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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神は完全ではありえないのでは?)

神は完全ではありえないのでは?

このQ&Aのポイント
  • 神についての信仰や考え方には様々な意見がありますが、神が完全な存在であるかどうかについては疑問があります。
  • もし神が完全な存在であるとすると、それは自己完結した存在であり、己以外のものを必要としないはずです。
  • しかし、多くの宗教では神は世界を創造し、人間を導く存在とされており、その存在と人間との関わりが問われます。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.16

スピノザ、超~難しいですよ。 わたし、何度も、スピノザの『エチカ(倫理学)』に挑戦し、その都度、跳ね返されました(わらい)。 だって、読んでて退屈なんだもの、スピノザの『エチカ』!! 幾何学のように、定義を与えて、そこから定理を導き出す。。。 延々とこの繰り返しなんだもん。。。 同じく「神さまは完全無欠」という本を読むのならば、 ライプニッツの『モナド論(単子論)』や『形而上学叙説』あたりがよろしいかと。。。 《予定調和》のワン・フレーズですべてカタがつきます(笑い)。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。 >幾何学のように、定義を与えて、そこから定理を導き出す。。。 >延々とこの繰り返しなんだもん。。。  そうしますと、『エチカ(倫理学)』を読み進める際には、幾何学を修める時の様に、個々の定義や定理を、一々知識として身に付けてから、次の定義や定理に進む、という作業を繰り返さねばならないかも知れず、読むのにはそれなりの月日を要しそうですね。 >ライプニッツの『モナド論(単子論)』や『形而上学叙説』あたりがよろしいかと。。。  こちらも御教え頂き感謝致します。(近場の図書館に所蔵されていれば良いのですが・・・)

その他の回答 (34)

回答No.35

 ★★(No.30お礼欄) ~~~~   > 問題は その定義が《想定するというかたちにおける》というところです。  その事は関係ないと思われます。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ いえ。この事がすべてです。よ。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  いえ、その事が関係する前の段階で、bragelonne様が話を破綻させてしまわれたのですから、その事は関係のしようも無いと思います。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.34

はははは 神が完全なはずがないじゃないですか 幾ら完全だ絶対だと言ってみても 神は人の心の中の存在 宇宙の真理を幾ら見続けても擬人的要素はない 崩壊の法則にさへ支配されてるとさえ言われる 神が完全なら何故クリスチャンの多い長崎に原爆を落としたのか? 全知全能なら回避できたろうに この人類の悲惨を全て人間の聖にしなければならなかった神が 完全とは とても思えない。神も仏もあるものかとどれ程多くの人が思い死んでいったか・・・ 神は心の中にあって人を導く だが心の外の世界は現実だが 心の中は思い込み 想像の概念の世界。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  私も「神」に対する印象としては、不完全な存在であると思ってはおります。  只、本質問の趣旨は、神が本当に完全であるのか否かではなく、哲学者等の中から生まれた筈の「神は不完全な存在である」という結論を得た考え方と、それに対する宗教側(「神は完全なる存在である」としなければならない側の人々)の反論の、それぞれの例をなるべく多く御教え頂きたいという事なのです。

