- ベストアンサー
加藤清正の築城技術
加藤清正は築城の天才と言われていますが、細部まで設計したり、建築作業を実際にしたわけではないと思います。 加藤清正は城を作る場所と規模と建築物のイメージを大工に伝えただけの発注者にすぎないと思うのですが(すぎないといっても構想力は天才と思います)、じっさいのところどうだったのでしょうか? つまり、たとえていえば、加藤清正が森ビルのオーナー、大工が竹中工務店みたいな感じではないかと。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
城作りでは大きく分けて「縄張」「作事」の二つの要素があります。 縄張は城のグランドデザインで要塞としての防御デザインを決定するものと言えます。その上になる櫓や塀などは作事に属して、主に宮大工などの技術を持った職人の仕事になります。 要塞としての城作りの肝はやはり縄張の方でしょう。 どこに(城の立地) どう言う防御構造物をおいて(濠や塁を組み合わせて) 効率よく敵の攻撃を分断し あるいは効率よく反撃できる「形」を作ること これが名城としての基本です。 縄張はやはり戦闘経験のある体験を元にしてくみ上げられるもので 清正が単にイメージを伝えるだけでは成り立たないでしょう。 例えば熊本城は西南戦争で政府軍が篭城したときに 木造の建物は燃えてしまいましたが(確か政府軍がコントロールできない火災によって混乱するのを防ぐために自ら火をかけたと思います)濠、石垣の防御デザインの優秀さによって見事落城を防いでいます。
お礼
縄張と作事なのですね。城作りのイメージがつかめました。 ありがとうございます。