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加藤清正と小西行長の家臣
肥後の北と南をそれぞれ拝領した2人の武将の主な家臣を教えて下さい(一門も) あるじを失った佐々成政の家臣達は肥後に残ったのでしょうか 清正の家臣は尾張出身者が多いのですか 2人について勉強になる小説(文庫本)がありましたらそれも教えて下さい
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加藤清正・小西行長について勉強になる本は文春文庫の「加藤清正」以外にはすぐには思い出せませんが、どの本にも結構出てくる重臣は 加藤家では飯田覚兵衛でしょうか。 一方、小西家では父や兄が重臣として不在がちの行長の代役をしていたようです。 また、佐々成政の肥後の反乱は成政の以前の家臣vs肥後の国人の対立だったのではないのでしょうか? 神保氏などは成政自害後は元の越中に帰って隠棲していますし。
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- ten-kai
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回答No.2
下記のサイトには「加藤清正十六将」というのが載っていました。 飯田覚兵衛と並んで、森本義太夫も有名ですね。 あと、天草四郎の父・益田甚兵衛好次は小西行長の遺臣として知られていますね。 分限などは存じませんが。