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読解力がない者の村上春樹作品の読み方
以前、「風の歌を聴け」を読んで何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。言いたいことを一般的な言葉を使って抽象的に表現してるみたいで、「何が言いたいんだろう?」という所が沢山あり、読み終わっても良く分からない作品だなと思いました。 そこで、「謎とき村上春樹」 (光文社新書)を読み「風の歌を聴け」の項を読んでみると、小説中に出てくる"傍点"や「嘘つき」や「子供?」や「わかるよ」などの細かい点にすら見落としてる(気づけない)ことに気づきました。それで、また改めて読み返してみると凄い小説で、なにより面白いと思いました。 しっかりとした読解ができれば、面白いと思うのですが、自分のように読解力や解釈が下手な人間はどのようにして読めばよいのか?また、どうやってそのような力を養えるのか教えて頂けないでしょうか?
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2 です。 誠実な返答ありがとうございます。 「謎とき」によって 理解力が深まった訳でなく 「謎とき」によって パズルの解き方を知っただけなのだから そんなに「謎とき」に こだわる理由は無いように思います。良き友人かもしれないし おせっかいな友人かも知れません。 古今東西に 素晴らしい作家は ずいぶんたくさん居るので あなたが 一生を 費やしたところで それらの本の一部しか 知ることは無いでしょう。 だから 村上春樹の 小説が あなたにとって 分かりにくかったとしても それはそれで 良いじゃないですか? 自然な読書をしているうちに 深い感動をあじわって ピッタリはまり 一生読み続ける様な本が いつ 現れるか わかりません。 もしそうなるとすれば 村上春樹にこだわるなんて 愚かな事としか思えないのです。 それに 理解力と表現力は 別個のものでしょう。 「謎とき」の作者が 表現力は巧みでも 理解力が あなたより勝っているとは 考えられません。 あなたが 村上春樹は 面白くない と思ったならば それが正解でしょう。 もちろん 現代社会で はやっているものについて 何も語れない もどかしさは あるでしょうが 、それも あなた自身なのだから それで良いと思います、 貴方の年齢は 分かりませんが 僕の周辺の 30~70歳の人々の中には 今回のベストセラーを始め 村上春樹作品の ほとんどを読んでいる人が けっこう居ますが ノルウェイの森 で 読むのをやめた という人も居ますし 今回の作品が つまらなかった という人も居て いろいろです。 あなたも そういう いろいろの人の一人なのでしょう。 貴方の表現力は きっと 村上春樹でなく べつの もっともっと 深い感動を与えてくれる 作家の読書の中で育っていくものだと思います。
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あなたが 自分自身を 読解力のない者 と規定する 理由が分かりません。 たしかに 「謎とき村上春樹」の著者と比べると 細かい点を見落としている のでしょうし 気づけないのでしょう。しかし そんな些末なことの ために あなたは 村上春樹の本を 読んだのですか? あくまでも 一般論ですが 読書の楽しみは 読むことそのものにあるのであって 謎解きではないと思います。 ですから 簡単に謎解きのできる人よりも 例えば 身近な人から なぜ読むの? というような 質問があったら その謎解きができる人よりも 答えに窮してしまう人の方が 良い読者かもしれません。 答えに窮して よくわからないけれど 大好きなんだ。というようにしか 答えられない人の方が 良い読者のように思います。 彼女や彼から 私のどこが好き? 私の何が好き? という質問を受けたら 具体的に返答する人も居るでしょうが 巧く答えられない人も居るでしょう。具体的な 答えができないからといって 良い彼女、良い彼でないわけではないでしょう。 たとえば「風の歌を聴け」の読後感ですが 「謎とき村上春樹」の著者よりも 「言いたいことを一般的な言葉を使って抽象的に表現してるみたいで、「何が言いたいんだろう?」という所が沢山あり、読み終わっても良く分からない作品だなと思いました。」 という あなたの感想のほうが 誠実で豊か というふうに 感じる人は おそらく私だけではないでしょう。ただ あなたの読後感は 抽象的で 議論などには 不向きなだけです。 「謎とき」を書く様な人や 出版をもくろむ人は あなたの様な読者が たくさん居るだろう事を 察知できるのだし そういう人の方が 世渡りが巧いでしょう。 しかし 世渡りが巧いからといって 豊かに 生きているとは限らないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 具体的な答えができないからといって、読者の善し悪しは決まらないという事ですね。そこは納得できます。 しかし、自分だけの力ではこの本の面白さに気づけなく、「謎とき」を読んで無かったら次の村上作品は読まないで終わっていたと思います。だから、もし文豪の作品を読んでその面白さに気づくことができなかったら、そこでその文豪の作品はストップしてしまうように思うのですが・・・。それは、ちょっと悲しいように思えます・・・。 でも、今書いててなんとなく思ったのですが、おっしゃる通り、本を友人or彼女としてみるならば、その人の良さに気づくかどうかは人それぞれですね。どの点が良くてどの点が悪いというのもそれぞれ違うのが自然なのですよね。「謎とき」はその人の良さを気づかせてくれるための、良き友人(媒介者)というところでしょうか?
読解力は、いろんな本を読んでいくうちについてきます。まずは、短い文学作品や推理小説から読んでみてはいかがですか? 私が本を読むために参考にしていたのは、国語便覧など国語の教科書です。昔から名作と言われている作品を読みこなすうちに、自然と読解力・文章力・想像力が身につくと思います。 あと、読書をするにあたって「この言葉はいいな」とか、「大事だな」と思うところに赤線を引きながら読むというのもいい方法だそうです。
お礼
なるほど、国語便覧ですか。名作と呼ばれる者は読みづらいうえに時間がかかるので、短編からもありですね。
補足
ちなみに、サリンジャーのナインストーリーズなんかも意味不明でした。外国文学と日本文学はやはり解釈や読み方も違うんでしょうか?
お礼
こちらこそ、とても丁寧な回答ありがとうございます。 多くの文豪の中で分かりにくいと感じた村上春樹のみに絞ってしまうのは余りにも愚かだという事ですね。 確かに仰るとおりです。本屋で山積みにされ、テレビやネットでたびたび議論されているのをみると、どうしても彼の作品が気になって仕方なかったのです。それも、流されやすい自分であり時にはそれも必要だったりするのかもしれません。しかし、分かりにくいと感じたにも関わらず読み続けるよりももっと別の・・・、時流に乗っていなくても、自分に深い感動を与えてくれる作家を読み続ける方が自分にとって価値があるという事ですね。大変納得致しました。 2度も回答頂き、ありがとうございます。