回答No.33

お礼ありがとうございます。 ☆「それは単に、汎神論が、神ではないモノに『神』という名称を付けて呼んでいるだけで、《法則》や《原理》は神などではない」 といった類の反論は出なかったのでしょうか? ◇出ていると思います。《神即自然》というスピノザに対して、ローマ教会をはじめに色々な反論が出ていますので。時系列的には逆転するのですけれども、スピノザはユダヤ教の破門処分を受けています。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ >悪しき霊(「アンラ・マンユ」)と善なる霊(スプンタ・マンユ、後にアフラ・マズダと同一視される)が双子ならば、彼らには「父」がいてその「父」が彼らより先だっていなければならない。 という事から、聖職者たちによってが「ズルワーン」という神が作り出されたとされている様ですから、これを信じる限り、善悪二元論として知られているゾロアスター教の方が先行しているのではないでしょうか? ~~~~~~ さぁ、どうなんでしょう。 ゾロアスターの言葉とされるモノは残っていますけれど、ゾロアスターの教えがどのようなものであったのかは、よく分かっていないようです。 ───古代ペルシアは多神教の世界であって、アフラ・マズダーの神は、必ずしも最高神ではなかったようです─── ただ、資料的・文献的には、ズルワーン思想の方が、今日まで伝わっている善・悪二元論的ゾロアスター教よりも古い、です。 そして、ズルワーン思想もまたゾロアスターの言葉を元に生まれたものです。 「時間以外の全ては創造されたものである。創造者は時間(ズルワーン)である。」 みたいなことを、ゾロアスターは言っているそうです。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。 >出ていると思います。《神即自然》というスピノザに対して、ローマ教会をはじめに色々な反論が出ていますので。  私が、 >「それは単に、汎神論が、神ではないモノに『神』という名称を付けて呼んでいるだけで、《法則》や《原理》は神などではない」 >といった類の反論は出なかったのでしょうか? と尋ねたのは、「超自然的な存在を持ち出す事を嫌う科学者」等から、その様な反論が出たのではないかと考えたからですが、世界の全ては神(の一面)だとする考え方は、宗教側にとっても受け入れがたいものだったとは存じませんでした。  確かに、元々は同じ神を信仰した筈なのに、解釈等の違いによって、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に分裂し、更には、カソリック、プロテスタント、ロシア正教、等々に分派する様な宗教にとっては、神とはどの様な存在なのかという点が異なる考え方は、とんでもない異端なのかも知れませんね。 >そして、ズルワーン思想もまたゾロアスターの言葉を元に生まれたものです。 >「時間以外の全ては創造されたものである。創造者は時間(ズルワーン)である。」 >みたいなことを、ゾロアスターは言っているそうです。  そうなのでしたか。  Wikipediaも情報の信頼性においては今一つである事は有名な話ですので、御教え頂いたURLのページに掲載されていた情報であるとは言え、全てを鵜呑みにしてはいけないという事ですね。

回答No.32

 No.30です。  こういうお話をします。  《いかなる国語にも属さないこころのことば(verbum cordis)》を取り上げ アウグスティヌスが 議論しています。  もしそれがあるとするなら・あるとしても 絶対者へと開かれた窓であるかも知れない。というに過ぎない。  そのこころの言葉もそれが いかに偶有的で可変的なものであるかをわれわれは心得なければいけないと言っているようです。    ところが わたしが疑うとき    疑う対象やその内容についてのことばではなく    疑いそのことについてのことばがある。    疑っていることがどう展開するか     これとは別に    わたしは    わたしが今疑っているということを知っているという    そのことについての言葉がある。        (cf.『三位一体論』15・23)  それは ほんとうは疑うべきではないであろうという隠れた思いであるかも知れない。  それは 疑って必ずや真実を明らかにしなければならないという義憤でありうる。  そういう心の奥のかくれた思いまた言葉がある。  有限・可変的・可謬的ながら 真実のことばだと考えられる。    けれども このことばが    いかに 神のことばから遠いかを    わたしは 見なければならない。         (同上15・15)  今このように思惟していることは いかんせん 持続し得ない。ゆえにだと思われる。  思惟の成果も 座右の銘になるのが 精々である。  疑いを持ったゆえに思考することと その疑いや思考をあたかもさらにその奥にあって見守りつつのように思惟をおよぼすことと これらふたつはいづれも ある種のかたちで 《精神が旋回しつつ運動する》ようである。  だから 旋回する精神が 求める解を見つけ出したときには その解のあたかも ほかにさらに真実のことばが別にあって よくやったねとか いやいやほんとうにそれでよいだろうかとか なおまだ語っているように思われることがある。  それはしかも《日本語なら日本語に属するような音や声もなく》でありながら こころに語られているかのようである。  もしそうだとしたら・そうだとしても わたしは なお この《親しき内密のことば(verbum  verum intimum)》を超えてその窓を さらに 開かねばならない。   つまり まだ そのことばは 窓であって 到達すべきことばではないのではないか。  ひとの心の奥のそのまた奥のことばであっても まだなお ひとり満ち足りているとは とうてい言えまい。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  只、疑い云々以前の問題だと思います。  bragelonne様の定義が、複数の解釈が可能なもの、即ち、単独では定義とは呼べないものであったため、単に、どの解釈が適切と言えるのかを確認しようとしただけの事であるにも関わらず、その確認が済む前に、bragelonne様御自身が、bragelonne様御自身の話を破綻させてしまっただけの話です。  解釈が正しいのか否かの確認すら済んではいない段階なのですから、当然、疑念など生じる段階では御座いません。

