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神を信じるってどう言う意味?
よく神様を信じている人と話すと、神様を信じて祈れば救われるとか、救われたとか話を聞きますが、どうも納得がいきません。 何故なら、神様を信じていなくても、それなりになる人は多くいますし、信じていても救われない人もいるからです。 まあ、そう言うと、「神を感じた事がないから」なんて事を聞きますがたとえ、何らかの存在や感動、快感、救いを感じたとしても、それが必ず結果に表れる訳でなく「感じた、体験した」だけで終わってしまう場合も在る訳です。 そんな人、何人も見てきました。 そう言う訳で、結果から考えると、神の存在と、救いは、ある意味、別のモノであり、神を信じれば救われると考えるのは変な思い違いなのではないでしょうか? そこで思ったのですが、「神を信じる」ってどう言う意味なのでしょうか?
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- owlsjp
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>んー、「原理」もしくは根源的な法則だと私は思います。 そういう考え方もあるんですね。しかし、 >むしろ思推は、混沌から原理を生み出す為の化合物だと思います。 原理を生み出す為に用いる と言うのであれば、その言葉どおり原理よりも先に思推が存在していなければならないですね。 いかに?
- kigurumi
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すいません kigurumiです。 訂正です。 >進化・・・一世代ではなく、何世代という長い間に、群の習性が変ること。 違いました。 個性というか性質が変化することであって、群れ全体の性質は別ですね。
お礼
なるほどね、環境の変化ですか。 進化と言うより、意識の停滞の様な気がしますが。周り、あえて言うなら神に関する以外の事柄や文化の変化に、信仰の意識や教えがついて行けてない状態。 参考になるご意見ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
何度もすいません。 kigurumiです。 試験が終って思考に余裕ができて、「あっ」って思ったので、、、、 勉強しているときは、今回のことと結びつきがあるって気づけなかった。 信仰の信じるに関しては、警察から「息子さんが本屋で万引きした」と連絡があった親が、「それは絶対に間違いです、うちの子に限ってそんなことをするわけがない。 私は息子を信じます。」という時の気持ちと同じではないか と推測されます。 この人が息子を信じていると言う理由の考察については、今回パスするとして、あなたのわからない という疑問を解くキーワードは、 <自然淘汰と進化> だと思うんです。 自然淘汰・・・淘汰なので役に立たない、適応できないものは自然消滅する。 淘汰というのは別な表現だと<選択>。 進化・・・一世代ではなく、何世代という長い間に、群の習性が変ること。 進化とは良くなるという意味ではなく、群の習性が長い時代にわたって遺伝子レベルで変化する という意味。 人間とお猿さんの祖先は一緒だったという説がありますよね。 ある時、一方はチンパンジーに片方はホモサピエンスになるべく分岐点で違いが現れた。 ネアンデルタール人の脳は、ホモサピエンスより大きかったのですが、それは森からサバンナに生存するために移動し適応する必要があったから という説が有力。 ハードウエアの変化で、ソフト(心)も変化していく。 心の発生については、今回やりません。 両者に相互作用がある。 遺伝子が適応するため、自然淘汰で、骨格が変化していき、それに応じて行動が変化していった。 あなたの前回言った「「ギャンブルしたときによくある当得体の知れない確信、あれに近いですね。」は、<ギャンブラーの錯誤>と呼ばれています。 <群淘汰>というのがある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E9%81%B8%E6%8A%9E それと、<メキシコユキヒメドリの適応的意思決定>という研究もある。 人の行動を解明するとき、人間の行動を研究するって方法以外に、人間も動物ですから、他の動物を研究してわかるってこともある。 人間と他の動物に違いは、いくつもありますが、共通点もあるってわけです。 実験で、毎回2個エサが出るAの餌場と、全くエサが無い時もあるが4個エサが出る時もあるBの餌場。 メキシコユキヒメドリにずっとエサを与えないで、極限状態にする。 そういう環境にさらされた後、それはどっちのエサ場に行くか? 確実にエサにありつけるAのエサ場か、無いかもしれないがある時は倍あるエサ場か? そういう状況の場合、メキシキユキヒメドリは、Bのエサ場に行ったんです。 