• ベストアンサー

日本で最も古い自殺の記録はいつですか?

日本は自殺大国?ですが、歴史上最初の自殺はいつでしょうか? 643年蘇我入鹿が山背大兄王を襲撃したときに、山背大兄王は一度逃げますが覚悟を決め生駒山を下り斑鳩寺に入り、妃妾など一族もろともに首をくくって自害したそうです。 これより古い記述はありますか? あるいは上記のような場合は自害であって今日でいう自殺とは異なりますか? 欝病や哲学的理由で自殺するという記録は古代でありますか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eito_waka
  • ベストアンサー率54% (148/272)
回答No.7

雄略天皇(生年418年~没年479年)の皇女で巫女でもあった栲幡姫(稚足姫)皇女が、 妊娠をしたという讒言を阿閇臣国見にされ、身の潔白をはらすために自殺しています。 記述の年代が矛盾しているため正しい年代が不明となっていますが、出来事じたいは史実とみなされています。

その他の回答 (6)

  • eito_waka
  • ベストアンサー率54% (148/272)
回答No.6

「魏志倭人伝」で卑弥呼が死んだ際に奴婢(奴隷)を100人殉死させたという記述があります。 おそらく他の高位の人物が死んだ際も殉葬が行われていたと思われます。 なお、殉葬は646年に法令で禁止されています。 もちろんほとんどの場合は、奴婢に強制的に殉死をさせていたのですが、 後の時代で希望して殉死をした人も出てくるくらいですから、 この時代でも、みずから進んで殉死を願い出る人がいた可能性もあります。

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.5

#4さんのおっしゃる通り、古事記の出雲の国譲りのくだりで、「国を譲れ」と言われた事代主神が、「船の上に神座を造り“この世を去るための呪術”を行い、姿を消した」とありますので、これを自殺とみるなら、倭建命や応神天皇よりも古い事になります。 また、『播磨風土記』には、夫の花浪神の浮気に腹を立てた妻の淡海神が、お腹を斬って自殺をはかるという最古の切腹の話も出てきますが、いずれも神代のお話なので、正確な年代やその真相は微妙ですね。

回答No.4

出雲地方の国譲りの神話の中で、タケミカズチが迫るのに対して、言代主が国譲りを承諾した後自殺するのではなかったかしら。 その弟のタケミナカタは戦って敗れて諏訪に逃亡するのでは。

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.3

日本書紀の応神天皇のくだりにある倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の箸墓古墳の由来も、自殺あるいは事故死と言えるものでしょう。 姫は三輪山の大物主の神の妻になりましたが、神は夜にしか現れないので姿をはっきり見たいと願ったところ、翌朝に櫛笥の中に入っていようと神がおっしゃったので次の朝開けてみたところ、なかにとても美しい小さな蛇のお姿で入っておられた。そこで姫が思わず驚いてしまったため、神様は恥ずかしく思って山に帰ってしまった。悔やんだ姫が腰を落としたところ箸が陰部に刺さって亡くなってしまった。そのため姫の墓を箸墓と言うようになったと言う話です。 はっきり自害とは書いていないですが、後悔して座り込んだところに刺さる格好で箸があるのはいかにもな話ですし、もしかすると自殺的な行為だったのかなと思います。

回答No.2

古事記に記載されているもので宗教的ないけにけに自らなると言う物になりますが 倭建命(やまとたけるのみこと)の東征の際に走水海(現在の浦賀水道)を渡る時の荒天を 同行した妃の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が自らへの海神の怒りであると信じて 倭建命を救うため水の上に畳を浮かべて、わが身を海神に捧げたというのがあり これが日本では最古の自害の記録になるのでは無いでしょうか 自害も自殺も自ら命を絶つと言う意味では変わらないと思われます また過去においても失恋や挫折、不名誉な感情(羞恥心)、社会からの疎外感、健康問題、絶望感や失望感から自殺をした人と言うのは多いようです 現在の自殺の理由とさほど変わる訳ではないようなので鬱病や哲学的理由で自殺した人も居たと思います

  • tinycat19
  • ベストアンサー率25% (322/1287)
回答No.1

市川の真間の手児奈の伝説も、自殺ですよね。たくさんの男に言い寄られて、井戸に身を投げて死んだとあります。

関連するQ&A