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私の敬愛するアングロサクソンの血族なる友よ
陶芸家バーナード・リーチについて調べております。 ネット上で高村光太郎からバーナード・リーチ宛に書かれ「道程」に掲載されたとみられる 『私の敬愛するアングロサクソンの血族なる友よ』 から始まる詩を見つけました。 どなたかこの視の前後関係又、背景についてご存知の方はいらっしゃらないでしょうか? たとえば、 ・始めのほうの4年間が、リーチが幼少時代に過ごした日本での4年間を指しているのか1909年に日本にやってきてからの四年間を指しているのか? ・『今こそ喜びの時は来た』というのは何のことを指しているのか?これは高村の喜びか、もしくはリーチの喜びなのか? よろしくお願いいたします。
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- koyama2870
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まず、高村光太郎のこの詩の題名は「よろこびを告ぐ -To B.LEACH-」ですね。この詩は大正2年(1913)12月5日作です。この詩に先立って、やはりリーチに宛てて語りかける形で、明治44年(1911)6月14日に「廃頽者より」という詩が書かれています。 高村光太郎は明治39年(1906)から同42年(1909)まで、彫刻研究のため米英仏に留学しました。その際にリーチと知り合ったわけです。リーチは光太郎の紹介を頼って来日しました。光太郎は留学によって西洋の新しい彫刻と日本の古臭い彫刻のあまりのギャップを知り、日本にも新しい彫刻を根付かせようとしますがうまく行かず、自暴自棄の生活になります。古い日本彫刻界の代表が自分の父親、高村光雲だったり、同じ道を歩もうとしていた荻原守衛が急死したりといったことがあったためです。その頃書かれたのが「廃頽者より」で、やり場のない憤懣をリーチに語っていたのです。 しかし、その後、後に妻となる長沼智恵子と知り合い、心機一転、自分一人でも古い彫刻界に挑むぞ!と覚悟を決めます。その頃、「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」の有名な「道程」や、「よろこびを告ぐ -To B.LEACH-」を書いたのです。 さて、「四年間」はリーチが日本に来てからの四年間です。これは、「廃頽者より」で、「君は余に図り、余を信じて/運命の如く/遠きわが日本に何物をか慕ひ来れり/ああ、やがてそれは三年にもなりなむ」とあるのを受けています。 また、「今こそ喜びの時は来た」は、前述の通り、自分の道を見つけたぞ!という光太郎自身の喜びですね。 これら二つの詩についての詳細は今年発売された飛高隆夫著『高村光太郎『道程』全詩鑑賞』に載っていると思います。ちょっと高い本ですが……。