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伊予親王の変や薬子の変で使用された毒とは?
807年、伊予親王の変において伊予親王と母親の藤原吉子は絶食した後毒を飲んで自害したそうです。。 810年「薬子の変」で藤原薬子は毒をあおって自殺しています。 これらの事件の自殺に用いられた毒とは何だったのでしょうか?
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推測でもよいでしょうか。 私は、水銀か、薬という名の毒草だと思います。 正倉院には、聖武天皇愛用の宝物が収められていますが、その中に貴重な薬も収められており「種々薬帳」に記載されています。 中でも注目すべきは「狼毒」「冶葛ヤカツ」という名の服用すれば猛毒となる薬です。 正倉院の薬は、天皇の許可があれば使用できたそうですから、権力中枢にいた人々は入手できたと推測します。 実際、冶葛は収められてから百年ほどの間にほとんど出庫されています。 これがすべて「薬」として使用されたとは言い切れない、という仮定での話です。 漢方専門・温心堂薬局の読書録(3)正倉院薬物の世界 http://ww7.tiki.ne.jp/~onshin/colum4.htm#shoso 正倉院の「種々薬帳」 第21櫃が重要です。 http://www1.tcnet.ne.jp/hanahide/syujuyakutyou.htm 次に「水銀」ですが、大仏建立では多数の水銀中毒死が出たと推定されていますから、蒸発した水銀は危険であるという認識を多くの人びとが持っていたと思います。 豊田 有恒著『崇峻天皇暗殺事件』で著者は、東漢直駒は蒸発した水銀を多量に吸い込んでの中毒死と推定されています。 水銀を使う場合は、人を閉め切った部屋に閉じ込めた状態での殺人に適していると思います。 岡村 青著『毒殺で読む日本史』も読みましたが、薬子の自殺に用いた毒の種類については書いてなかったです。
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- Pinhole-09
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正倉院に保管されていた「薬」の中に砒素系薬物があり、その系統ではないでしょうか。
お礼
返事が遅くなって申し訳ありません。 Pinhole-09さんの回答を読みまして そういえば大阪府高槻市の阿武山古墳が発掘調査され、織冠が確認されたことから、「鎌足」の墓とされたが、その古墳に埋葬されていた人骨から砒素が検出されたという報道を思い出しました。 http://www2.plala.or.jp/cygnus/s5.html http://dhistory.hp.infoseek.co.jp/sei_0vf.htm によれば、 中臣鎌足は砒素で毒殺されたのではなく「丹」を飲んでいた。 なんとならば砒素は水銀と並んで丹の成分として確認されているからだ、とありますが。 回答をありがとうございました。
お礼
もちろん、推測で結構です! 正倉院の中に薬が収められているとは知りませんでした! >権力中枢にいた人々は入手できたと推測します。 うーん、おそらくそうなんでしょうね。 ひょっとして藤原氏が権力を手中におさめたのは こういった薬物の入手ルートを持っていたから? なんて考えてしまいますね。 名は体を表す、といいますが薬子って 薬を支配する女性、という印象があるじゃないですか(笑) 水銀の可能性は私も考えました。 しかし、水銀は不老長寿の妙薬と考えられて歴代天皇が服用していたようですね。 結果的に、そのことが天皇の寿命を縮めることになったようですが~ ただし、水銀は不老長寿の妙薬というが、本当は毒であると 気づいていた人がいたという可能性もあるでしょうね。 『崇峻天皇暗殺事件』おもしろそうですね。 読んでみたいです。 とても面白い回答で楽しく読ませていただきました。 ありがとうございます。