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区体論
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/math/welc.htm 区体論は集合論の代替になるものと期待していますが、 実は、集合論から区体論を構成できると思いました。 (公理9は開区間(a,b)の集合全体を考えれば、いいと思います。) それでも、区体論の価値はあると思います。 それはまさしく、余計なことをできなくすることです。 余計なことの一例は、べき集合をどんどん構成していき、どこまでも高い濃度の集合を作ることなどです。 そうすることで、扱う対象を明確にできると考えます。 ところで現実問題として、連続濃度以上が必要になる具体的な問題があるのでしょうか?
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- qt-hunny
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arrysthmia さんへ。 どうやら一番最初だけで読むのを挫折したようですね。 (^^; 公理系は、先の方で、ちゃんと書いてありますよ。 また、 > 素朴集合論を別の言葉で言い換えたものに過ぎない というふうに見えるのは、PART1、2だけです。PART2、3から全然別の世界に移行します。 > あれは本当に「弱すぎてダメ」なのでしょうか? 本人が書いているように、「弱くする」ことを狙っているのです。「強い理論の方が弱い理論よりも優れている」と思っているのでしたら、まずはその価値観を是正することから勉強した方がいいでしょう。数学基礎論の本でもお読みになれば? なお、弱いものから順に書くと、次の通り。 命題論理 < 述語論理 < ブール代数 < 区体論 < 集合論 < 一般の数学 左のものほど、基礎的で、弱くて、かつ、無矛盾性がはっきりしています。基礎的なことを考える人ほど、左の方に行きます。
- qt-hunny
- ベストアンサー率23% (4/17)
すでに説明されていますが、ある空間 Ω があったとして、Ω の要素からなる抽象的な空間は、そのべき集合(ふう)になります。たとえば、連続濃度の空間に対して、それを x とした関数 f(x) の全体の空間 Ψ は、 Ω のべき集合(ふう)になります。 ただし、これはこれで済んでいて、自動的に増殖することはありません。関数 f(x) の全体の空間 Ψ のなかで、関数 を y とした関数(つまり関数の関数)を考えれば、そのまたべき集合(ふう)になりますが、ステップごとに濃度が高まるだけです。また、 Ω と Ψ はまったく別の空間であり、 Ω の濃度が 連続濃度以上になるわけではありません。 それ以外の点では、質問者の見解は妥当でしょう。 PRFRD さんの認識は明らかに誤読です。最初に「区体論は間違いだ」という結論を下した上で、その結論を出すために強引に誤読しています。 > 可算区体論では「相異なる区体が存在する」ことすら > 証明できません. というのは、作者本人が初めから主張していることでしょう。「存在性はこの公理空間からは示せない」と。つまり、「存在性は、この公理空間とは別に、別の公理(存在性公理)を必要とする」と。 本人が「存在性は証明できません」(存在性は別の公理で)と説明しているのに、「存在性が説明できないからダメだ」というのでは、本人の話を完璧に誤読しています。というか、もともと読んでいないのでしょう。 > 是非集合論上にモデルを構成してみてください.要するに…… というのも、「集合論の体系内では区体論は病的である」というわけで、これは当り前です。「ユークリッド幾何学の体系内では、非ユークリッド幾何学は病的である」というのと同じ。数学の公理空間とは何か、ということも理解できていません。 PRFRD さんの解説は「公理空間とは何か」さえも理解しない人の話。それほど無知だとは思えないので、あえて曲解しているのでしょう。 一般に、何事でもそうですが、「相手を否定してやろう」という心で読むと、相手の言い分をまったく理解できなくなります。否定するにせよ肯定するにせよ、まずは相手の言い分をちゃんと理解することが必要です。曲解した上で批判しても、ただの誤読になるだけです。
- arrysthmia
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横入り御免。(違反投稿かな) そのサイトの存在は以前から知っていて、何やら面白そう とは思っていたのですが、いかんせん、文章が不明瞭過ぎて 内容が掴みきれずにいました。 何しろ、ハナから解説ばかりで、公理系の形式的な記載が無い。 (Part2 Part3 辺りが、ソレをやろうとしたものと思われるが、 結局、途中から解説に流れてしまい、失敗に終わっています。) アレを読みこなした人がある…ということには、感服です。 で、素朴な疑問というか、横入り質問なのですが、 あれは本当に「弱すぎてダメ」なのでしょうか? 区体論の公理なるものを満たすモデルを複数用意して、 モデルB のアトムは モデルA の区体 であるように連鎖させれば、 あれは単に、素朴集合論を別の言葉で言い換えたものに過ぎない のでは無いでしょうか? 私の理解力では、その辺が、どうもハッキリしません。
お礼
