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勉強することが恥ずかしいという心理
私は高校三年の受験生です。 昔からこの心理が勉強の邪魔をします。 勉強しないで楽をしてる奴らに踊らされてるみたい。裏で自分をあざ笑う敵をイメージしてしまうんです。 後になって「何も知らずに健気に頑張っちゃった自分」「何も知らずにたくさん働かされちゃった自分」という事態になるのが恥ずかしくてたまらない。 だってそれじゃあ損をしたみたいじゃないですか。それが恐くて、人よりたくさん努力することができないんです。 この心理を消すにはどうしたらいいのでしょうか?
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- 160614
- ベストアンサー率35% (19/54)
再度、投稿します。 これだけの方々がていねいに、一生懸命あなたのことを心配して書き込んでくださったものを、 あなたは読んでいるのでしょうか。 感想も、お礼も、締め切りもせず、ただ長々と放りっぱなしにしたままという態度は、 誠実に対応してくださった回答者の方々に対して、この上ない失礼という他ないと思います。 努力という損をするのがいやだから勉強するのが怖いというのも、 考えてみれば、自己中心的な考えですね。たとえば社会に出るために最低限必要な礼儀を勉強するのも、 あなたは損をするような気になるのでしょうか。 勉強を怠けることこそが損をすることだと、これだけの意見やアドバイスをもらって、理解できましたか。 自分の投稿に返信してもらえなくても、とうに諦めていましたが、 ほかの方のていねいな投稿を拝見するにつけ、これだけの誠意に対して無視を続けるあなたに、ついに腹立たしさを覚えました。 助けを請うた者がとっていい態度ではないはずです。
- mukumuku2
- ベストアンサー率35% (27/77)
ただ 甘ったれてるように感じます。他の方達が親切丁寧に回答されている所に水を差すようですが。人は人。自分が何を目標に目指しているのか。なんだか目を反らし,勝手な妄想に逃げ道を作っていませんか?努力は恥ずかしい事でも 損な事でもありません。正々堂々と目標に向かって進んで良いと思います。それで万が一 上手く行かなくてもマイナスには ならないと思います。逃げる事は簡単です。いくらでも言い訳も出来ます。でも立ち向かう努力と精神力は今だけでなく,長い先にも きっと質問者様自身の力となる事と思いますよ。とことん やってみて下さい。
- kitaozisan
- ベストアンサー率37% (142/374)
何か誤解しているように思えます。 "勉強する" ということはさせられることではないということです。 あくまで、ある目標に向かうための手段だということを忘れないでください。 >勉強しないで楽をしている 本当にあなたは彼、彼女等がそうしていると思っているのですか? >自分をあざ笑う 本当にあなたは そうされているんですか? 単純に他の人と自分を比較しているだけなのではないですか? "努力すること"は最終的には結果を出すことができるようにはなるでしょう。でも、あなたはまだ結果を出しているようには思えません。 大学に進学すること?、社会人として認めてもらうこと? そんな目標だけでは楽しくないじゃないですか? あなたのしたいこと、なりたいものをもう一回考えて見てください。 どうしたらなれるか=勉強です。 どうやったらなれるか=努力です。 単純なことです ただ、それをできるかどうかにかかっています。 始める勇気を持ってください。 その勇気を持って実行してください。 結果はあなたがそれを認めるまで出ません。 最後に認めるのはあなたしかいないのですから。 ちょっと生意気なことを書きました。 50代の悩んだozisanより。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#5です。 補足していただき誠にありがとうございます。 「楽な方法」に対する認識。 及び、 「良い思い」「損」という概念の定義付けに関して検証してみるのが良いでしょう。 まず、「楽な方法」であるかどうかは傍からは判断が難しいものです。 たとえば、金持ちがみな楽な生活をしているわけではありません。 こずるく立ち回って要領のいい人間の内面が常に勝利感で満ちていて、満足の日常を過ごしていると考えるのは、タクシー運転手は一日座っての仕事だから楽でいいな、などという子供の認識と大差ないでしょう。 ここでおっしゃっている「良い思い」とは何でしょうか。 楽な方法で得た良い思いなど、インスタントの味噌汁みたいなものだということに、まず気づく必要があります。 手間暇かけて味噌汁を作るのが損だという認識でしょうが、得られるものは同じものではないわけです。 ここまでは通りいっぺんの回答になりますが、肝心なのは、なぜそのような思考になってしまうのか、という点です。 ここをつまびらかにしておかないとなかなか解消は難しいでしょう。 >失敗者の親を反面教師にしたいって思い :は大事ですね。 全く主体性が無いというわけでもなさそうです。 ただ、反面教師にしようと固執している以上、親の蜘蛛の糸から独立した人生は歩めません。 反面教師という概念には一種の憎しみや諦念が内在しています。 むしろ固執の度合いは強くなるものと推測できます。 隠そうとして必死になればなるほどばれやすい嘘のようなものです。 