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説得力と負け惜しみ
「持つ者」が「持たざる者」を蔑み、「持たざる者」が「持つ者」を僻むのは論外としておいといて。 「持つ者」の言葉は説得力が無く、「持たざる者」の言葉は負け惜しみにしか聞こえない。 世の中に納得できることが少ないのはしょうがないですか? ※自然科学は排除してください。 ※できるだけ簡潔にしてください。 ※補足はしません。
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持つ者は手に入れる為の努力をしてきたし、し続けるでしょう。 持たざる者は、自分で苦労して手に入れるのをやめて、他人が苦労して 手に入れたものを眺めて満足し、管理させているだけです。
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- owlsjp
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よく、討論が行き詰ると「でもそれは自分の考えでしょ」と開き直る人がいますが、これは、相手に向かって「それは君の持論に過ぎない」ということを主張しているのです。対等な立場に持っていこうとする狡猾なやり方なんですね。自分のとか、相手のとか、そういう考えも在るんだとか、そういうものではなく、客観的に見てどうかということを理解していない サル なんです。
お礼
いくつ利停喰らってます?
- maimaisus
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自分の認識力が乏しいから。 多角的に物事を認識出来ればそうは聞こえないし見えない。
お礼
ありがとうございまいした。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
追記: で、例えば 物事を 芸風の違い などと言い、すべて相対的価値観を当てはめる人間は、相対的世界の中に埋没しているという意味において サル的な動物である と言う事が出来るでしょう。 まあ、でもテレビで 「天才チンパンジー」みたいなキャラクターも見るし、そういう芸風もありかな、と思います。対極関係、相対性を観察するのもヒトとしての楽しみのひとつですので。
お礼
いくつ利停喰らってます?
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
例えば、「我慢や偽善感でするうちに成長は無く」などと、無私の奉仕、無償の奉仕を述べておきながら、自分の成長云々を言う人間は、自分が言っている嘘偽りに対しての自覚がなく、欺瞞に満ちているという意味において偽善者であり、「結果として」説得力がない ということになると思います。 ほとんどの人が欺瞞と誤謬に満ちていて、且つそのことを自覚していない(と思われる)のだから、説得力がないのは当然といえば当然です。 しかし、であればこそ、自分が真実のみを追究する、という姿勢で生きれば良いのです。しかし、これにも動機が必要なのです。無理をする必要はないでしょう。 質問の答えとしては、「しょうがない」ですね。
お礼
いくつ利停喰らってます?
- ratesu
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しょがないです。諦めてください。
お礼
そうですね。ありがとうございました。
でも一般論なら本人がなにも経験する事はないと思います。 つまりあの人は仕事遂行能力の無いくせに仕事遂行能力について語ってるよ、ではなく発言の中身を見るべきだと思います。 誰が言っても正しいことは正しいんですから。 その説得力云々は発言の中身を見ていない状況じゃないでしょうか。
お礼
そうですよね。 しかし現実は同じことを言われても「言った人」によっては受け入れられない人が多いです。 誰が言っても正しいことは正しいとはならないようです。 ありがとうございました。
芸風が違ってしまうのは趣きだから、現時点で説得力がないと決めてし てしまうのももったいないです。
お礼
持ってたり持ってなかったりするのは芸風ですか? ありがとうございました。
お礼
大変ご迷惑をお掛けしました。