記をしてしまいましたが、 性による高揚感の神髄は相手へのいたわりであり心遣いであり 相手の内面にある「求め」を知り満たすことを意思表示することだと私は感じています。 げんにSEX業界の達人と謳われた人が語るには 「相手を愛撫することとは何も性器を弄ぶことだけではない むしろその前の気遣いやいたわりそして髪や方などへのタッチ、 接吻など ホスピタリティの要素の方が重要だ」と述べておられました、 (※注 意訳です) 然し私は実践してみて理解しました 確かに心遣いが大半を占めることは事実ですが、 それは門戸を開くことに過ぎないことだと だって考えてみて下さい、 神経の反射により反応が出るのはかんぶだけでなく どこでも一緒ですよね、 アプローチの角度や強さタイミングなどによって、 接触による感覚だけでなく精神的反応も変わることは明白で、 しかも人によって口に出さない面や表現が違ったりします。 なので それは知識や知性だけでは真似できない 何人かへのアプローチ結果の比較と それらからの経験から来る人間理解が必要なのではないでしょうか? 所謂ところの「頭でっかち」な面だけでは補えない 「経験から来るテクニック」が求められてしまう部分があるのではないかと 私は思うのですが、如何でしょうか? どういういきさつで禁欲を思い立ったのですか? 貴方の今の現実世界へのアプローチで 経験から来る「智」を得ない方法論で 本当に事足りているのでしょうか? 他者が幸福になる可能性を奪って尚為す戒律が、 崇高な目的を本当に為せるのでしょうか? 本人を高みへと連れて行けるのでしょうか? いっそ悪魔のささやきに班労されているだけなのではないでしょうか? 御考えについての補足を宜しく御願い致します。
お礼
こちらこそ、ご回答ありがとうございます。 >精神的繋がりがあればそれだけで相手の得うる過半数の幸せを与えうる そうですね、「真に相手を幸せにする方法」なんて考え出したら、それこそ「我々は何故生きるのか?」位に終わること無き課題になるので、キリがありません。SEXだけでも飽きが来てしまうだろうし、精神面だけってもんでもないし、上を目指したらキリがありません。 >論理的に納得できるので、「それでよし」としてしまいがちになり、 孟子の言う所の「忍びざるの心」(公孫丑上6)という話がありますよね。井戸に落ちようとしている人を助けるの利害関係や褒めてもらおうとかとは関係無しに「なんとなく助ける」ものだと。禁欲も「何となくなく女性をスケベの対象以外のものとして見よう」として行っています。 >結果 実行に際して誤算が生まれることにより そりゃ人生そんなことばっかですよ。 後悔がない人生なんて送れるのでしょうか? >何人かへのアプローチ結果の比較と >「経験から来るテクニック」が求められてしまう部分があるのではないかと 確かに経験なくしてテクニックは、生まれないでしょう。 ただ、それを2人で少しずつ経験を高めていく事に全く問題を感じません。 また、これまた直感というか本能的に、「何人もの人と交わる事に不潔感」という物を人間は持っているように感じます。 >どういういきさつで禁欲を思い立ったのですか? とりたてて理由はそういうわけで無いんです。 もしも人間に不倫や浮気に嫌悪感を感じなければ俺も何人ともやってるでしょうが、結局そういう感覚があるから、なんとなくそういう事はせずにいて、彼女はいても童貞を保っています。そして、精神面でもそれを自己にかしている為にオナニーもしないのです。 こんな所で補足はよろしいでしょうか? ありがとうございます。
- Nouble
- ベストアンサー率18% (330/1783)
ちょっと横やりかも知れませんが、 無宗教とのことで宗教的教えから来る禁欲ではないと思えましたので、 何故禁欲を思い立ったのかが非常に気に掛かりました。 もしかしたら「性を汚らわしいものと」と、解釈されているのでしょうか? ひょとして人が汚らわしくなく生きれると思っておられるのではないでしょうか? 人は核融合(分裂でも可)生成品からの合成品から 全消費物を摂取できるようにならない限り、 他の何らかの命に依存しており、 他者を踏みつけにして、踏み台にして生きています。 と、これくらいのことはもうきっと御存知ですよね? 