noname#180507
noname#180507
回答No.31

こんばんは。No23です。 お礼ありがとうございます。 以上と言いながら、再度になりますが・・(^^; 》神が不完全であるからこそ、人間にとっては有り難い訳で、完全なる存在 》など、信仰の対象とする様なものではない、という結論(解決の方向性)を 》得ているからです。 不完全であるからこそ、「人間にとって在り難い」という捉え方が、よくわかりませんでした。完全であろうと、不完全であろうと、「人間にとって在り難い」の必要条件ではないように思うのですが・・ 》「世界を創造し、人間を導く」事が神にとっては必要だという事、即ち、神は 》「世界を創造する事や人間を必要とする存在」という事になり、完全な存在と 》は言えなくなってしまうと思います。 キリスト教の唯一神(ヤーウェ)が、人間を必要とする存在と捉えるのには疑問を感じました。質問者さんの「神」の捉え方は、「はじめに神ありき」ではなく「はじめに人ありき」のような気がします。 宗教では、No28回答の「自然や経験を超える超自然のもの《神》」に対して、論理的思考ではなく、信仰(信じる)を置くのでしょう。思考していくとすれば、解釈という行為でしょうね。なぜ存在するのかを考えるのは、解釈以前かな。確かに、存在の問題を観念的に思考(哲学)しても、無限連鎖に陥るかもしれない。 質問者さんは、「神」の存在や捉え方を問題にしているのではなく、「既存の宗教(人間が創った神)のなかで、(人間的視点から) 『神は完全なる存在である』としている宗教はあるのか、あるとすれば具体的に教えて欲しい」というニーズだったのかと・・遅ればせながら、気づきました。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。 >質問者さんは、「神」の存在や捉え方を問題にしているのではなく、「既存の宗教(人間が創った神)のなかで、(人間的視点から) 『神は完全なる存在である』としている宗教はあるのか、あるとすれば具体的に教えて欲しい」というニーズだったのかと・・遅ればせながら、気づきました。  近づいてはいるのですが、まだ少し違っています。  人間的か否かには関わりなく、兎に角『神は完全なる存在である』としている宗教は実在しています。(キリスト教等)  そして、(少なくとも人間の通常の思考方法で考えた場合には)『神は完全なる存在である』とした場合には、大なり小なり矛盾が生じますから、哲学者等から「神は不完全ではないのか?」という議論が出て来ると思われます。  そして、何らかの根拠によって、「神は不完全な存在である」とか「完全な神など存在しない」という結論を得た考え方も生まれた筈です。(通常の考え方では「完全なる神」が存在している事は矛盾していますから)  そうなりますと、『神は完全なる存在である』としている宗教側は、「完全な神など存在しない」という考えに対する反論を考え出したのではないかと、私は思った訳です。  そこで、その「神は不完全な存在である」とか「完全な神など存在しない」とする考えと、それに対する反論を、それぞれなるべく多く御教え頂いたい、というのが本質問の趣旨なのです。

回答No.30

 No.21です。  ★ ~~~~~  〔* (省略にしたがいます)〕と仰っておられるのですから、    >○ 神とは ひとり満ち足りている存在である。  の中にある「ひとり」という表現や、「存在である」という表現を使用する事にも、またなじまないという事になります。  ~~~~~~~  ☆ ふつうの文章(判断)によるならば おっしゃるとおりのことが当てはまります。  ところが わたしの述べた文章は  ☆☆(回答No.8) ~~~~      ○ 神とは ひとり満ち足りている存在である。  これが  そのように想定するというかたちにおける神の定義です。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ となっています。問題は その定義が《想定するというかたちにおける》というところです。  すなわち この経験世界と同じ次元の話をしているのではないと言うために この《想定する》ということわり書きを添えています。  けれども 神を 誰がこの経験世界におけるひとや何かの自然現象やとまったく同じ存在や事象として捉えて扱うことを行なうでしょう? それなら 経験事象のうちの特別に不思議なものごととでも定義すれば済むことだからです。  ですから  ★ 「欠ける」の対義語である「満ち足りている」という言葉  ☆ というわけのものではありません。《有る・無い》の経験事象の次元を超えているという前提における《満ち足りている》です。    あとは おまじないがしるされているようです。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。 >問題は その定義が《想定するというかたちにおける》というところです。  その事は関係ないと思われます。  私が、 >「全ての存在の中で、欠けている所が全くない存在は、唯一、神だけである」という意味で、上記の定義を述べられたのでしょうか? と述べた際には、《想定するというかたちではなく》という断り書きを入れて等いませんから、「全ての存在の中で、欠けている所が全くない存在は、唯一、神だけである」という解釈は、経験世界と同じ次元の話であるか否かには全く関係の無い処である、 >○ 神とは ひとり満ち足りている存在である。 という文章に対する解釈になります。  それにも関わらず、bragelonne様は私の解釈を 「神は、この経験世界における存在ではないと見ざるを得ないからには・つまり経験事象としての因果関係などから自由であるからには、人間の思考にはなじまない」 という事を理由にして間違っているとされておられるのですから、全く同様に、《想定するというかたちにおける》ものであるか否かには関わりなく、 >○ 神とは ひとり満ち足りている存在である。 という定義も又、間違っている事になります。 >☆ ふつうの文章(判断)によるならば おっしゃるとおりのことが当てはまります。  ふつうの文章(判断)によるものではないのであれば、それはもう、それ単独では定義として成り立つものではない事になります。