この意味で主体性にはまだ相当前進の余地が残されていると考えるのが妥当でしょう。 親には親の人生があり、あなたは親から生まれてきたに違いはないが、(たとえ反面教師とするという理由であっても)親の操り人形ではない、といったようなこと。 ご両親の存在を、自らが生きるためのステップボードにしようとしないことです。 このあたりは意志的な自覚によって徐々に変革が可能なはずです。 心理的構図としては、 「親のようになること」=「失敗をすること」なので、 親を反面教師とする以上、失敗は絶対に許されないことである。 結果として、失敗することを必要以上に怖れる。 絶対に失敗しない方法とは努力をしないことである。 ということのようですね。 この論理自体は間違ってはいません。 ただ、「親を反面教師とするのが是である」という命題からスタートしている、という点に根本的な問題があり、そのことが主体性欠如の決定的要因となっています。 >自分が主体的じゃない理由は、自信がなくてとりあえず多数派に従っておこうと思うからです。 :よく分析されているじゃありませんか。 なぜ自信が持てないのか、という点が問題になるわけですが、上に述べたことを参考にしながら、現在のご自分の立場・状況について正しく把握し直すことによって、おそらく自信は芽生え始めるでしょう。 真実は揺らぎませんから、その視点に立脚した思考も安定するようになるわけです。 このように、状況の良し悪しに拘わらず、現在の自己を把握できていること、納得できていることが自信につながるはずです。 勉強するか否かは、あくまで付随的な、あるいは二義的な問題です。
質問者さまの心理がよくわかります。 私は質問者さまよりずっと年上ですが、子供のころに「ノストラダムスの大予言」の話を聞いたのです。 高校生の方ならご存じではないかもしれませんが、21世紀になる時に世界が滅亡するというような予言だったのです。 実際、1999年の頃は世間はその話題で盛り上がりました。 私はずいぶん小さい時にその話を聞いて、「ああ、もう世界は滅亡するんだったら、何をやっても無駄だ」という虚無感が脳にインプットされてしまったのです。 でも現実は違いましたね。 2000年過ぎても、この世は淡々と続いています。 いえ、その大予言を真に受けた人は、その人個人はもしかしたら「滅亡」しているのかもしれません。 結局、自分が何を見ているか?なのだと思います。 自分の見ている世界がすべてなのです。 だから大予言を真に受けずに将来に向けてきちんと生きてきた人にとっては、その大予言は「ハズレ」たことになりますね。 ネガティブな大予言が人をネガティブな世界に引きずりこむ悪魔のささやきだとしたら、質問者さまの場合も「努力することは恥ずかしい」というのはあなたを試す悪魔のささやきなのではないでしょうか。 私が将来に虚無感を持って努力を怠ってきたからって、ノストラダムスは責任を取ってはくれません。 結局はその「悪魔のささやき」は、自分で作り上げた妄想だったからです。 質問者さまも、「努力することが恥ずかしい」という妄想はご自分で作り上げているのです。 努力しないで10年後、20年後に何の取り柄もないすっからかんの自分になっていても、誰も責任は取ってくれません。 この心理に対しての対応策は、とにかく行動することです。 行動、つまり勉強して努力することをしてみて、そしてそれが「現実」に幸せを与えるという経験をすることです。 妄想に対抗できるのは現実しかありません。
- 160614
- ベストアンサー率35% (19/54)
ものすごくもったいないです。 損をすることが怖くて、努力することができないって。 多分、あなたは この気持ちの整理がついたら、一気に勉強がはかどるんじゃないでしょうか。 ふつう、理解できなくて努力するのがいや、こんなにたくさん覚えるのがいや、机の前に拘束されるのがいや、 そんな理由で勉強ができないことが多いです。 とにかくもうすぐ9月です。受験は目の前に迫っています。 勉強して損をする気分をどうにかしたいのなら、 逆療法で、開き直って「大損するつもりで精いっぱいがんばる」ということでどうでしょうか。 勉強に成果が出てきて、覚えること、解くことが快感になってきたら、 あなたの迷いは必ず消えます。その頃には、人目が気にならなくなるほど、勉強に集中できるようになっています。 人に笑われたっていいんです。大損したって構わないじゃないですか、 人より得をしようと思って幸せになろうと考えてはいけません。 むしろ、人の為に何かできる、与えることのできる人間をめざしてがんばってください。 自分が苦労して磨いた知性、技術、精神力で、近い将来何か有益な仕事をする。そのことで感謝してくれる人、あなたに愛情を注いでくれる人が、現われてくる。 これが、本当の豊かさです。 しんどいことを、そのたびに損得の勘定にかけてはかっていると、 かえって視野の狭い、小さな人間になってしまいます。 喜びを与える側の人になってください。若いうちに、できるだけたくさんのことを吸収して学んでください。 将来、自信をもって行動できる人間になるために・・・・・・ 最後に。 「おもひでぽろぽろ」で歌われる「愛は花、きみはその種子」の歌詞を読んでみてください。 「死ぬのを恐れて、生きることができない」 というフレーズが書かれています。