知ってて何故、罪を受け入れ許し内包して自覚する… 「慈愛」を学ぶのではなく 罪を嫌うのかに凄く興味を持ちました。 出来れば補足を御願いしたく思います。 p・s・ 私は性能が高い方なようで従って所謂絶倫系で、 若い頃はそれこそ猿並に処理してないと駄目な方でした、 ホルモンがホルモン能としてではなく臭いとして感じられるほどだったようで よく異性の方から眉をしかめられたものでしたが、 少し枯れてきた頃は逆にモテるようになり始めました。 またこの頃、処理を怠るときが時折あるようになったのですが 私も性夢は見ない体質のようで夢による性衝動の解消はなかったように思えます。 そんなある折に、私が悟ったのが、 性的刺激を怠ると性衝動および生殖器機能が減衰・退化すると言うことです。 私は私的な考えとして 「ほぼどんな形態であれ正当な愛は素晴らしいものだ」と考えています、 また、以下の全ても私的な考えですが、 「愛は相手の永続的な幸せを望むもの」 「全ての形態の愛を通して、各々を体験して初めて、それからのみ学べることがある」と考えています 加えて、 「人は禁欲が過ぎればすべからず崩壊する、ならば否定せず受け入れて中道を重んじ 行き過ぎないようにコントロールすることが摂理で、その摂理こそに真の神の意志があるのだ」 「人は社会性無くしては生きられない」 「人は一人では完璧になり得ず、むしろ「半身」の状態、異性と(でないときもあるが)伴侶として契って初めて一人の人格となりうる」 とも考えています。 なので異性を愛し、互いの愛を育まないと「未知」に正しく開眼できないと悟りましたし、 (※注 御世話になったバーのママが言っていたのですが男性に限っては3人のママが道を説くそうです) 愛は相手の幸福、ならばそれには性的充足感から来る癒しや安らぎも含まれると知りました。 また自身がその絶頂を感じることにより 相手への安心と充足と達成感を与えられ幸せに導けるとも知りました。 (※注 禁欲は生殖器機能の神経的発達を阻害し器官としてそのものの能力を減衰・退化させこの面を阻害します… よね?) なので 全く違う意見をお持ちの御様子なので 学ぶところがあるのでは と、強く興味を持たせて頂いた次第です。
お礼
補足要求、拝見しました。 >もしかしたら「性を汚らわしいものと」と、解釈されているのでしょうか? 上手く説明できないのですが、きっと性行為というのは想像を絶する気持ちいいものなのかも知れませんから、食事でいう所の、好物を一番最後に食べる気持ちのような。 なんとなく精神的な交わりをする夫婦になりたいような気持ちです。 >ひょとして人が汚らわしくなく生きれると思っておられるのではないでしょうか? 性的に関しては可能だと思っています。 >知ってて何故、罪を受け入れ許し内包して自覚する… 「慈愛」を学ぶのではなく 食べ物は食べないと死にます。 しかし、禁欲はしても死にません。 その違いです。 >性的刺激を怠ると性衝動および生殖器機能が減衰・退化すると言うことです。 そりゃそうですよ、使わなきゃ退化します。 高校生の頃は勃起までコントロールできなくて、すると角のような硬度がありましたが、数年前からは勃起もコントロール可能になり全く勃起自体させませんでした。 現在結婚するかも知れない彼女がいるので、結婚後の事を考えて、大きくしてみたら、、コンニャク程の強度すらありませんでした。 アソコの筋肉が退化し過ぎたのだと思います。 ただ、別にオナニーや性行為をしなくても退化は防げたと思っています。 そこで現在は、禁欲しつつも、少しずつ重たい物をぶら下げたりして、硬度、強度共に復活させようと現在健闘中です。(しかし、中々勃起状態を維持するのが難しい。)(今はやっと、ハンドタオルをぶら下げる程度に半年掛りで復活。) ただ、 >「人は一人では完璧になり得ず、むしろ「半身」の状態、異性~。」 伴侶有る無しに拘わらず「人間は完璧になれないの」と俺は思っています。 >「人は禁欲が過ぎればすべからず崩壊する、~。」 禁欲にもよるのだと思います。 食欲を極限まで禁欲すると、栄養失調になりますし、、、。 性欲に関しては、禁欲しつつも退化する前に「重たい物をぶら下げる(ダンベル等)」等の鍛錬位はしとけば良かったとは思いますが、禁欲自体には後悔もしていませんし、崩壊もしていないと思います。 こんな所で、補足要求に答えれたでしょうか?