考えてみると、キリスト教は文盲・精神障害者(知的も含む)・身体所会社・極貧の人々に向けて布教されてきことで、信者を獲得したという歴史がある。 イエス話と同じ話が同時代にあった。 アポロニウスだったと思う。 内容は一緒。だけどこっちはやがて廃れた。 どうしてかというと、アポロニウスの教えの方は、集団の上位階級の人々、知的レベルの高い人々に向けて布教されたから。 追い込まれたギリギリの生活をしている人々では無く、裕福で余裕のある生活をしている人が信者だったから、必用とされなかったのでやがて廃れた。 古代では、ほんの一握りの人以外は、支配者によって抑圧されていたわけです。 その人たちに、希望という無いこともありえるが、もしかしたらエサが4個出るかもしれないと言われる伝説の餌場があるとすれば、その人たちは、幻の餌場Bに行くのではないでしょうか? 群が全員一緒の行動をしていたとしても、異種の遺伝子が発生する。 その異種遺伝子がやがて、群れの性質を何世代にもかけて変えていく。 その異種が適応しなければ、発生しても滅ぶが、適応に必要なものであれば、群れ全体に浸透して、群れの行動が変化していく。 従って、今では神を信じる人々は、ヨーロッパではほとんどいなくなったのではないか と。 アメリカは別の群れで若い群れです。 ヨーロッパとは歴史の長さが違います。 群れの性質が違うわけです。 日本にキリスト教が入ってきても浸透しなかったのは、キリスト教が異種として入ってきても、自然淘汰の結果、はやらなかったのではないかと。 遺伝子レベルで違うわけです。 だから、神を信じるという人々の行動が、進化した人にはわからないわけです。 もう一度いいますが、進化とは優秀になったとかそういう意味ではない。 長い時代をかけて性質が変化し、環境に適応することを進化と言う。
- katyan1234
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え?そんな風に考えるんだ はい、たとえば習字を間違ったあなたは書き直しますよね コンピューターゲームでうまくいかなければリセットボタンを押してやり直しませんか?それをしないで見守っているのか神様の愛ですね。 神様の立場になればそうしませんか? >人間のしている事は、破壊しているのだから。 教えに従っていない人間の責任ですね。神様がそうやってるのではありません。守るべき教えを守らずに自分たちが神様だと言う思いあがりからこうなったのでしょうね。 >救いがあると単純に考えると言うのもなんか滑稽な気がしますよね。 救われているという確信が自分の心に平安にしてよい行動が出来るんだと思うよ。神様に守られているという事が自分の行動を安定させて今の仕事にもつかせているんだという認識です。 >管理させてるって、勝手にそう言う事にしているだけでしょ聖書の中で人間が。 もし、神が決めたとしたら、実際は逆ですよね、人間のしている事は、破壊しているのだから ハイ本来はこの地球を治めよと神様からの委託を受けているんですが人間が神様の言いつけを守らずに自分勝手に行動しているためにこんな世の中になってしまった。と考えてます
お礼
>はい、たとえば習字を間違ったあなたは書き直しますよね コンピューターゲームでうまくいかなければリセットボタンを押してやり直しませんか?それをしないで見守っているのか神様の愛ですね。 神様の立場になればそうしませんか? それ、全然変です、習字は字を正しく書くことが前提なので直すのが当たり前、それを見守るのは愛ではなく本末転倒なだけ。 コンピュターゲームで上手くいかないからリセットボタンを押してやり直すのも、上手くやる為にしている事なのに、それをしないのはただの無駄です。 もちろん自分が神様なら、そんな無意味な事はしません。 そうですね、逆に聞きますが、海で自分の子供が溺れかけていたなら、あなたはどうしますか、見守るのが愛だと言っていられますか? >教えに従っていない人間の責任ですね。神様がそうやってるのではありません。守るべき教えを守らずに自分たちが神様だと言う思いあがりからこうなったのでしょうね。 ですからその人間を創ったのは神様でしょ。良い人も悪い人も含めてね。 >救われているという確信が自分の心に平安にしてよい行動が出来るんだと思うよ。神様に守られているという事が自分の行動を安定させて今の仕事にもつかせているんだという認識です。 ええ、ですからそう言う風に考えている事が、自分自身は自分で守ろうと考えている人からすれば、精神的に貧弱に映る部分もあるという事です。 >ハイ本来はこの地球を治めよと神様からの委託を受けているんですが人間が神様の言いつけを守らずに自分勝手に行動しているためにこんな世の中になってしまった。と考えてます んー根本的に私の言っている理屈を理解しています?