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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こんばんわ。 まず、自分の幸福に自分で責任を取る、 ということについて考えてみてください。 自分の幸福を手に入れるために努力しているのなら、 「損してる」などとは思わないはずです。 やりたいこともしないで勉強なんかしてるなんて 時間を無駄、とお考えでしょうか。 そうだとしたら、現在やりたいことをしていない、 満たされていない、 そのための焦燥感かもしれませんね。 ところで現在満たされていない、ということは、 現在の自分の幸福に責任を取れていない、 自分の世話がうまくできていない、ということです。 一度やりたいことについて考えてみてはどうでしょう。 さて。 1.努力することが「損」だ・と・し・て、 2.「損」しないこと「だけ」があなたの幸福だ・と・し・た・ら、 努力なんかやめちまいなさい。 しかし、 >昔からこの心理が勉強の邪魔をします。 :ということですから怖くてやめられないんだろう? 「苦難に対する努力」が無くなったら、 楽でバラ色だとお考えですか? いいえ、それは船の底の重い荷物のようなもので、 これが無くなったら船は軽くなりすぎてひっくり返ります。 (by ショーペンハウアー) >この心理を消すにはどうしたらいいのでしょうか? :現在のあなたを満足させてください。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
>後になって「何も知らずに健気に頑張っちゃった自分」「何も知らずにたくさん働かされちゃった自分」という事態になるのが恥ずかしくてたまらない。 :まあ、お気持ちはよくわかります。 ただ、結論から言うと、これはあなたが主体的な生き方をしてこなかった、正確には主体的な生き方を教えられて来なかったということになるように思われます。 他者の視点でしか行動できなくなっているわけです。 ですから、 >それが恐くて、人よりたくさん努力することができないんです。 :の「それ」が嘘なんですよね。 あなた自身は気づいていらっしゃらないと思うけど。 損をするのが嫌なのではなく、損をしたと【思われること】が怖いだけなのです。 >この心理を消すにはどうしたらいいのでしょうか? :あなたのご両親に対する、あなたの感情を正直に述べてみてください。 根本的な問題はおそらくそこから見つかるでしょう。 ご返事を見て、回答できそうなら回答させてもらいます。 それと、コピペのお礼は勘弁してください。 回答する気が失せますから。
補足
親については、昔から家庭が崩壊していて不仲。失敗者の親を反面教師にしたいって思いがあります。 「もっと楽な方法で良い思いしてるやつがいるんじゃないか。それなら自分が努力してもそいつらより損をする。自分が一番楽をしていないと、負けを認めたみたいで悔しい。負けを認めるくらいならやらない。」って思考がいつも自分を支配します。このせいで勉強できないんです。 自分が主体的じゃない理由は、自信がなくてとりあえず多数派に従っておこうと思うからです。
勉強が、自分のやってみたいことと思えばよいので。それと努力と言いますができないことはできないので、取り組んでいることが楽にできることでも辛いことでも同じです。たとえば貴方がサツマイモが大好きだったとします。サツマイモがおいしいから食べているのを軽蔑するひとがいるからと考えて食べないということはしないと思います。大切なことは、本当は勉強などしたくないのだというような気持ちを突き抜けて勉強の楽しさを実感できるようにすることだと思います。辛いことをやっているというところにとどまっているのはいけないと思います。
お礼
回答ありがとうございます 小学校の時にスポーツや低俗なことがかっこいい、勉強はかっこ悪いって風潮があったんです。あと歴史の教科書には貴族は楽をしていて大衆は労働ばかりしていたみたいなこと書いてあります。 それ以来こういう心理に悩まされるようになりました。
- timer999
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逆に、特定の敵があなたを勉強させないためにそういう恥ずかしい気持ちにさせていると考えるのも有りかも知れません。 もっとも、本当は勉強したくない自分を直視したくないために、自分をごまかしているという可能性も有るのではないかとも思いますけれど。 少し真面目に言えば、あらゆる意味で損をしない人など存在しません。 大小の違いはありますが。 損をしたくないから努力をしない。 ということは、努力しないから成功もない訳です。 成功しない=損 という考え方は、人生の最後になってやっとわかる角言うかということが多いです。 今はやるだけやってみたほうがいい結果を生むことが多いとは思います。 当然、やらない自由も有りますけれどね。
お礼
回答ありがとうございます 小学校の時にスポーツや低俗なことがかっこいい、勉強はかっこ悪いって風潮があったんです。あと歴史の教科書には貴族は楽をしていて大衆は労働ばかりしていたみたいなこと書いてあります。 それ以来こういう心理に悩まされるようになりました。
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お礼
丁寧な回答ありがとうございます。確かに自分のためにやってるんですよね。 その言葉のように考えられるよう心がけます。