回答No.29

NO28の付け足し。 アンラ・マンユとアフラ・マズダーの話が出ていたので。 実は、アンラ・マンユ(アーリマン)とアフラ・マズダーには、それを生み出した神がいるという思想もゾロアスター教にはあります。 それは何かと言うと、ズルワーンという時の神さま。 このズルワーン(ズルヴァーン)が、善神にして光の神であるアフラ・マズダーと悪神にして闇の神であるアンラ・マンユを作った、もしくは、生んだという考え方。 私たちが善悪二元論として知っているゾロアスター教というのは、実は、キリスト教などよりもずっとのちに作られたものであって、そして、ズルワーン思想が今現在のゾロアスター教に先行しているんですよ。 余計なお節介ですけれども、ズルワーンとズルワーン教については、以下のサイトで。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%B3 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%95%99

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。 >私たちが善悪二元論として知っているゾロアスター教というのは、実は、キリスト教などよりもずっとのちに作られたものであって、そして、ズルワーン思想が今現在のゾロアスター教に先行しているんですよ。  それは存じませんでした。御教え頂き有難う御座います。  只、御教え頂いたURLのページに掲載されている情報に拠りますと、 >悪しき霊(「アンラ・マンユ」)と善なる霊(スプンタ・マンユ、後にアフラ・マズダと同一視される)が双子ならば、彼らには「父」がいてその「父」が彼らより先だっていなければならない。 という事から、聖職者たちによってが「ズルワーン」という神が作り出されたとされている様ですから、これを信じる限り、善悪二元論として知られているゾロアスター教の方が先行しているのではないでしょうか?