- owlsjp
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補足 すべては ―在ろう、在りたい― という思いから発生したのだと思います。
お礼
んーなるほど、そう言う考え方もあるのですね。 回答ありがとうございました。
- owlsjp
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神=愛=エネルギー ↓ 神≒愛≒エネルギーとしたほうが良いでしょう。実際に言葉、文字が違うので、イコール でないことは明白だと思いますが。 >だけで世界が出来ているとは、思えないから。 今現在は、それだけで出来ているとは当然見えないでしょう。しかし、もともとの発端、原初の始まりはそれが原因ではないですか。 混沌から、まず最初に何かが発生したとすれば、それは何からだと思いますか? 思推からです。それ以外に何が考えられますか?
お礼
>混沌から、まず最初に何かが発生したとすれば、それは何からだと思いますか? んー、「原理」もしくは根源的な法則だと私は思います。 むしろ思推は、混沌から原理を生み出す為の化合物だと思います。
- owlsjp
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>自分の、そうであってほしいと言う考え、都合であり、ポジティブに偏っていると言う意味でやはり傲慢なのです。 逆に言えば、目に見えない、いるかわからない存在を重視し、目の前にいる人間たちを信用しておらず、直面した出来事を蔑ろにしているという点で厭世的な人間であり、ネガティブでもあると言う事も出来ると思います。 で、究極の神、愛は人間に働きかけないのです。 個としての人格を持つ者としての究極の愛とは無言でいること、黙っていること、言葉を話さないこと、他者に働きかけないこと だと観じます。皆完全な愛を普段から表現することは不可能です 愛(エネルギー)とは湧き上がる感情であり、ふとした気付きであり、嘘偽りのない思いです。
お礼
度々の回答ありがとうございます。 神=愛=エネルギーって事ですか? そう言う事なら、神=全てのエネルギーって事の方が良くない? だって世界は、 >愛(エネルギー)とは湧き上がる感情であり、ふとした気付きであり、嘘偽りのない思いです。 だけで世界が出来ているとは、思えないから。その世界を創った神が愛だけだと変だしね。
- katyan1234
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人間を苦しまないよう、間違いを起こさぬように創らなかったのか。 ? 間違わないように作るというなら人間いらないほうが早いよ。 そうでしょう仕事を頼むのに未熟な人に治めよって普通させますか? お料理できない人に失敗してぐちゃぐちゃにするよう人なんて普通私たちの常識では雇わないし仕事させないよ。 あえて管理任せていると言う事 神様は無から有を作り出すかたらなら失敗するような人間を作ったかというのではなく、人間を作らず神自身で管理したと思うよ。 今まで人間なしで管理してきたのでしょう。 本来役に立たない人間を見捨てないで生かしている。と言う事に神様の愛があると思うよ。
お礼
え?そんな風に考えるんだ。 全てを理解し作り出した神が、本来役に立たない人間を創ると考えられますか?見捨てないで生かしておくと思いますか?たんに愛があるから生かしてくれてると考えるのは、完全なるものに対して完全ではないと言っているようなもの、別の思惑があるから人間は存在していると考える方が理にかなっていると思いますが。 それに管理させてるって、勝手にそう言う事にしているだけでしょ聖書の中で人間が。 もし、神が決めたとしたら、実際は逆ですよね、人間のしている事は、破壊しているのだから。 人間いない方が、生態系とか壊されないですよね。ある意味。 ようは、あえて料理出来ない人に料理させている訳です。世の中ぐちゃぐでしょ実際。 もう少し、あるべき現実を見るべきだと思います。 その上で、感じている神がどうなのか判断するべきでは? もっと人間が完全に近かったら、世界はもっと平和で、住みやすい世界になっているはずです。
