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町(町歩) と 石高 

戦国時代の本を読んでいてわからないことがありましたので質問いたします。 町(町歩) というのは広さ(面積)の単位 石高 というのは生産量の単位と認識していますが、 合っていますでしょうか。 また、「町」を「石高」にするとどういった割合で計算すればいいのでしょうか。 例えば。  知行地が 200町の武将は 石高にするとどれ位になるのでしょうか。 すでに出ている質問なら申し訳ない限りですが、どなたか教えてください。

みんなの回答

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.2

戦国時代であれば貫高制です。 米の重さが直接通貨になりました。 古代では1反1石が慣わしとありますが、(当時の採高を指す。) 石高は太閤検地よりですので留意して下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D 1石とは太閤検地より定められられました。 国によりまちまちであった枡を京枡で定め、 検地尺を1尺に定めました。 また、上、中、下、下々田の区分を設け、 地主が二重三重であったのを耕す百姓の物と定めます。 これで地侍、地主と言う中間詐取者(土豪)を葬ります。 また、海、陸の通行料を取る土豪の関所を廃止します。 ので、300歩で1石と考えて良いと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA_(%E5%8D%98%E4%BD%8D) 200町なら2000石と考えて良いとも思います。(大筋)

回答No.1

口で説明は大変なのでURLを参照してください。 なお1平方キロが100.83町歩で、200町歩が2平方キロで余り石高はないと思いますよ。 町歩 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA_(%E5%8D%98%E4%BD%8D) 石高 http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm