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旧財閥の考えについて
日本の科学技術と財閥の関係について... 旧財閥はハーバー法の使用権を獲得し 新合成法によってアンモニアを作ることができるようになったのに 旧製法を維持し、特許管理組合で新合成法を実施しませんでした。 これはなぜなのでしょうか? わかる方いましたら教えてください(>_<)
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私も昔、化学の授業でハーバー法と触媒の話を聞いて感動した覚えがあります。ちょっと検索してみると次の資料が見つかりました。 資料a. 鈴木達治(化学者、1871-1961年。横浜高等工業学校の名物校長だったそうだ)に関する記事(内田星美・東京経済大教授) http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/3906/2/tsubasa-02.pdf (引用開始。102ページ) しかし、なんといっても蔵前時代の鈴木が、産業界に関係して最も華々しく活躍したのは、ハーバー法空中窒素固定の特許権導入をめぐる一幕であった。 (中略。105ページ) ところが翌大正三年、第一次世界大戦が勃発し、ドイツは敵国となったので、窒素固定技術導入は一切ご破算になった。 (中略。106ページ) しかし日本政府が大戦中敵産として没収したハーバー法特許の使用権を三井、三菱、住友などとともに横浜グループにもみとめたのは、このとき鈴木の活躍があったからである。 (引用終り) 資料b. 鈴木達治による随筆から「空中窒素固定」 http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/3921/3/zanpitsu-03.pdf (引用開始。45ページ) かれこれしている中に、欧州の風雲は急となり、遂に翌年七月、世界第一次大戦が勃発し、この問題は収拾できなくなった。この間に日本政府は、敵国であるドイツのハノーバープロセスの特許を没収して政府のものとし、その特許の使用を前述の両組合に許可した。(中略)ハーバー法の実施について種々研究をしたが実行に至らず、特許権は握ったものの、以上両組合の何れの側も、又合同しても実行の見透しのなき儘戦争は終結した。 戦後、ドイツからハーバー法によって製造された硫安が、多量に日本に輸入せられるようになってから、東京と横浜の連中は合併して東洋窒素株式会社なる名義の会社をつくり、我々はこの特許権を持っているのだから、これによって製造される硫安を日本に輸入するについては、『一トンにつき何円』、のローヤリティーを払えと申出て、この窒素会社は何ら製造せずして利益をあげた。 (引用終り) 資料c. アンモニア合成(江崎正直・三井化学元常務) http://www.chart.co.jp/subject/rika/sc_net/27/Sc27-2.pdf つまり、日本はハーバー法の特許を「没収」して手に入れたのであり、細かいノウハウまではドイツから教えてもらえなかったのではないでしょうか。資料c.に、ドイツは(この技術で、しばらくの間は)「世界で唯一国だけ独占的に生産した」と書いてあります。そういうわけで、資料b.のように日本は「特許権は握ったものの」「ハーバー法の実施について種々研究をしたが実行に至らず」となりました。その後、資料c.の表2のようにさまざまな合成方式を外国から導入したり、独自に研究したりして、ようやく合成アンモニア大量生産に成功していきました。 資料d. 戦間期日本の硫安市場と流通ルート(坂口誠) http://www.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/59_2_7.pdf この論文は経済史・産業史的に硫安(硫酸アンモニウム)について研究していて、ご質問者の関心のありかに近いかもしれません。
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- d-y
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一般的な話としては、 旧製法でも充分な利益が上がっていて 新製法の特許を自分が押さえている(=ライバルが新製法で競争を挑んでくる可能性がない)場合、 わざわざ設備投資を行って新製法に移行するメリットは、ないかもしれません。