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秀吉や家康が天下を統一した後の鉄砲の扱い
戦国時代には鉄砲は推定で15万挺もあり、 世界でも有数の銃保有国だったそうですが、 秀吉や家康が天下を統一した後はそれらの大量の鉄砲はどうなったんですか?
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基本路線は、刀狩りの類似した法令を出して、可能なだけ”銃刀”を没収しますが、これは、あんまり効果がありません。 戦国時代が終結してから鉄砲は量産体制は終わります。 為政者側が統制したことが最大の要素ですが、その量産の必要性がなくなったことも要因でしょう。 しかし、劣悪ながらも鉄砲は幕藩体制において幕府・各藩で保有されますし、庶民も相当数の鉄砲を所持していたと思われます。 つまり、大量の鉄砲は、劣化して役目を果たさなくなるまで使用・保管され続けたということになります。 『刀狩り 武器を封印した民衆』(岩波新書、2005年) に参考文献としてお勧めです。
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- ultraCS
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ある意味、散逸してしまいました。実際には徴集兵が次の戦い用に持ち帰ってそれっきりなどという例もあったのでしょう。母の実家(岐阜の農家)にも、サビだらけの火縄銃がありました。 なお、鉄砲鍛冶自体の技術は継承され、江戸時代には装飾品、または遊戯用の銃(競技銃に近いもの)が登場し、裕福な町民などによって流行します。
お礼
>母の実家(岐阜の農家)にも、サビだらけの火縄銃がありました。 す、すごいですね… >なお、鉄砲鍛冶自体の技術は継承され、江戸時代には装飾品、または遊戯用の銃(競技銃に近いもの)が登場し、裕福な町民などによって流行します。 技術自体は継承されていたのですね。 装飾品や競技銃まであったとは… 回答ありがとうございます。
- Tacosan
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#1 でも言われていますが, 庶民は多くの鉄砲を所有していました. 猪を退治したりするのに使いますしね.
お礼
>庶民は多くの鉄砲を所有していました. 猪を退治したりするのに使いますしね. なるほど。 平和な江戸時代に何故庶民が銃を?と思いましたが、猪退治に使うのですね。 回答ありがとうございます。
お礼
明治維新のとき、幕府側は刀・朝廷側は銃というイメージがあったので、 幕府は銃を廃棄してしまったのかと思っていましたが、 幕府だけでなく藩も銃を保有していたのですね。 しかも幕府・藩だけでなく、庶民も所持していたのですね… 回答ありがとうございます。