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神を信じるってどう言う意味?
よく神様を信じている人と話すと、神様を信じて祈れば救われるとか、救われたとか話を聞きますが、どうも納得がいきません。 何故なら、神様を信じていなくても、それなりになる人は多くいますし、信じていても救われない人もいるからです。 まあ、そう言うと、「神を感じた事がないから」なんて事を聞きますがたとえ、何らかの存在や感動、快感、救いを感じたとしても、それが必ず結果に表れる訳でなく「感じた、体験した」だけで終わってしまう場合も在る訳です。 そんな人、何人も見てきました。 そう言う訳で、結果から考えると、神の存在と、救いは、ある意味、別のモノであり、神を信じれば救われると考えるのは変な思い違いなのではないでしょうか? そこで思ったのですが、「神を信じる」ってどう言う意味なのでしょうか?
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仏教の日蓮宗の宗派の1つである、日蓮正宗という宗教団体に所属し、信仰している者です。 「私なり」の信じることついて書きたいと思います。 信じることは、確証できていないことです。 確証できていることは、信じているとは言わないと思います。 学校で習い、実験により証明したことを信じているとは言わないでしょう。 ○○は△△である、○○は△△だからと、思うと思います。 また、他人にもそう言うと思います。 信じるというのは、解らないということを含むことだと思います。 解らなければしなければいいと思うかと思います。 人は未来を確証することはできないかと思います。 例えば、この会社に就職することが自分にとって幸せなのか、続けられるのか、この人と結婚することが良いことなのか、どうなのか、 考えると終わりがなかなか見えなくなることもあるかと思います。 そんな時は、「たぶん、大丈夫」と思って行動すると思います。それが信じるという言葉だと思います。 人間には、信じる域が出ないものがあるのは当然で、それを無いと言われても仕方がないし、信じてくれなくても構わないという思うのが、冷静な人間の判断かと思います。(あるいは冷徹) しかし、なぜか、それができないのも人間です。 人は間違っていることをしていると思うと不安になることがあります。 間違ったことをしたくない、してはいけないと思う人こそ、間違ったことをしていると思う事をしていると、不安になります。 間違っても構わない、それが信じる者、人間の限界だからと開き直ればいいですが、それができない人もいます。 そういった人の信じるは、絶対と思い込むです。故に、信じられないとか、疑う人に意見を聞くと攻撃的になります。(間違っているかもしれないと少しでも意識すると心が不安定になってイラつくから) そういった人間は、自分が信じていることを正義と称し、人を傷つけます。 自分が正しいことを信じていると思うなら、それを理解して貰おうと努めるのが冷静な行動かと思います。 まあ、騙す要素もありますが。 話がそれました。 私は、私の宗派の教えを信じています。 私なりの信じるとは、人生の一部でもそれに費やすことです。 信じることは、賭け事だと思っています。確証のないことに何かを費やすのですから。 もしかしたら、無駄かもしれないことに時間を費やす訳ですから。 そして、私なりの信じるという意味は、それによって効果があるかもしれないと期待できるからです。 だから、信じない人がいても、別に構いません。 ただ、何らかの悩みを持っていて、他の人の意見を聞いても解消されない時に、自分なりの解決策を見いだそうとするのはしてもいいのではないかと思います。 自分の人生は意識する、しないに関わらず、自分で負うものです。
- kyokoma103
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何らかの奇遇な出来事を神の存在と結びつけることがきっかけで神を信じるようになる人やもともと全ては神の所業と信じて疑わない人などそれぞれですし、 信じることで救われるのならそれはそれで良いかと思います。 人は弱く、 何らかのものに心を依存させなければ孤独感や空虚感を埋めることが出来ないのはありがちなことです。 そうでなければ、 それはそれでも良いのではないでしょうか。 要は生きがいのようなものだと思うのです。 それが、 動物だったり、 仕事だったり、 趣味だったりもするわけです。 一つの宗教で団結しようとする民族や国もありますが、 幸い日本ではそういった傾向は少ないように思います。 生まれた時は神社にお参りに行き、 キリスト教のクリスマスを祝ったり、 教会でファッションのように結婚式を挙げたり、 死んだ時は仏教のお寺だったりする国ですから、 宗教もある意味いいところ取りの国ですから自由です。 オウム真理教のように反社会的なテロリストになって社会に甚大な迷惑をかけるようではいけませんが、 そうでない限り、批判する必要もないし、 賛同する必要もないし、 ご自分の気持ちと考え方で良いのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 生きがいですかー。 趣味ねー。 そう言う事なら、意味とかより、信じることが目的な訳だから、確かに理屈を必要としないない部分が在るのも納得。 恋愛に近いですね。
- ymmasayan
- ベストアンサー率30% (2593/8599)
「神の存在を信じること」と「救いを信じること」は別物だと思います。 普通の宗教はこれを一体としているものがほとんどです。 ほとんど精神論や寄進に結び付けている気がします。 人間は昔から人智の及ばないものを「神」としてきました。 今では最も大きなテーマは宇宙はどうして出来たのか?、その前は? でしょう。 私もこれを「神」とは言いませんが「絶対者」を感じます。 いくら科学が発展しても人智の及ばないものは永遠に残るのでしょう。 その限り宗教も又永続するのでしょう。
お礼
うーん、なるほどね。 宗教のせいで、そう言う風に人は思いこむって事ですね。 回答ありがとうございました。
お礼
RF2244さんの信じるとは、それらの教えを理解しようとすること、と言うことでしょうか。 ・・・そう考えると、前回答の生きがいみたいなモノに近いのかもしれませんね。 ありがとうございました。