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江戸時代の石高制とその内訳

石高は、米以外の農作物や海産物の生産量も米の生産量に換算して表されています。 では、石高に占める米そのものの生産高はどれくらいなのですか。 年代はいつでもよいのですが、またどの藩でもよいのですが、かなり正確だと推定できる記録があれば教えて下さい。 日本全国の場合は、年代はいつでもよいですが、おおよそどの程度になりますか。 よろしくお願いします。 なお、wikipediaによれば、元禄11年(1698年)の酒造米高 909,337石だそうです。 これが、米の生産高に占める割合が知りたくて質問しました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Streseman
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回答No.1

文献が基本的にはありません 石高計上で特産物を加えた計算事例としては、松前家などが著名ですが、多くの諸藩の動静は不明です そして、正確な推定資料も存在しません その理由は、特産品の相場の乱交下もあって、商品作物の石高計量は相場制に近い計算方式だと資料が示唆しています 同時に、地域毎で品質も変わるので必然的に評価額にしても明確な資料根拠に依拠しないケースが多いのも現実です 実際、メンツの問題で無意味に高めに石高申告する諸家もありますし、その逆もあります そもそも、この石高制度については当時の法令によって仔細の相違性・相対物価の違いを勘案する必要性があるので、評価は難しいものです かなり曖昧な計量方法であったことも事実なので、確実で正確な推定資料は全国レベルでは存在しない、と思ってください ちなみに、松前家では米計量が1割もない事例も存在しているようです

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、そういう理由で「確実で正確な推定資料は全国レベルでは存在しない」 のですね。 よく解りました。 「もやもや」が「すっきり」したので、質問した甲斐がありました。

その他の回答 (1)

  • gootttt
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回答No.2

概算ですが、人間一人の米の消費量がおよそ1石であり、江戸時代の人口がおよそ3000万人であったことから、3000万石とみることができます。 ただし、実際には米は作るのが大変なため江戸時代初期はここまで多くなかったでしょう。 その後、米は日本では優遇されていたため、生産量が増加し続け、明治時代頃にこの式が成り立つようになります。 ここら辺を踏まえるとおおよその米の生産量が推測できるのではないかと思います。 参照 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history100.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「石高と人口」は大変参考になりました。