回答No.28

NO20です。 nomanはわたしの造語ですから、辞書にのっていないでしょう。 最初に浮かんだのは、Nobodyだったのですが、「肉体(body)がねえだけで、魂(seul)は あったのか?」といわれると面倒い。 「Nothing」は、わたしの意図するものとちょいと違う。 で、nomanって単語をつくりやした。 ☆☆☆☆☆☆ 「神が存在しないとすれば、矛盾が生じない」というのは、少し短絡的。 無神論の代表とされる唯物論は、現象の説明に神を立てない、仮定しない、神という言葉を使わない、と言った方が正確です。 また、 科学や哲学の自然主義も、超自然としての神という概念を使わない。それを引っ張り出さず、自然の中で、自然(現象)のすべてを説明しようとする態度です。 ───────── 自然主義 naturalism 自然主義は形而上学的理論のひとつで、すべての現象は自然(超自然ではないという意味での自然)の中にひそむ原因や法則から、機械論的に説明可能であるとしている。自然主義では、宇宙は巨大な機械あるいは組織であり、その全体には目的などなく、人間の欲求や願望とは無関係な存在であると仮定している。 自然主義は無神論や唯物論、論理実証主義、経験論、決定論、科学主義などと混同される場合が多い。 アメリカ合州国を建国した人々は理神論的であったが、自然主義を唱道していた。理神論は超越的な創造主の存在を認めているが、創造主が自然界に介入するという概念は否定している。したがって、世界を理解するのに、神を理解する必要はないのである。 古代のストア学派や、ジョン・スコット・エリウゲナ(9世紀アイルランド)、ジョルダノ・ブルーノ(16世紀イタリア)、スピノザ(17世紀オランダ)など、汎神論的な哲学者は、自然主義的であった。汎神論では、神はすなわち世界にほかならないのである。 したがって、自然主義は神の存在を否定も肯定もしないし、神を超越的存在とも内在的存在とも規定していない。しかし、自然主義は神を不必要な仮定としており、また科学研究では本質的に余計なものだと見なしている。科学的説明では、モラルや神の目的を引合いに出す余地はないのである。その一方で、科学の守備範囲は、超自然的な力やエネルギーや影響を伴わない、経験的に得られる現象に限られるのである。 ───────── http://www.genpaku.org/skepticj/naturalism.html ───────── 唯物論や機械論を無神論と見なすものもいるが、これらの理論は霊魂や物質世界への超越的な力の介入を否定しているのであって、必ずしも神の存在を否定しない。 ───────── http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96 宇宙や自然を説明する、あるいは、統べる《法則》や《原理》などがある。 なんて言っている段階で、実は、もう《神》という概念を使っている。 《法則》や《原理》は神と同体、もしくは、神の一部、神の属性なので。 というか、そんなものが存在すると思う、信じるというのは根拠がない。仮にあったとしても、経験妥当性や蓋然性に過ぎやせん。 なので、結局、《神》という言葉を使うか、使わないかの違いくらいしかないんで~す。 また、 《本能》や《欲求》、《悪》などがなぜ、この世に存在するのか、なんて考えるのもダメ。 自然主義では、これらの原因や目的を立ててはいけないんです。それは、自然の範囲を大きく逸脱する行為なので───なぜなぜの無限連鎖に陥り、最後は不可知論に陥ってしまうか、自然や経験を超える超自然のもの(《神》ですね~)の存在を仮定せざるを得なくなる───。それらが存在することを事実として受け入れる。そっから、現象の説明を始めようというのが自然主義的な態度なんでげす。経験事象(カントのいう経験界)の範囲でしか語ってはいけないんです。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  神の完全性に関する話ではない所が少し残念ですが、各種の考え方毎の神の概念の違いや存在の有無の違いのお話し、大変興味深いものが御座いました。  処で、以下は、本質問の趣旨からは外れている事なので、必ずしもお応え頂けなくとも構わないのですが、 >宇宙や自然を説明する、あるいは、統べる《法則》や《原理》などがある。 >なんて言っている段階で、実は、もう《神》という概念を使っている。 >《法則》や《原理》は神と同体、もしくは、神の一部、神の属性なので。 という説が現れた際には、 「それは単に、汎神論が、神ではないモノに『神』という名称を付けて呼んでいるだけで、《法則》や《原理》は神などではない」 といった類の反論は出なかったのでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.27

> 多神教の例として挙げておられるギリシャ神話の最高神ゼウスは浮気者でとても人格者とは言えない上に、テュポーンに負けた事もありますから、「完全」には程遠いと思いますし、ほぼ拝一神教とも言えるゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーも、アンラ・マンユ を始めとする悪神(悪魔)達を圧倒する事が出来る訳ではありませんから、こちらもまた、「完全」とは言えないと思います。 ⇒なるほど、了解です。 不勉強のため、よく調べたりせず、印象などだけで、ごく雑駁に書いてしまいました。お詫び申しあげます。 ところで、「諸宗教に見る最高神の不完全性について」というような題で、研究をまとめてみると面白いかも知れませんね。 こちらは、今関わっていることで手一杯なので無理ですが、もし、kagakusuki様におかれてご研究を深められた場合は、ぜひまたご披露いただけると嬉しいです。 以上、ご回答のはずが逆のようになりましたが、とりあえずご返信まで。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座いました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.26

検索で探したほうが早いように思います。 哲学者 神 完全 とか 哲学者 神 不完全 とか 検索ワードを適当なもので探したら出てくると思います。 読んでみようと思うなら、「本」とかも入れたら出てきますよね。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  それが、試しました処、あまり早くは無かったので、ここに質問を投稿致した次第です。  尤も、現在までに頂いた御回答の中で、欲しかった「考え方とその結論」に関する情報が含まれていたものが、意外に少なかったのは予想外な事ですが・・・

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