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うさぎの数え方 仏教のおしえ

うさぎの数数えの由来で、昔の日本(江戸頃?)では仏教のおしえにより四足動物の殺生を禁じられ 変わりに食べてもよかった鳥とうさぎをこじつけて食べていた。 という話を聞いたのですが 仏教では四足動物に限らず肉を食べる事は禁止されているんですよね? だったら鳥に例えたとしても食してはいけないんじゃないんですか? それとも江戸の頃には規制が緩くなっていたのでしょうか?

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回答No.3

 そうですね。江戸期ですが、魚の異称は無足、鳥は二足(にそく)、獣は四足(しそく)と呼称したりすることがありました。  仏教もアヒムサ(アは否定)といいます。  でも仏教国でも獣を食する事はあります。  仏教の精神からのものも在るかもしれませんが、民俗慣習の要素もあると存じます。  それと、どちらが先かは別にして、身分外の階層の方の職業が獣類の屠殺などに関与しておりました。  それでも、まぁちょいといかれた人や、下級武士の中では、気楽に薬喰いという事もあったようです。つまり狸やそこらを食したし、それを提供する商売もあったようですよ。今もあるかな、両国あたりでむじな屋とか。  厳密な法規ではなく、嫌がられたのでしょうね。一般には。  そういうこともあってのことか、うさぎは、鵜(う)と鷺(さぎ)だとして、食してもいいと。  狩場を持つのは天皇や将軍家とかに限られていましたが、そこではいのししや鹿は獲物としたようです。  食したかどうかはわかりません。  鳥は食しました。葛飾とか、隅田川を越えて、金町や松戸辺りまではむろん百姓もいますから、迷惑ですが、将軍家の狩場です。  東京拘置所という小菅の刑務所はその本拠地でした。  寺院は休憩所でした。狩の途中で具合が悪くなった将軍を介抱したお花さんの御茶屋のお花茶屋町、その隣りがしらとり(白鳥)。  朝廷への貢としての白鳥をとるところですね。    仏教徒は規制がるでしょうが、日本人って非常に融通がありますからね。何時の時代も。  またぎ(かりうど)は当然食べていましたよ。  その代わり、余さず。捨てるところなく。糞も食べます。  諸法度ではないと思います。  そのうちぶんげつさんっていう、歴史小説の文豪がご回答してくれるかな。  ぶんげつさん、あの座頭金と座当金のことを教えてもらいたいけど。

その他の回答 (2)

  • sotom
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回答No.2

仏教といっても色々な宗派がありますので、一概には言えません。 「物は言いよう」とか「拡大解釈」とかは、昔からありました。 不自然な戒律が、自らを高みに上げるなんて無理があります。

  • vaidurya
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回答No.1

英語聖書ではmurderが禁じられていて 仏典では無殺生が説かれていたりしますね。 前者は人殺しを禁じるがゆえに、これは人に非ずと解釈し 後者は、無殺生(植物さえも仏生があり殺すことは戒められます)が 現実的にはできないので、僧侶の考えの下に さまざまな戒めが説かれたということになります。 実際の江戸時代の肉食については、お寺からの教えだけで そう形作られたのかすら怪しい気がします。 そもそも、たぬきやいのししも食べていたわけで… 戒めを破るのはしかたがないとしつつ、兎についてはそういう言い訳もあった。 そういうものだと思います。 もしかしたら… 一羽二羽という数え方が定着したからには ある程度身分や地位の高い(外聞を気にする)人の間で そういった解釈が行なわれていて… あるいは彼らはたぬきやいのししなどは食べていなかったのかもしれません。

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