自信はないですが、回答がないようなので。
ご質問の箇所は鼠が誰かの文を引用しているところですね。
「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を十分に発揮していくことができる、そういったものである」
これに対して主人公が反例を持ち出します。
「夜中の3時に目が覚めて、腹ペコだとする。冷蔵庫を開けても何も無い。どうすればいい?」
と。
つまり、腹ペコのままでいるか、腹を満たすために何らかの行動を起こすかのどちらかを選ばねばならない。『二つの対立する概念を同時に抱』くことはできないし、ましてや 『その機能を十分に発揮していくこと』なんてできるわけがない。
このことに鼠も気がついて大笑いする、そういったことだと思います。
ただ、この箇所、なんでもないエピソードのような部分ですが、この小説全体に微妙に関わっていそうですね。
というのは、登場人物それぞれが明確に対立する概念をもち得ないでいる「不毛」さ、ものうげさ、生きる目的の喪失がこの小説の主要なテーマであると受け取れるからです。
あるいは前時代に対する痛烈な批判。
1960年代が熱き政治の時代(対立するイデオロギーの時代)であったのにひきかえ、70年の安保闘争不発は醒めた時代の始まりだったわけです。主人公はデモに参加して前歯を折られながら心はうつろです。
私は先に『喪失』と書きましたが、これは正確でない。初めから目的などないからです。失うものは元からない。
そうしてただ、過ぎ去る時間へのやるせないほどのノスタルジー。
そういったことが言えるのではないかと思います。あくまでご参考に。