- owlsjp
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さらに発展させると 「神を信じる」 と言う言葉は、「悪い神を信じる」ではなく、「良い神、善なる神を信じる」と言う意味で使われていると思います。 つまり、この世界は本来良いものであり、人間に関して言えばもともと良い存在である という性善説を採っているのです。 この世界は良いものであるはずだ。人間は善なるものであるはずだ。という、甘えと依存を現しています。 自分の、そうであってほしいと言う考え、都合であり、ポジティブに偏っていると言う意味でやはり傲慢なのです。 このような信仰者は、嘘偽り、欺瞞と誤謬に満ちていると言う意味において、世界を醜くする原因にもなっている、つまり悪である可能性が高いでしょう。と、言うかここに書いたことを論破できなければ悪であるのは間違いのない事実ではないでしょうか... 人間は神から自立しなければ一生不幸でしょう。 今の人間社会は、良い と思われているものが悪く、悪い と思われているものが本当は良きものであることが多々あると実感しています。
お礼
>人間は神から自立しなければ一生不幸でしょう。 個人的意見で言えば同意見です。 人間は、神がいるいないに関わらず、在るものを在るように受け入れて行くべきだと私は思います。 まあ、確かに神がいるから、救いがあると単純に考えると言うのもなんか滑稽な気がしますよね。 生きると言う現実に対して覚悟が足りてない。気がする。
- katyan1234
- ベストアンサー率18% (347/1849)
補足します 心で神を感じるのが信教ならば、聖書なんて必要ないでしょ。むしろ、邪魔な知識ではないでしょうかネ。 いいえ 感じているのがスタートですしかしどれが正しいのかを考えるために聖書があるんです。 そのままというならすべて信じ行いなさいって?いいえそんな馬鹿なことは言わないよ。 だからその人と神様の契約 正しいとか正しくないとかいえないよと言うことになります。聖書はそのまま信じることは不可能です。 なぜなら反対語があちらこちらにありますからね。 信仰とはキリストを信じること 行いのない信仰はない、 だからクリスチャンが聖書の言葉を自分なりに解釈していくんです。 (みんな回答が違うでしょう。同じ回答はないと思います。) 自分にあった信仰を見つける事でしょうね。 >全知全能の神がいたとして、何故、最初から人間を苦しまないよう、間違いを起こさぬように創らなかったのか。 はいちゃんと神様は教えてましたよ。まず地球上のものを管理せよ。通しえてましたからね。言いつけを守り蛇の言う事を信じてしまったと言う事にもなるし、あそこに木を置いたと言う事はいつか食べてあそこからでるときがあったと思ってます。そうしないと、食べた瞬間に理想として描いた社会がなくなったなら壊して新しく作るはず。作らないで見守っているなら食べた事はあまりたいしたことではなく、隠れて言い訳した事になると思ってます。
お礼
心で神を感じる事がスタートならば、別に聖書で何が正しか、考えなくても、物事を心で何が正しか判断すればいい事ではないでしょうかネ。 >はいちゃんと神様は教えてましたよ。・・・・・・・・言い訳した事になると思ってます。 ですけど、それって、 全知全能の神がいたとして、何故、最初から人間を苦しまないよう、間違いを起こさぬように創らなかったのか。 に対して何の理由にもなっていないですよ。 原因がなければ結果もなくなるようしとけばよかった言う話をしている訳ですから。 最初からその木を置かなければ、問題は起きない訳です。もしくは、食べても問題が起きないよう人間を創っておけばいい訳ですから。 ようは、人間が苦しむのも、過ちを犯すのも、そして神を信じない人間がいるのも、神のせいだよって事ですよね。
お礼
んーそうですね。 考え方としては、混沌の中からそれが出現したと言うのではなく、別の物として加わることのにより、秩序が生まれたと言う考え方です。ハイ。