プラトンとアリストテレスの神観について
今自分の論文(神の姿とは、生まれる前から身についているものであるか、それとも社会や経験によって作り上げられるものなのか)について書いていて、疑問に思ったので質問させていただきます。(ちなみに哲学専攻ではなく、カナダの大学で宗教学を一般教養で取っています)
プラトンのイデア論を見ると、プラトンは神(goodness)の姿はイデアとして知っているという考えを持っているように感じられます。多神教の社会の影響やピュタゴラス学派の影響がその後続いて、その神観も変わってきているようですが、この変化を如実に見ることができる箇所などはあるでしょうか?
また、基本的な質問ですが、プラトンがソクラテスについて書く時、ソクラテスの考えに同調していた(師としてあがめていたからには、その考えにも納得していた)のでしょうか?ソクラテスのせりふは、プラトンのものであると考えてもいいのでしょうか?プラトン自身の作があまりないので、悩んでいます。
またプラトンが輪廻を信じる原因はなんだったのでしょうか?輪廻を信じるとき、イデアは天のどこかの神聖な想像界をさすのではなく、過去の記憶をさすのでしょうか?
アリストテレスはimmovable mover(全てを動かす根源たるもの)を神と定めているようですが、アリストテレスはイデアは経験の中で作られるものだといっています。ということは、神という存在も、経験のなかで作られるものであるとみなしていいのでしょうか?
どなたか助けていただける方、回答をいただければ幸いです。