ありがとうございます。 >区体論の公理なるものを満たすモデルを複数用意して、 >モデルB のアトムは モデルA の区体 であるように連鎖させれば、 >あれは単に、素朴集合論を別の言葉で言い換えたものに過ぎないのでは無いでしょうか? モデルAの包含関係とモデルBの包含関係を同一視してよいか同一視できるとは限らないかということが問題になるのではないでしょうか? 同一視できれば、連鎖を考えることはできなくなり、 (モデルAの区体とモデルBの区体は一致してしまう) 同一視できないとなれば、連鎖できる可能性もあると思います。 ただ、同一視できるか否かは、1つの区体の枠組みを越えた問題になるので、公理系からは証明できないと思います。 となると、区体論は、1つの区体内で収まっている問題のみを扱うための理論なのかもしれません。
- PRFRD
- ベストアンサー率73% (68/92)
No.1のコメントに対して > 集合論よりも演繹が限られてきて、集合論よりも > 限定された結論しかえられないことになりますが、 > むしろ、それがいいのではないかと考えました。 ZFやZFCよりもちょっと弱いくらいなら使い道もありますが, 区体論はあまりに弱すぎてダメ,ということです. 例えば可算区体論では「相異なる区体が存在する」ことすら 証明できません.バナッハ・タルスキーなんて全く無理です. 連続区体論に関して, > 具体的には、どういうことが病的なのでしょうか? ということですが,そもそも公理9が病的です. これは実際に構成してみないと認識しづらいところだと思うので, 是非集合論上にモデルを構成してみてください.要するに (a) 和,積,補集合で閉じている (b) 空でない任意の元が(非自明に)2つの元に分割できる という条件を満たす集合族を構成してやればOKです. #開区間全体や開集合全体みたいなのは (a) の時点でダメ #(a) の操作で有限集合が作れてしまうと (b) がダメ ちなみに,わたしのやった構成はヤヤコシイことになっているため, 専門家でない人に分かるように説明するのは難しそうです.
- PRFRD
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実数から実数の関数全体は,連続よりも大きい濃度を持つので, 例えば「○○を満たす関数を求めよ」的な問題を扱う際には, 自然とそういったものを扱っていることになります. 「○○上の関数全体」というのは数学では標準的な考えなのですが, これは本質的にベキ集合なので,これを考えることを「余計なこと」 と言われると,とても困ってしまいます. 以下区体論について. 可算区体論(公理8)と連続区体論(公理9)があるそうですが, どちらも恐ろしく貧弱なモデルで,とても集合論の代替にはなりません. また,どちらも集合論(ZFC)上にモデルを構成することができます. 連続区体論のモデルの構成はかなり病的なことをする必要があり, 単に開集合全体を考えるくらいでは全然ダメです.
お礼
ありがとうございます。 >「○○上の関数全体」というのは数学では標準的な考えなのですが, >これは本質的にベキ集合なので,これを考えることを「余計なこと」 >と言われると,とても困ってしまいます. 確かに仰るとおりです。 ですが、関数全体の集合とは、便宜上の概念であって実態的ではないような気もします。関数全体の集合を用いなくても関数を包括的に理解するうまい方法がないのかなと思います。 >どちらも恐ろしく貧弱なモデルで,とても集合論の代替にはなりません. >また,どちらも集合論(ZFC)上にモデルを構成することができます. 私は、はじめは区体論の方がいいと思いました。 なぜなら、明快だからです。しかし集合論の枠組みで構成できるとすると区体論の意義を見出すのは難しいと感じました。 それでも、枠組みを狭くすることが区体論の意義になるかもしれないと考えるようになりました。そうなると当然ですが、集合論よりも演繹が限られてきて、集合論よりも限定された結論しかえられないことになりますが、むしろ、それがいいのではないかと考えました。 例えば、よく分かりませんが区体論からだとバナハタルスキのパラドックスとかは出なくて済むかもしれません。 >連続区体論のモデルの構成はかなり病的なことをする必要があり, >単に開集合全体を考えるくらいでは全然ダメです. 具体的には、どういうことが病的なのでしょうか? 噛み砕いてご説明いただけると幸いです。
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お礼
ありがとうございます。 >「存在性はこの公理空間からは示せない」と。 >つまり、「存在性は、この公理空間とは別に、別の公理(存在性公理)を必要とする」と。 私は、はじめはこのことは都合の悪いことと思っていましたが、 むしろ証明できないからこそいいと思います。 もし、証明できるということは裏を返すと1元区体を作ることができないということになってしまうのではないでしょうか? それよりも区体の個数を指定するための公理を必要としていることの方がいいと思います。 おそらく、可算個のアトムからなる区体を作るにはペアノの公理のようなものを追加する必要があると思います。 区体論と集合論では、問題に対する取り組む態度が本質的に異なると思います。 区体論…まず、扱う対象を明確に限定する 集合論…扱える対象を広範にしておく この違いは優劣を付けられるようなものではないと思いますが、 (区体論の作者の受け入れかもしれませんが)集合論における{}の扱いは、どうも制限がなさ過ぎて、そのために、{}の多用が災いを起こすことがあるのではないかという気もします。 例に挙げたバナハ・タルスキは選択公理を必要とするようですが、選択公理は{}の乱用の典型例??!!