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納得するけど説明できない症状
ある現象の説明に対して納得するけど、それを人には説明できない症状が結構あります。これって何が足りないのですか? 「物事を納得するということ」と「物事を説明するということ」の間に何があるのか、そして何が必要なのか知りたいです。よろしくお願いいたします。 単に深い理解に至っていない、説明できる言葉や文脈を用意できていない、説明しようと思うと理解した事の記憶を参照できないとかポイント・ポイントではわかります。 なので人が納得する仕組み、説明する仕組みに焦点を当ててご教授いただけると助かります。
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こんにちは、 先ず、目の前で左右の手を合わせ、指を組んでください、 右の親指と左の親指、どちらが上に来ますか? そして、腕組みをしてください、同じように、右腕と左腕は、どちらが上になりますか? http://luckybrains.zero-yen.com/index.htm 「物事を納得するということ」には、ふたつの脳(右脳と左脳)があるように、 人間の理解の仕方には、大まかに感覚派と論理派のふたつのやり方があります。 普通に「物事を説明するということ」という作業は、多くの場合、左脳の論理性を使って行います。 感覚派の方の説明が(長島茂雄氏のように)「“ドン!”ときて“バ~ン!と行く」(笑)。。。と 多くの人に理解しにくいのは、今の学校教育が、論理性だけに偏った教育方法で行い 私たちは、論理的思考が出来なければ、落ちこぼれて行くような仕組みになっているからなので、 結果、大多数の人たちは、感覚的な理解の仕方を鍛えずに、大人に成ってしまいます。 ※身体を使う体育、音楽、美術系の科目の強化が感覚を鍛える一番の方法です。 文武両道というのは、正しい人の道だったと思います。 論理的な理解と違って、感覚的な理解は、中間の説明が出来ません、 それは大抵の場合、中間の論理をすっ飛ばして、結論を導き出しているからです。 中間の論理は飛ばしても、“何故だか”これが正しいだろうという『確信めいたもの』があるのです。 ※100階建ての建物へ上がる時、論理的思考がエスカレーターや階段で、 感覚的理解がエレベーターという感じ、かも知れません。 http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AA%E3%81%B2%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%8D-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%A4%A7%E9%9A%86/dp/4569634389/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1250476589&sr=1-2 参考の本↑は、天才科学者をのひらめきを研究したものですが、 レベルの違いはありますが。私たち凡人にも、当てはまるものだと思われます。 人が物事を理解、納得する仕組みは、論理性だけではなく、感覚的な要素 眼を使った画像的理解、皮膚感覚を通した理解などなど、五感すべてを使った納得 (理解や納得という言葉よりも、“腑に落ちる”という感覚がより近いと思いますが・・・) があります、そしてその場合、論理(言葉)では表現が不可能です。 ただし、誤解して欲しくないことは、非論理的な理解は、 論理(左脳)を必要としない訳ではなく、論理が詰まった時、 論理的な思考を考え尽くしたとき、初めて論理のジャンプが起ります、 論理的思考を鍛えないで、非論理的な納得は起らない・・・ 非論理的な納得の確実性が低くなるものと思われます。 少し回答がズレたようです(スイマセン) 「納得するけど説明できない」とき、足りないものは、 結論に至る、知識と論理性そして何よりも記憶量だと考えます。 普通人が、何となく、納得する時、私たちは、無意識に過去の(膨大な)経験と参照しています。 過去の経験は、文章化すると膨大な量になりますし、空気や感じ、雰囲気など 文章化不可能なものは、多岐にわたります。(だから論理化しないし、できないのです。) これらの、無意識を含めた、過去の膨大な感覚の共通点を探り、帰納法的に、 経験からの納得や納得しないとの結論を引き出しているものと思われます。 だから、「説明して」と言われても、ひとつひとつの個別の事例を示すわけにも行かず、 「なんとなくそう思う」とか「経験だよ」としか言えない場合があります。 インプットが感覚派でアウトプットが論理派のハリーでした。
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- youchan37
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>これって何が足りないのですか? 言葉だと思います。多くの場合、言葉しかないと思います。 自分が物事に対して納得をした。納得していない状態から、納得した状態に進んだ。 その変化を言葉に置き換えるのです。 自分と他人とを結ぶ共通のものは、殆どの場合言葉です。 ですからまずは自分の「納得」を、言葉に置き換える。 それができればしめたものです。後はその言葉を話すなり書くなりすれば、他人に伝わるはずです。 但し相手も貴方と同じ体験をしていないと、言葉だけでコミニュケーションはできませんが。 とにかくまず、貴方の「納得」を言葉に置き換える努力をしてみて下さい。 それはなかなか大変だとは思います。時にはうまく言葉に置き換えられないこともあります。 私は、説明できない時は、例に当てはめます。 ですから、言葉にし辛い何かを前にした時は、似たようなカタチ・数式のようなものを持った 何かを探すのです。すると完全に言葉によって説明できなくても、 自身がその納得を噛み締めることができたりします。 又、その「例え」を言葉で伝えることで、相手に納得して貰うことができたりもします。 或いは又、睡眠も大切です(笑)。ヘンなところに話が飛ぶようですが、本当にそう思っています。 言葉に置き換えることに難儀している何かを、考え続けるのです。特に寝る前に。 すると夜中フッと目を覚ました時や、朝普通に起きる・覚醒する瞬間に、分かることがあります。 分かるというのは、言葉に置き換えられるということです。 納得する仕組みとは、何かを言葉に置き換えること、だと思います。 言葉に置き換えられた時、真に納得できることが多いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 つまり、納得した事を言葉によって抽象化されていないため、説明するときに具象も挙げられないといったところでしょうか。 一度数式のようなフレームに当てはめるという考え方は非常に府に落ちます。アナログな世界の現象を何かのフレームに当てはめないと、色んな視点から見てしまうので、なかなか納得できませんもんね。 本当に参考になりました。
お礼
なるほど、納得に関して論理と感覚の視点から見ると、非常に興味深いですね。 デカルトの心身二元論が間違っているというのは、一般常識になりましたが、それを納得についての仕組みに当てはめると面白いですね。 ハリーさんのご意見からすれば、私が言う納得できる状態と説明できる状態の間というのは、 感覚と記憶参照による「府に落ちる」状態ということなんですね。 またそれは、論理のジャンプであり、暗黙的な次元でしか理解できていないということですね。 本当に参考になります。 ご紹介いただいた本やお話を聞いていてマイケル・ポランニーを思い出しましたので、そこらへんを当たってみて、 次のステップへ踏み出すための目印を探したいと思います。