- tomokas
- ベストアンサー率0% (0/1)
世界基督教統一神霊協会で信仰を持っているものです。 http://www.uc-adachi.com/ 私たちも伝統的なカトリックと同様に、性的に潔白であることを大事にしています。 ただ、私たちは「禁欲」を目的とするのではなく、「永続的に幸せな家庭」を築くことが目的であり、結婚までは「純潔」、結婚後の「貞操(男女共)」を、信仰をもつ、ほぼすべての教会員が実践しております。 そして結婚初夜にその純潔を相手に捧げるのが、永遠のパートナーへの最高のプレゼントと考えています。 一生涯禁欲ということであれば改めて考えなければなりませんが、結婚までの禁欲ということでしたら、「幸せな家庭を持つための実践」と捉えることで、精神的には前向きに考えやすくなると思います。いかがでしょうか。 ただし、睾丸うんぬんの話は、会員の中では余り話題になることはありま せん。十分な返答ができなくて申し訳ございません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ただし、睾丸うんぬんの話は、会員の中では余り話題になることはありま 正直な所、俺も顔を合わせて誰かにこんな事は言えません。 匿名サイトだから質問できるのです。 そういう事ではないでしょうか? それとも、統一協会って合同結婚するんでしたっけ? 独身の時代が短いのかな? ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
>極一般的な、去勢もソープランドも作らない聖職者はどうしていたんでしょうかね? ごく一般的な神父は、どうしているか・・・ ネットで<悪から我々を救い給え>って検索してみてください。 さらに http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6 <米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は2003年1月11日、過去60年間で米国カトリック教会の1200人を超える聖職者が、4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じた。さらに、2004年2月16日には米CNNテレビで1950年から2002年にかけての52年間で、神父4450人が疑いがあると報道し、件数は約11000件に上ると報じた[1]。これはその期間中における神父の人数11万人の内の4%である。約11000件中立証できたのは6700件、立証できなかったのは1000件、神父が死亡したなどの原因で調査不可能になってしまったものが3300件であった[2]。しかも被害者団体はこれに対しても「司祭らは長年にわたり(性的虐待を)隠そうとしてきた。すべての真実を示すものではない」と批判した。> というわけで、一般の生殖者たちは、どう処理しているか。 自分を信頼する子供達を、性処理の道具として使用して抜いていた。 カトリック教会は、自分の管轄地区で問題が起こると、自分が昇進できなくなるので、性犯罪の報告を本人から聞いても、移転という対応はしたが、子供達と接近を禁止することはしなかった。だから 何十年と神父たちは子供達を毒牙にかける特権が与えられ続けすが、地上の楽園を堪能できたってことらしいです。 これは神父にとっての楽園ですけどね。 でも全神父の一部じゃないか? ええ、発覚した分がこれで、氷山の一角で、実際はこの何倍も被害が出ているといわれています。 ということで、禁欲を薦める環境にいると、反動で逆に性のことしか考えられなくなり、犯罪に手を染めるってことですね。 犯罪者になりたかったら、宗教をすればいい ということになります。 なんのための宗教か、わからなくなりますが・・・
お礼
御回答ありがとうございます。 そのように禁欲の果てに暴走して、犯罪者になってしまう人もいるのですね。 もしも、全部の神父がそうだったら、カトリックは犯罪集団という事になりますが、、、。 そうなると、そもそも宗教が根本からひっくり返ってしまいますね。 、、、でも中には真面目な人もいると思います。 そういう人がなにか残してくれているとありがたいのですがね。 ありがとうございました。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
実践者がいて、なおかつ肥大化した人が仮にいるとすれば、ここでもアドバイスを受けられる可能性が在りますが、性の禁欲における肥大化を経験した人がいなければ、経験者からアドバイスを受けると言うことは不可能だ と言うことが出来ますね。とすると、一般常識や、知識でない智恵に頼るしかないわけです。 >兎も角実践者がいなくて、机上の空論状態であんまり、有益な話し合いとは言えません。 そうですか、机上の空論と常識による推測は違うと思っていたのですが。 >ちょっと気に成ったのですが、15歳から普通は睾丸の大きさが変わらないのですか? 身長が1割高くなったとして、相対的に1割肥大したというなら通常の範囲内での成長でしょうが、それ以上の「肥大化」であるとすればやはり単なる成長でない。ということになります。15才前後の時期に、自覚がなかった(気付かなかった)のであれば、普通の状態だったと考えられます。いつから気になるようになったか、が問題ですね。 実際、何年前くらいに 気付く(気になる)ようになったのですか?
お礼
御回答ありがとうございます。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
疑問に思うのが、肥大化についての対処法が記されていないのではなく、肥大化する ということ自体が記されているかどうか、です。それがなければ、性の禁欲との関連性がないということも考えられます、すなわち質問タイトル事態が間違いである可能性があります。 もし、性の禁欲により肥大化がおきるのであれば、15歳くらいから、遅くとも17、8位からおきるはずです。 肥大化 は 、この2,3年のことではないのですか? はっきり言って、「直接の」関連性はないと考えたほうが普通です。
お礼
御回答ありがとうございます。 確かにその可能性も考えられますが、それなら、結婚後、この睾丸から射精しても、ウズラ卵大にはもうならないのでしょうか? 射精したら、小さくなるんじゃなかろうか??と理由も無く感じています。 兎も角実践者がいなくて、机上の空論状態であんまり、有益な話し合いとは言えません。 >もし、性の禁欲により肥大化がおきるのであれば、15歳くらいから、遅くとも17、8位からおきるはずです。 ちょっと気に成ったのですが、15歳から普通は睾丸の大きさが変わらないのですか? 成人するまでは、成長したのか、肥大化したのか分からなかったのですが? 御回答ありがとうございます。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
家族との人間関係も関係ないのであるとすれば、いわゆる前人未到のトップを走っているかもしれない質問者は、先人の智恵でなく、自分の智恵で考えるしかないかもしれませんね。つまり、他者や文献の知識に頼るのでなく、最終的には自分の考察、洞察だけを信じるしかない、と言うことですね。
お礼
御回答ありがとうございます。 教えを守っているならば、25以上の神父、他カトリック聖職者全員(生まれながらの信者の場合)、その他にも、マスタベーションを禁じている宗教の信者で、25歳以上の独身者または、独身でいる事が義務づけられている僧侶が全て、自分よりも禁欲を長くしているはずです。 何故なにも残っていないのか??? 不思議です。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
子供がいるから、親は生きる希望と、エネルギーを得て、お金を稼ぎ、生活をすることが出来ます。そして、親がいるから、子供は、衣食住を得ることが出来ます。どちらが偉いでも、上下関係が在るわけでもありません。 子供がいるから、親が生きる動力と、活性化による充足、充実した人生を生きることが出来るのです。持ちつ持たれつです。 人は犬を飼いますが、それは、ほとんどの人にとってはボランティアではなく、癒されるからです。また、人がいるから犬は食べ物にありつくことが出来ます。 これは、パートナーとの関係においても、そうです。 もうすぐ家庭を持ち、子供を「作った」時に、子供を上から目線で見ては、子供と、ひいては家庭の不幸ではないでしょうか。 しかし、「上から目線」は、99,999%の現代の家族においての常識ではありますが... とにかく、この問題を解決するには、父親との関係の見直しと、新たな関係の結び直しが必要かと。 しかし、人間世界の欺瞞と誤謬から逃れるには断絶しかないであろう... 「イーブンの関係を」と言っても、他者、とくに子供にとっての親を変えるのは、地球をひっくり返すくらい不可能に近い。その人なりの歴史、年齢と、社会的背景と「自分の」子供、という思いが、何処までいっても在るだろうから。
お礼
御回答ありがとうございます。 確かに結婚して、子作りを始めたら、子作りの為に、放出を始めますから、こんな事考えなくても、済むようになりますね! 自分も、結婚するまでなのかも知れません、睾丸の心配をするのは。 しかし、今現在は、特にどうしようも無いということでしょうかね? 御回答、ありがとうございます。
お礼
御回答ありがとうございます。 >本気でちんちんを切り落とす姿勢が哲学です。 本気ですか! ちょっと驚いています。 何をするのも自由ですが、切り落とさないでくださいよ。 自分は、切らない禁欲を続けていきます。 割礼みたいに、日常生活に影響が無い箇所なら兎も角、、、垂れ流しの生活なんて、、。 御回答ありがとうございました。